ホシ 1982年 享保9年2月、坤の方角に大星が見えた。土御門殿が言うには、この星は老人星であり、天皇の長命と国土安穏の瑞兆であると言う。
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カベノアナ 1980年 京都府 清朝の鄭瑞が京都に居た時、ある壁に向かって昼寝をしていたら、いつも壁の上に人の顔が出てくる。不思議だと思っていると、それが穴になったという。その穴の中を見ると、人馬が往来し賑やかだったので、壁の穴の中に入って大いに楽しんだ。家人が起こすと普通の壁だった。狐狸の類か。
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レイボク,ロッカクドウ,クロクモ 1983年 京都府 太子は淡路国の海から得られた如意輪像を、毎朝紫雲が覆う杉の霊木で建てた六角堂に安置した。その後、桓武天皇が平安京に遷都した時、六角堂が小路の中にあたった。都を造営する官使たちは、太子の建立した堂だから移すのもどうかと悩んだ所、黒雲がこの堂を覆い5丈北に退いたので、無事小路を通して都ができた。
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ユメ,サネトモ 1976年 陳和卿が言うには、鎌倉右大臣実朝は、かつて宋王朝育王山の長老であったのが、日本に生まれて将軍となった。建暦元年6月3日、実朝の見た夢の中に、1人の高僧が現れて、そのことを告げた。夢を見てから6年後に確かに符合した。
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スギヤクシ 1956年 宮城県 天平(729~749)の昔、孝謙天皇が御不例で、医薬効なく太史に占わせたところ、陸奥にある高さ数十丈の大杉の枝葉が雲をしのぎ、その陰が皇居に達しているさわりと分り、大納言某を遣わして伐採を命じた。某は築館の地に大杉を発見し伐ったところ、伐り口から血が流れ、翌日はふさがって元通りになる。幾ら伐っても同じことであった。杉の東北の広野にある茅萱を縄とし伐り口をふさげば伐れるという占いによりようやく伐り倒す。切りくずは飛散して一片もなかった。天皇の御病も治り、勅命で伐り口に仏堂を立てた。のち慈覚大師が薬師如来を安置した。
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セイレイ,ミョウケン 1967年 福島県 日本武尊の皇子東日本彦尊の子岩瀬彦がこの地に住んでいた頃、石根山の松の元に星霊が天降り毎夜光を放っていた。岩瀬彦は不思議に思い55夜の間丑三つに毎夜参詣してみたら、まことに北辰尊星のみかげであった。そこで帝に奏上し、妙見神社としてこの地の鎮守となした。
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テンセイ,レイセキ 1976年 東京都 隣家のものが珍しい石を得て、宮を造り勧請した。来歴を聞くと、35年前の文政7年に川掛役人が遠州天竜川御用のときに丸い石を見つけたので持って来たと言う。当時は差し渡し6寸5分であったのが、差し渡し1尺4寸8分、回り4尺1寸8分に成長した。ある人がいうには、これは生きた石であり、竜石であるという。
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ニョイリンノゾウ,ダイクハウメウ 1983年 兵庫県 聖徳太子が13歳の時、淡路国岩屋浦で何かが大光明を放っていたので、猟師が怪しみ光をたよりに網を下ろしたところ、朱の唐櫃がかかった。その櫃の上に「正覚如意輪の像一体、謹上日本国王家」と書かれていたので急ぎ奏聞し、太子が開くと確かに如意輪像が入っていた。
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エンノオヅノ 1979年 山形県 白鳳年中、東北地方廻国の途中、山形地方で最初に朝日の光りを受ける山を「朝日岳」と名付けて登拝し、「朝日権現」をまつった。この近くの山中に「浮島」の神意をみて、この池に弟子の覚道をおき、小角は朝日岳と浮島の間を飛行したという。
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ハクウ 1974年 京都府 宝暦13年に後桜町天皇が即位した日、何伝の上に白い烏がいるのを、後日京極の宮の家司である下平儀重が見たとして報告し、賞されたという。
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タロウイナリ 1983年 東京都 立花左近将監が朝鮮出兵の際、石田三成の讒言によって豊臣秀吉の勘気を蒙った。その時立花は本国に帰らずに、江戸の浅草観音の前に移住すること8年に及んだ。そしてある夜の夢に白髪の老人が現れて、白木の三方に祇園守を載せて与えた。この老人が太郎稲荷であった。その翌日に徳川家康から召状が届き、本領を安堵されたという。
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ジョウゾウ 2002年 京都府 天暦二年(947)、山城国東山にある法観禅寺の仏舎利塔(八坂塔)が、乾(北西)の方向つまり王城(平安京)に向かって傾いた。この事態に対し、天台宗の高僧であり、父・三善清行を神通力によって冥界から蘇らせたという浄蔵が塔前で修法を行うと、乾方から黒雲が突然塔の方向にやって来て、雲が開いたとき塔の傾きは直った。
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ジカクダイシ,ズイウン,セイリュウ,リュウトウ 1974年 東京都 慈覚大師が東方を行脚していた時に浅草寺でしばし逗留した。ある日白髪の翁がやって来て、東北に霊地があって、私はそこに霊像を安置した。その像は伝教大師が作ったものだと言い終わると姿を消したという。そこで慈覚大師が東北に向かったところ突然瑞雲が立ち、青竜が雲から現れた。庵に入り、仏像を拝んだ。慈覚大師は青竜に対して、ここに寺を造るので加護してほしいと告げる。それを聞いた青竜は姿を消した。その後は時々竜燈の奇瑞が起きるという。
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リュウ 1976年 東京都 寛政の頃、小日向大曲で竜の昇天があった。その前に小日向あたりの家々を老僧が回って、竜が昇天するので気を付けるように注意を促した。旗本土屋某が、その老僧を座敷に上げて話をすると、老僧は実は竜であり、水がないために昇天を待っている事がわかった。そこで土屋氏は硯の水を神酒徳利に入れて与えると、老僧は喜んでそれを請け、数日後に晴天だったのが急に大風雨になったので、老僧が昇天したのだろうと土屋氏は思った。雨の水は墨水であったという。
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ジンジュウ 1975年 京都府 京師のある縉紳家に騰黄という狐のような神獣の図がある。一説にこの獣は神代より日本にいて唐山に渡った。その地で黄帝がこれに乗り天下をまわって民衆に乗馬を教えたという。
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キョウガミネ 1956年 宮城県 萩が多かったのでかつては萩ヶ崎といった。伊達政宗の瑞鳳殿霊屋のある所は、湯殿山の行者満海上人の建てた観音堂があった所で、その西向かいの丘に上人が大般若経を埋めたので大般若経ヶ峯と称し、のちに経ヶ峯となった。満海上人は観音堂の側に埋葬された。政宗の廟をたてるとき堂は他に移され、政宗の遺骸を葬る時、偶然上人の墓穴に掘り当たった。上人は片目で、政宗はその生まれ変わりだといわれていた。政宗が上人の墓に埋葬されたので人々は不思議の思いをしたという。
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ツエ 1925年 和歌山県 宝徳2年に、雑賀庄梶取の総持寺を建てるとき、この地に縁があるか否かを明秀光雲上人が杖を立てて占ったところ、数日して桜の木になった。
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リュウ,(タツマキ) 1935年 三重県 弘化2年4月、庄屋の兼次郎が三浦坂を登っていた時に、俄に雲が起き、海上で龍が水を吸い上げるのを見た。それは一条の黒い気のようなもので、忽ち雲は治まり、日光が心地よく差してきたという。
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ビャクダン,タイシャクテン 1939年 京都府 金色の光の源を突き止めてみると、そこに芳香並々ならぬ白檀の木があった。ひとりの老翁が現れ、和気清麿に「ここに精舎を建立せよ」と言う。翁が消えると白檀の木は帝釈天の像になっていた。
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フナガミ 1980年 鹿児島県 種子島の平山世伯という人が、京に行こうと船に乗ったところ、大隈国の内浦あたりで暴風雨に遭い、船は漂流した。そこで船神に祈り、12の方角を書いた紙を結んで神前に置き、念珠の房で探ると西南と出たのでその方角に舵を取る。途中不安になったが幾度試しても西南と出るので、信じて進むとやがて陸地が見えて一行は助かった。
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