ワカ 1976年 奈良県 大和の国勝田山善福寺という寺に後鳥羽院が行幸した折、池の蛙の声に趣があったのに、風が強くて聞こえなくなったので、「蛙なく勝田の池の夕たたみきかまし物を松かぜの音」と詠むと、風音が止んだ。
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カエル 1928年 広島県 五月雨の頃、後鳥羽上皇が隠岐の島に流された際、水田の蛙が騒がしくて眠れなかった。上皇は蛙に、真心があるなら鳴き声を止めてくれと頼んだ。すると、騒々しかった蛙の鳴き声がやんだ。それから数百年経った現在でもここでは蛙が鳴かないという。
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(カエルノコエヲトメルワカ) 1974年 神奈川県 相州の隠士であった吉川惟足は蛙の声を嫌がって「一たびはまづいづちへも出て行け又はかへるの名にしあふとも」と詠んだところ三日ほど鳴かなかったが、ほどなく元のように鳴いたので、さらに「帰れとは言葉の花の色と見よ出て行なばまたこざらめや」と詠むと、その地の蛙は今も鳴かないという。
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ワカ 1976年 静岡県 東海道金谷の駅で吉川惟足が神道の講釈をしていたとき、蛙がさかんに鳴いてうるさかったので、「暫くは先何地へも出ていねやがてかへるの名には逢ふとも」と詠んだ途端に鳴き止んだ。また、次の日の夜にかえるが鳴いたので、「頓てとは詞の花のつやと見てちりゆけはなと元へ帰らん」と詠んで後、そこで蛙は鳴かなくなった。
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ホトトギス 1934年 新潟県 順徳帝が佐渡に流された折、時鳥のなく声を聞いて、『啼けば聞く聞けば都の戀しさに此里過ぎよ山ほととぎす』と詠んだところ、時鳥はまったく啼かなくなった。
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(カエルノコエヲトメルワカ) 1974年 兵庫県 元禄の頃、播磨明石の城主である松平若狭守は歌人だが、ある日泉の蛙がうるさくて学問の障りになったので「しばしこそ爰に来鳴めもとつ野にやがてかへるの名にしたがふな」と和歌を詠んだところ、蛙は鳴く事を止めたという。
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ワカ 1976年 山梨県 後陽成院の皇子が甲斐の国山梨郡増福山興因寺に赴いた折、「鳴けばきく声は都の恋しさにこのさと過よやま郭公」と詠むと、その時からこの里では、ホトトギスが鳴かなくなった。
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ゲンオウオショウ,カエル 1974年 山形県 羽州最上の栄泉寺にいた玄翁和尚は、蛙の口を封じたので今も蛙は鳴かないという。
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ツユナシノサト 1956年 宮城県 今東照宮の立っている玉田ヶ崎のふもと、福沢の蜂屋長者の家に、1人の美しい女の召使がいて、毎夜長者の家を抜け出し、夜の明けないうちに帰っていた。ある日、長者にひどく叱られて家を出たきり帰ってこなかった。翌朝女が寝た跡らしい草むらに、一首の和歌を書いたものが落ちていて、「風も吹き雨の降るをもいとはねど今宵ばかりは露無しの里」とあって、それ以来福沢一帯に夜露がおりなくなり、女の寝ていたところを伏寝という。
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ミヤチヨヅカ 1956年 宮城県 松島寺に宮千代という美童がいて、和歌を詠んだ。あるとき宮城野で月を眺めて「月は露露は草葉に宿借りて」と上の句を詠んだが下の句が詠めない。そして間もなく病死する。里の人々が葬ってやると、毎夜塚の底から「月は露」という声がする。松島寺の徹翁禅師が来て「それこそそれよ宮城野の原」と下の句を手向けると、以後声はしなくなった。塚には秋に美しい紫色のスミレが咲いたという。
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オトヒメサマ,アマノジャク 1931年 鹿児島県 枇榔島に泊ると、真夜中に森から音楽が聞こえてくる。また、琵琶歌を歌うと激しい地響きがして、大きな岩が崩れる音が聞こえたかと思うと、島中の木がメリメリと大鳴動を起こしたという。この島は和銅年間に天智天皇の皇女の乙媛様が一夜にして造った島だといわれ、不思議なことが起こるのは、姫様の霊の仕業だと信じられている。乙媛が悪戯のあまり沖に流されたとき、島を作り、陸までの岩道を一夜のうちに作ろうとしたので、天邪鬼が鶏に言いつけて早めに鳴かせ、岩道の完成を防いだ。今も島から陸に向かって、海中に岩道が続いているという。
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オトナシノマツ 1938年 鳥取県 この松は後醍醐帝が憩われた所であり、帝の徳のために、風が吹いても音がしなかったという。
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ナナフシギ 1932年 香川県 讃岐の七不思議。山を越えて海へ逃げるという、安戸池の鯔(ぼら)。龍灯が海から来て点る、白鳥村の龍頭の松。善人が座ると動くという、志度の浦の動石。行えば必ず雨が降るという、由良神社の甕洗い。人が踊ると神池も踊る、苗羽村の聖社。赤黒い水を湛える、屋島の山上にある血の池。海に身を投げた糸撚りの女の魂が残るという、高松の糸撚りの浜。
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ナナフシギ 1915年 愛媛県 松山の七不思議。松山城の内堀の蛙は鳴かない。河野某の怨霊が火の玉になって出る。秋の夜更けに長曾我部元親に敗れた者の怨霊が打つ陣太鼓の音がする。十六日桜の下に佇むと水気が降る。弘法大師に煮た芋を施さなかったため、大師は芋を石に変えた。弘法大師が片身を焼いた鮒を小川に放ったら蘇生し、以後この川の鮒は片目になった。水の色が紫色に見える水溜りがある。
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ワカモノ,エノキ 1967年 福島県 蔵持に里という美しい少女(未亡人という説もあり)がいて、たそがれに軒端で歌っていた。その声に寄せられて毎夜同じ時刻に若者がたずねてきた。そのころ、村人が蔵持三島八幡境内にあるえのき(神白村ぼんてん山の大けやきという説も)を切り倒してお里の家の近くに橋をかける話をまとめた。毎夜お里を訪ねてきた若者は、悲しそうに今夜限りで会えないといって帰った。村人たちがその木を切ると、血が流れ出た。ようやく切り倒して運ぼうとしても動かない。お里を呼んで歌を歌わせ、音頭をとらせたら、木は自分から動き出した。その夜から若者の姿はみられなくなった。この橋を里也橋という。
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ナナフシギ 1915年 愛媛県 松山の七不思議。松山城の内堀に住む蛙は鳴かない。8月の末になると長曾我部元親に敗れた伊予勢の怨霊が打つ陣太鼓の音がする。紫井戸という水が紫色の水溜りがある。里人が片身を焼いた鮒を弘法大師が放して蘇生させた。そのため片目である。弘法大師が芋を石に変えた。龍隠寺境内の木立で霧のような水気が降る。8月に討死した霊が怪火となって出る。
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ホトトギス 1973年 新潟県 承久の乱によって佐渡国に配流された順徳天皇が、ある時ホトトギスが鳴いているのを聞いて、遠い都に帰りたいとの思いを強くし和歌を詠んだ。その悲しみを知ったのか、それ以来順徳天皇の邸宅にはホトトギスが寄りつかなくなり、またその山陵にも近づく事がなかったという。
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ホウドウセンニン 1931年 兵庫県 法道仙人が清水山から法花山から馬に乗ってきたとき、松の木をひき抜いて投げたのが今だに横たわっている。法花山の西の口から入山したとき、鞭の先で岩を突くとそこから水が出て、今はそれが泉になっている。どんな旱魃でも枯れないのだという。また、玄米を積む船の船頭が、鉄鉢が米を乞いにきたときに米を入れずにいたら、米俵がすべて法花山に飛んで行った。船頭が謝ると仙人は米俵を船に戻したが、一俵だけ途中で落ちた。そこを米田村というようになった。
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キツネ 1956年 宮城県 伊達家御乱舞方の一噌流笛の名人鯰江八太夫が、この網地島(あじじま)に流刑となる。彼が毎日夕方海岸に出て笛を吹く度に、男の子が来て聴いていた。ある日いうには、わたしは年古くこの島に住む狐だが、近いうちに狐捕り弥左衛門が来るので笛を聴くのも今夜限りといい、殿様が松ヶ浜の御殿崎に出馬するから笛を吹くようにとその月日を教え、笛のお礼に源平屋島の戦を見せて姿を消す。殿様出馬当日、八太夫の笛は御殿崎までとどき、八太夫は赦免になる。
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ミカヅキショウニン,ムセイカエル 1974年 東京都 江戸の伝通院にいる三ヶ月上人は、学問の妨げになるので蛙の口を止めた。すると山内は蛙が多いが鳴く事はなかったという。これを無声蛙という。
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