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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

シンリョ,(キセキ)
1976年 東京都
木梚町に貧しい商人の親子がいた。息子は平素から実直で親孝行であった。ある時この息子が大病にかかり、母親は、朝鮮人参を飲ませれば効くかもしれないと聞いたが、そんな高い薬は買えない。そこで八百屋で買ってきた人参を煎じて飲ませたところ、息子は医者からもらった薬だと思いこんで飲み、病気も治った。

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テン,コウシン
1974年 奈良県
南部から大坂に行く途中に竹の打越という峠があり、その近くに貧しい家があった。家の主がある時痢病になり、自分の子供に鱣が食べたいと頼んだ。しかし家は貧乏で買う事ができず困っていた。しかし水を汲みに川へ行ったところ、水桶にいつのまにか鱣が入っていた。天がくれた物だと考えた娘は早速父親に食べさせたら、彼の病は次第に回復していった。それから水を汲みに行くと毎回鱣が桶に入っていたというが、それを食べた者は疫痢が治ったという。これは孝心の深さゆえの出来事と考えられた。
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カッパ
1931年 岩手県
馬の手綱に河童がつかまっていたので、亭主が殺そうとしたら、河童は助命を願い代償として内傷の妙薬を教えた。その後一子相伝としてこの家に薬が伝わっているのだという。
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(ヤマノカミノタタリ)
1942年 高知県
息子が、山の神のお怒りを受けて患い、お詫びに松と杉を山の神の前に植え、根元に五穀を埋めるまじないをして治ったという。
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カッパ
1967年 長野県
川で馬を洗っていると、下から河童が引き込もうとした。しかし馬の手綱に絡まった河童は陸に上がった。人々が手打ちにしようとすると命乞いをする。代わりに薬の調合を教えてもらう。その薬は評判となり後々まで財をもたらした。
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カンゼノンボサツ
1970年 山形県
弘化年間、長町にせんという、産婆を業とする女がいて、人々に慕われていた。ある秋、仕事帰りの夜道で、8歳ほどの男の子に声をかけられた。翌春の彼岸の晩、その男の子は再び現れ、紙包みを手渡した。男の子の正体は高松の観世音菩薩で、包みの中身は徳利だった。徳利からは病人を治す蜜が出て、霊験あらたかな徳利としてたちまち評判になったという。
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カッパ,ジュウイチニノショウニ
1991年 山梨県
下條村に切疵の薬を売る農家があった。その父が師走の末に釜無河原を通ると11、2なる子が馬の尾に縋っているのでそこをどけというが、聞かないので山刀を抜いて切るまねをするとたちまち消えてしまった。宿へ帰って馬を洗おうとすると、尾房を猿の腕のようなものが掴んであった。その翌朝戸外に小供の声がして、主人を呼ぶ。戸を開けると112の小児がいて平伏し、私は釜無川の河童だが、腕を接ぐ妙薬があるから腕を返して欲しいという。河童はその薬方と腕を交換して帰った。これが国中に名高い下條の切疵の薬である。
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ヒーヌシー
1985年 沖縄県
病気の親の薬代を稼ぐため、奥山へ椎の実を拾いに行った。暗くなりかえり道もわからなくなった。大きな木があり、その木にもたれて寝たら、夢に小人みたいな木の精(ヒーヌシー)がたくさん出てきて、歌を歌って回った。翌朝目が覚めたら、頭の上のザルに一杯椎の実が入っていた。この人は椎の実を打って薬を買い、親の病気を治したという。
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カッパ
1967年 福島県
草刈場に行った馬の尻尾に河童が絡みついたので、馬は驚き駆け出した。追いついてみると、河童が死にかけていたので助けてやった。そのお礼に骨接ぎの妙薬を教えてもらい、家伝薬とし、今でも販売している。
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(サワノミズ)
1990年 長野県
三河の老人が病気になったとき、「昔飲んだことのあるしげ沢の水が飲みたい」と息子に言った。息子ははるばるやって来て水を汲み帰ったが、最初の水は違った。もう一度詳しい場所を教えてもらって水を汲み帰ってその水を父親に飲ませたところ、病気はたちまち治った。
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テンニョ,セントウ
1941年 朝鮮
大同郡秋乙美面衣岩里の若者が、貧しい暮らしで病気の父の看病に思案に暮れていた。村人から仙桃という天界の桃を食べれば癒えると聞いた。ある日大同江に天上から乙女が7、8人下りてきて水浴しているのを見た。一枚の衣が若者のところに吹かれてきて、天女が泣きながら探した。若者は衣と引き替えに仙桃を貰い父の病気を癒した。衣岩里というのは、天女の衣を掛けたということからだ。
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ネズミ
1980年
鼠を非常に愛して飼っていた商人がいた。ある時商人の手を鼠が噛み、商人は重い病となった。商人は人間に対する様に鼠に向かい文句を言ったところ、鼠はいなくなったかと思えば、商人が寝ている間に薬草を持ってきた。商人はその草の汁を傷口につけ、煎じて飲むと忽ち解毒され完治した。
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カマドガミ
1965年 岩手県
ある海辺の貧しい親子が正月用の門松を切りに山に入り、父の切った松を門松に使い、子の松は海に流した。すると翌朝、見知らぬ人が門松をくれたお礼としてご馳走に招待してくれた。ご馳走の帰り、さらにお礼をしたいというので、カマド神をもらって帰った。そのご親子の家は繁盛するようになった。
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(カッパ)
1991年 山梨県
村の庄屋、安太郎家で、ヒジロに挿しておいた魚が盗まれるので、家人が注意してみていると、ある晩ヒジロに濡れしょぶれた黒い得体の知れないものがうごめいている。その怪物は川口湖の方へ逃げ去ったが、ヒジロには幾重にも紙に包ん河童膏の処方書が入っていた。その膏薬をためしてみると深手の切傷もたちどころに治り、近郷近在にも評判となったので、安太郎家では蛤の貝殻詰めにして各地へ売り広めるまでになり、昭和初期まで湖畔の名薬として販売していたという。
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ヒョウスンボ,カッパサン
1992年 宮崎県
延徳1(1489)年の事と伝わる。馬に乗って川を渡ろうとした正一家の先祖にひょうすんぼがじゃれついてきたので、刀で右手を切り取った。ひょうすんぼが返してくれと頼むので返すと、山桃の木の皮と茶の葉をもち米で練った秘伝薬の作り方を教えてくれた。骨接ぎ・腹痛・センシャク・打撲に効き目がある高城薬の由来。正一家では12月31日の夜に、かっぱを斬った川の端でお神酒を供えて供養している。
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キツネ
1940年 滋賀県
狐の一家の面倒を見てやった善養寺の者は、お礼として薬の製法を伝授された。それで作った薬は大変好評で、お金持ちになった。狐自らが売り広めに回ったという。
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シンケン
1974年 神奈川県
伊豆国岩浦のある家に寄宿したところ、その家の僕者の子が病気になって、諸国を巡礼しているあなたに祈祷してほしいと頼まれた。凡俗の身なのでその様なことは出来ないと答えたが、気の毒なので奥州塩釜明神のお供えを与えたところ治った。
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アクソウ
1976年
昔、ある商人の左腿に瘡ができた。その形は人の面のようであった。酒をその口の中に入れると面色が赤くなった。多く食べさせれば腿の肉が張った。食べない時は臂がしびれた。ある名医が貝母を試すと、瘡は眉をしかめ眼を閉じた。そこで葦の筒で口を破り、貝母を注ぎこんだ。数日後にはかさぶたになり治った。
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(ホウソウジン)
1980年 岡山県
備藩の野崎弥助の次男が幼く、まだ疱瘡に罹っていなかった頃、岡山で痘が流行していた。ある日乞食の老婆が門前に立ち、妻が銭を施したところ、自分は疱瘡神だが次男の疱瘡を軽くしようという。次男は翌日に熱を発したものの軽かった。但し自分の家で調理したものは一切食べなかった。
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トソサン
1980年 大阪府
大坂に近い村に住む某医者は、医術が下手であった。しかしある年の夏に霍乱(激しい下痢や嘔吐を伴う病)の者を忽ち治療した。その方法を問うと、霍乱は「鶴舞」とも書くので実にめでたい病気だから、薬もめでたい名前をもつ屠蘇散を用いたところ、病と相応して即座に平癒したのだと自慢して答える。
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フルダヌキ
1982年 滋賀県
お医者さんの屋敷の裏の竹薮に住みついた狸が、観音様にお参りに行く人にいたずらをするので困る。ある晩、病人のおばあさんに膏薬を貼ってやると、それは観音様の堂の裏に張ってあった。いたずらは続いたが、竹薮は残したので、家は栄えた。
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