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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ユメ
1976年
天皇に2人の息子がいた。兄の豊城命は、御諸山で槍と刀をふるう夢を見たといい、弟の活目命は四方に縄をめぐらして、粟を食う雀を追う夢を見たといった。天皇は夢あわせをして、兄は東国を平定し、弟は自分の位を継ぐようにいった。

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ウシイシ,レイム
1929年 東京都
右大臣頼朝が東国追討の際みた夢のなかに、菅神(菅原道真)が牛に乗って現れ「頼朝卿に二つの幸がある、武運満足の後は小社を営むように」と告げられた。目覚めてみると夢の牛と同じ形の石があった。同年、頼家が生まれ翌年には平家を討つことができた頼朝は、社殿を建てその際霊夢を見た後出現した牛石も寄付した。
類似事例

ユメ
1976年
天皇が雨に打たれ、首に錦色の小蛇が巻きつく夢を見たと皇后に話した。皇后は、反乱を企てている兄の沙本毘古に天皇を刺し殺すための短刀を与えられていたが、この話を聞いてすべてありのままに告白した。沙本毘古は討ち滅ぼされた。
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ロクブ,ヤマノカミ,ハクバニノッタカミ
1950年 山梨県
六部が山の神の処で寝ていると、白馬に乗った神がやってくる夢を見た。白馬に乗った神は山の神に、楽ジンと乞食に子供が産まれたので、それぞれ竹やりと米一石五斗を与えたと言った。朝起きてみるとその通りになっていた。成長した乞食の娘は楽ジンの子と一緒になり3年楽に暮らしたが、娘は乞食の子であるとして離縁され、奉公に出、その後別の楽ジンのもとへ嫁に行った。しかし元夫の楽ジンはその後落ちぶれた。
類似事例

(ニチリンジュタイ),ユメ
1973年
母親が、日輪が懐に入る夢を見て懐胎したので、豊臣秀吉の童名は日吉丸であったなどというのは、天子の御種を宿したことをさしているのだろう。
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ギョウキ
1952年 静岡県
天武天皇のころ、長者の門前にいた寡婦が、日輪が懐に入る夢を見て男子を産んだ。これが後の行基菩薩である。行基が故郷に戻った時、人々が魚を膾にして菩薩に勧めた。菩薩がこれを食べ池に吐き出したところ、皆小魚になって泳ぎ去ったと言う。
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ハチメンダイオウ,(ユメノオツゲ)
1990年 長野県
八面大王を征伐しにきた坂上田村麻呂将軍はそれを攻めあぐね、牧の満願寺の観音堂で一心に祈った。満願の夜、観音様が夢に現れて、「甲子の年、甲子の月、子の刻に産まれた男子が三三ふしの山鳥の尾を矢にすればきっと退治できる」と告げた。将軍は山鳥の尾を探すよう、国中に命令した。
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コステガワ
1956年 宮城県
万納長者の娘は、陸奥に下った橘豊日命(用明天王)との間に皇子を生む。命は迎えをよこすと約束して京へ帰ったが、迎えは来ず、重病になる。乳母は皇子を抱き、「御母が、白鳥が懐に入ると見てお生みになった御子なれば、元の白鳥となり、都に飛んで御父帝に御母の病を告げられよ」と河中に投ずる。娘も死に、乳母も投身し、三人とも白鳥と化して都に飛び去る。
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ユメ
1976年
宇治大納言が、夢で大きな蜜柑3つを見た。夢ときが、牛を3頭得るだろうと言うと、その通りになった。のちに、別の者がこれは3代の天皇の関白になるだろうと言うと、その通りになった。
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レイム
1975年
徳川有親という武将が、息子と2人、合戦に敗れ落ち延びていた。自害の志を固めて御守本尊の宇賀神に祈った所、夢に僧が現れて鼠色の衣を授け、この場を立ち退いて生き延びるよう告げた。目覚めた有親は宇賀神の加護だと感じ、近くの寺で出家した所、上人から鼠色の衣を授けられた。不思議なことだ。
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フドウミョウオウ,テンジン,ハゴロモ
1967年 福島県
三浦左近国清という人が太田村別所に住んでいた。世継ぎが無いことを憂い、馬場村の滝不動に美しい妻が得られるようにと祈願した。すると夢に不動明王が現れ、現世には配すべき女がいないので、五台山の奥の池で天人が水浴びをしてるゆえ、その羽衣を取れと言った。国清はその通り山に登り天人の羽衣を取って家に帰った。やがて天人は気付き、国清の家に行き羽衣を返して欲しいと願ったが返されず、ついには夫婦になった。二男一女をもうけたが、やがて子供たちが大きくなったから別れても立派に育つと言い残し、天女は羽衣を着て天に昇った。国清は悲しんだが、娘はそれにもまして悲しみ、ついには池に身投げして死んだ。中太田に姫塚と呼ぶ塚があるが、この姫を祀ったものといわれる。
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タタリ
1957年 熊本県
18代頼房が立って間もなく、祖父の頼興が死んだので、頼房の父春広の弟にあたる頼孝、頼堅、長蔵の3人が、頼房を殺して領土を3分しようとした。頼堅は敗れて殺され、頼孝はかこまれて自殺した。頼孝の霊は甚だ祟りをなした。
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カミナリ
1934年 愛知県
敏達天皇の御代に、一人の農夫が田の水を引きに出掛けて、雷雨に会い、木の下で休んでいると、落雷した。雷は子供のような姿で現れ、私を助けてくれれば汝に子を授けようといった。農夫が望み通りにすると、雷は昇天し、後になって子を得たという。
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レイム,シンリュウ
1983年 大阪府
聖武天皇が、平城京の西に救世観音象がおわす霊夢を見、行基に命じてこれを求めさせた。行基が誓いを立て深山に分け入ると、十六童子に導かれてある場所へ至った。その時山川震動して神龍が現れ、観音と自らの掌を行基に与え、仏法守護を誓った。話を聞いた天皇は尊崇し、寺を建てて像を安置した。
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レイム
1976年 東京都
享和年中、巣鴨のある武家の弟が、不思議な夢を見た。それは三方に生首が置かれ、その首に何拾何番と記しがあった。その頃谷中の感応寺で富くじが行われていたので、夢に見た番号を買ったところ、富に当たったという。
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シラトリ,モチ,イモ
1949年 大分県
景行天皇の世に菟名手(うなで)というものが、豊前の国にいき中津郡中臣という所に泊まったとき、その翌朝白い鳥が北方より飛んできた。菟名手が供の者をやって見させると、その鳥が餅になり、そして芋になった。菟名手が喜んで朝廷に報告すると、天皇は「豊かなる代の兆なり」といい、豊国直(とよくにのあたへ)という名を菟名手に与えた。
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ユメ
1976年
豊太閤が朝鮮王に送った書簡に、私が妊娠した時、母は日を呑む夢を見たとある。このような話は、天台山沙門陽勝や、蓮師三国氏などにもある。
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アタゴヤマノトビ
1976年 京都府
天人熊命が化して三軍の幡となった。その後神武天皇が長髄彦と戦っていたが勝てなかった。その時金の鳶が飛来し、天皇の弭に止まった。その形は流電のようで、敵軍は皆迷眩した。天皇は喜んで、愛宕山に住ませて天狗神を領させた。
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ユメ,タケブエ
1980年 香川県
継母は継父と相談して2人の継子を殺すことにしたが、死んだ実の母親が娘の夢に現れてその計画を告げ知らせた。娘はある和尚に助けを求め、殺されずに済んだ。しかし息子は和尚が駆けつけた時すでにゆで殺されてしまっていた。息子を埋めた場所には竹が生え、その竹で笛を作ると、実の父親に会いたいと言って泣くのだという。
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マツノキノセイ,アコヤノマツ
1967年 福島県
信夫の郡司藤原豊光に阿古耶姫という娘がいた。ある晩、緑の衣に黒の袴をはいた少年が娘の枕元で「われは十八公の長で千歳山に住んでいるが、近いうちに斧の災を受ける。ついてはそなたの引導に預かりたい」と訴え消えた。その後この国の名取り橋の修理をするため千歳山の老松の大木が切られたが動かない。夢の少年が松の木の精だと気づいた阿古耶姫が声をかけると、軽々動いた。松の苗を切り倒したあとに植えて弔ったが、それが阿古耶の松といわれるようになったという。
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クズリュウシン,リュウ
1928年 長野県
九頭龍山の本性を見ようと山に入り、水の中に沈んで死んでしまった代官の子孫が、「夜が明けたら一夜山を見よ」という九頭龍神の夢告を受けた。夜明けに山を見ると、九頭を持った龍が山を七巻半していた。
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