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検索対象事例

ジョウゾウ
2002年 京都府
天暦二年(947)、山城国東山にある法観禅寺の仏舎利塔(八坂塔)が、乾(北西)の方向つまり王城(平安京)に向かって傾いた。この事態に対し、天台宗の高僧であり、父・三善清行を神通力によって冥界から蘇らせたという浄蔵が塔前で修法を行うと、乾方から黒雲が突然塔の方向にやって来て、雲が開いたとき塔の傾きは直った。

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ジョウゾウ
2002年 京都府
天暦二年(947)、山城国東山にある法観禅寺の仏舎利塔(八坂塔)が傾いた。この事態に対し、天台宗の高僧であった浄蔵が塔前で修法を行うと、その霊験ある声は遍く人々の耳に達したという。
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ジョウグウタイシ
2002年 京都府
上宮太子(聖徳太子)の発願によって建立された、山城国の東山にある法観禅寺の仏舎利塔(八坂塔)は、治承年間や正応年間に火災に遭うが、太子の願力が非常に強いものなので、灰燼に帰することはないという。
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コクウン,ハクウン
2002年 京都府
治承四年(1180)に、山城国東山にある法観禅寺の仏舎利塔(八坂塔)が雷によって焼かれた。その跡を黒雲が覆い、七日後にようやく散じた。ある威徳な上人が言うには、その昔祇園精舎が燃えた時に、その跡を七日間白雲が覆った事もあったという。その地面を掘ったら十一面観音銅像が出土したが、この時は聖徳太子の親書が入った箱が出土した。
類似事例

ジョウゾウ
2002年 京都府
南北朝時代の臨済宗の学僧・義堂周信の語録『義堂和尚語録』によると、平安中期の村上天皇の時代、天台宗の高僧であった浄蔵は、父の宰相・三善清行を神通力によって冥界から蘇らせたという。
類似事例

ニョイリンカンノン,シウン
2002年
いまだ山城国に都がなかった時、聖徳太子の夢に如意輪観音が出現し、この山城国の東山の地は寺塔を建立するのに大変すばらしい土地であり、必ず建てるべきであると伝える。実際聖徳太子が東山を見ると、紫雲が立ち昇っていたので、ここに法観寺と寺塔を建立し、塔に仏舎利を三粒納めた。
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トビ
1975年 京都府
永承の頃、西塔の僧が京に出た帰りに、東北院の北の大路で、子供たちにいじめられていた鳶を助けた。その帰り、藪から法師が出てきて先ほどの礼をしたいという。僧が霊山で釈迦の説法を聞きたいと望むと、法師は下松の上の山に僧を連れて行き、ここで説法の声が聞こえるまで目を閉じて待てという。ただ、信心を起こしてはならないと告げた。その通りにしていると、説法の声が聞こえてきたので目を開いたら、紛れもなくそこは霊山で、釈迦を中心に菩薩衆などがいた。おもわず手を合わせたら、山が鳴動して草深い山になった。
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フシギ,クモニノルヒト
1974年 京都府
弘化2年7月7日ある者が東本願寺へ参詣した。その時突然空が真黒になり夕立でもあるのかと見ていると御影堂の辺から、腰より上は黒く、下は赤い着物を着て、頭は法体か有髪かわからない雲に乗った人が、新たに建設中の大門の上に来た。地震か雷のような鳴動と共に大門は崩壊した。
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ヘビ,アラレ
1975年 京都府
京都で文化2年3月21日、東六条善久寺の妻女の頭痛がひどく、その髪際から這い出た小虫はみるみるうちに小蛇となり、戸外へ掃き出したところ、たちまち黒雲が降りて蛇を乗せ天へ昇っていった。妻女の頭痛はすぐに治ったという。その時に降った雹で、田畑のものは全滅してしまったという。
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〔コウチホウイン〕
1973年
広智法印はかつて高野山に登ろうと思って、ある土地に来た際に、飛瀑に紫雲が生じるのを見てここが浄土だと思って入定した。それから470年にわたって体はなんら損なわれることなく、いまもなお在るという。また、900年ほど前にも比叡山で伝教大師の弟子で広智という人がいたのは、この人のことだろう。
類似事例

ホッショウダイゼンニノレイ,ボウレイ,ノリウツリ,(レイジ),(オツゲ)
1974年 千葉県
応永年に中村家の娘に法性寺の建立者北条時頼の娘桐姫である大禅尼の霊が乗移り、寺の和尚に「我が生前の女人としての不浄けがれの為、血の池地獄で苦しんでいる。どうか血盆経を授けて救ってほしい」と懇願して来た。和尚が本尊の地蔵菩薩に祈ると満願の日老僧が現れ、そのお告げに従い東方の湖水に行くと空中に花が降り蓮台に座した血盆経があらわれそれを読誦すると亡霊である尼と女人らは成仏することとなった。
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ワラウチイシ
1976年 大阪府
天下茶屋村の東方にある円山という丘の上には、兼好法師の藁打石という石があった。享和元年の四天王寺回禄の際、近村より礎石となる石を集めたところ、この石も持って行かれた。ところが、怪事が起こったので、石は元の場所に戻されたという。
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キジン,ヤマノチシン
1975年 新潟県
越後国古志郡国上の寺に塔を建てたが、三度落雷により倒壊した。ある僧が塔の側で法華経を誦したら雷鳴とともに童男が縛られて落ちてきた。童男はその地の地神で塔があると住めないので壊したと語った。冷泉を出すと赦してやると言ったら泉が湧き、四十里四方に雷が落ちなくなった。
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ヤマノテラドウウンジ,ダイジャ,シロキツネ
1956年 宮城県
女とその懸想した男が大蛇となってから500年経た暦応元年(1338)、加州金沢の大乗寺三世明峯素哲禅師が陸奥に弘教し、岩沼竹駒神社の初午に参詣した時、老翁からこの話を聞き、その案内で大菅谷保の藤左衛門の家に泊った。翌未明山ノ寺の南の丘に登って大蛇の棲む寺跡の湖水を見、7日の間祈祷したのち一喝して杖を投ずると2頭の大蛇が現れて逃げ去る。そのとき白狐が飛び出して禅師に感謝し、永く寺の守護を約する。禅師が祈祷した地に寺を建て実相寺という。
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ネコヅカ
1948年 岩手県
350年ほど前の話である。福蔵寺で飼われていたトラという猫は大変かわいがられ、30歳になった。そのころ藩主が死に葬儀が行われたが、その最中に棺が天に巻き上げられ、下りてこなくなるという事件が起こった。居合わせたものがいくら加持祈祷を行っても効果はなかったが、福蔵寺5世の大突和尚が駆けつけて祈ると、風はおさまり、柩は元の場所に戻った。この功により、寺領30石をたまわった。これはトラが長年の恩返しをしたものであった。その後、トラの行方は知れなかった。寺の鬼門に猫塚を建てた。
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スギヤクシ
1956年 宮城県
天平(729~749)の昔、孝謙天皇が御不例で、医薬効なく太史に占わせたところ、陸奥にある高さ数十丈の大杉の枝葉が雲をしのぎ、その陰が皇居に達しているさわりと分り、大納言某を遣わして伐採を命じた。某は築館の地に大杉を発見し伐ったところ、伐り口から血が流れ、翌日はふさがって元通りになる。幾ら伐っても同じことであった。杉の東北の広野にある茅萱を縄とし伐り口をふさげば伐れるという占いによりようやく伐り倒す。切りくずは飛散して一片もなかった。天皇の御病も治り、勅命で伐り口に仏堂を立てた。のち慈覚大師が薬師如来を安置した。
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リュウジョ,ダイジャ,コマヅカ
1976年 兵庫県
康保4年の冬、源満仲が能勢の山で猟をした時、夢に竜女が現れて、礼に竜馬を与えるので川下の大蛇を退治して欲しいと願った。目覚めると1匹の馬が傍にいた。満仲はその馬に乗り大蛇を退治した。満仲の死後も馬は生きていたが、やがて死に、家臣の者が馬を山岳に埋めてその上に堂を建て、駒塚山堂と名付けた。その後文明2年3月18日から毎夜駒塚が発光した。慈光山普明寺の住僧が塚で普門品を誦したら、たちまち雷鳴して馬の頭が出現した。住僧はそれを持ち帰り竜馬神と名付け金堂に納めた。
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コウボウダイシ
1974年 和歌山県
天明4年3月21日は弘法大師の950回忌にあたるので大法会が開かれた。諸国から多くの群衆が訪れたが、午刻の頃一天にわかにかき曇り大雨が降った。何かの戒めと思った山僧等が群衆を検分すると、2人の比丘尼が山法師の格好をして入山していた。急いでこの者を女人堂まで連れ出したという。すると天色清明になった。
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(ヨミガエリ)
1976年 京都府
天慶年中に、東寺の日蔵が死んだ後に甦った。日蔵が言うには、地獄で鉄窟の中に炭のようになった人が赤灰の上に蹲っていて、我は宇多帝の子であるが、仏寺を焼いて有情を害した罪を受けて苦しんでいる。本国に帰って国王および宰補に奏上して供養の卒塔婆を作れと告げたそうだ。
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チボチノイケ,タタリ
1987年 長野県
鳶ヶ岳の佐久側の尾根にある。明応年間(1492~1501)の頃,自成寺の建立に関わった杣の子が小僧として寺に住み込んでいたが,ある時殺されてちぼちの池に投げ込まれた。以後,その祟りでお寺や檀徒に災いが起こったという。その後,小田原最乗寺の俊庵麒英和尚がこの寺に住み着いてこの話を聞き,ちぼちの池の辺にたって金剛経を唱えると,池の底から「こんなありがたいお経を初めて聞いた。これで浮かばれる」という声が聞こえてきた。経の尊さによって化物の迷いが解けたのだという。以後災いは起こらなくなり,この寺を金剛山自成寺というようになった。
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フドウミョウオウ,テンジン,ハゴロモ
1967年 福島県
三浦左近国清という人が太田村別所に住んでいた。世継ぎが無いことを憂い、馬場村の滝不動に美しい妻が得られるようにと祈願した。すると夢に不動明王が現れ、現世には配すべき女がいないので、五台山の奥の池で天人が水浴びをしてるゆえ、その羽衣を取れと言った。国清はその通り山に登り天人の羽衣を取って家に帰った。やがて天人は気付き、国清の家に行き羽衣を返して欲しいと願ったが返されず、ついには夫婦になった。二男一女をもうけたが、やがて子供たちが大きくなったから別れても立派に育つと言い残し、天女は羽衣を着て天に昇った。国清は悲しんだが、娘はそれにもまして悲しみ、ついには池に身投げして死んだ。中太田に姫塚と呼ぶ塚があるが、この姫を祀ったものといわれる。
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