セイリュウイケ 1976年 大阪府 四天王寺の金堂下に青竜池があり、昔は荒陵池という広大な池で、青竜が棲んでいたが、伽藍建立の時に埋め、青竜を鎮め祀って、僅かに池を残した。これが亀井の水の源となっていて、清水が常に湧き出る。
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レイジャ 1983年 愛媛県 安楽寺は昔淵であったが、そこに霊蛇が住んで庶民に害をなしていた。嘉元二年に宇都宮永綱がその蛇を射止めたが、その霊蛇が祟りをなすようになった。そこで嘉暦元年、その淵の半ばを平げ、大小二つの池を掘り、精舎を草創して霊蛇を断した。
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ヤマノテラドウウンジ,ダイジャ,シロキツネ 1956年 宮城県 女とその懸想した男が大蛇となってから500年経た暦応元年(1338)、加州金沢の大乗寺三世明峯素哲禅師が陸奥に弘教し、岩沼竹駒神社の初午に参詣した時、老翁からこの話を聞き、その案内で大菅谷保の藤左衛門の家に泊った。翌未明山ノ寺の南の丘に登って大蛇の棲む寺跡の湖水を見、7日の間祈祷したのち一喝して杖を投ずると2頭の大蛇が現れて逃げ去る。そのとき白狐が飛び出して禅師に感謝し、永く寺の守護を約する。禅師が祈祷した地に寺を建て実相寺という。
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(ショウトクタイシノフウイン) 1976年 大阪府 当寺(四天王寺)の境内には池が多く、蛙も多いがなぜか鳴かず、また毒虫の生じることがないのは、かつて聖徳太子が封じたからだという。
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シテンノウジノナナフシギ 1922年 大阪府 大阪の四天王寺には七不思議がある。龍の井、亀の水、二股竹、梅ケ枝の手水鉢、石橋、虎の門の猫、樋がない、がそれである。
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ミャウジン,アカイ,ウ 1983年 奈良県 当寺に諸神を勧請した所、我は閼伽水を献上しようという若州遠敷の明神の神託があった。するとたちまちに黒白の2匹の鵜が石地から飛び出し、そこから甘泉が湧き出した。そこで、その泉の周りを石で囲み、閼伽井とした。
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ナナフシギ 1931年 大阪府 天王寺には以下のような七不思議がある。即ち、1、南門の仁王の作者について詳細が分からないこと、2、南門の上を鳥が飛ばないこと、3、五重塔の露盤が萬代色を易えないこと、4、境内の樹木は如何に繁茂しようと金堂の屋根より高くはならない、5、境内一円は雨垂れが落ちても地面が凹まない、6、境内の池の蛙が一声も鳴かないこと、7、亀井の水に関する謂れ、の7つである。
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ダイジャ,アカイ 1983年 京都府 鞍馬寺の寺記によると、延喜年中に寺主だった峯延和尚が或る年の5月に、大蛇に遭遇した。和尚を呑もうとしたので、大威徳明王の法や毘沙門の呪を唱えると、蛇は自ら倒れたが、雌の大蛇は助けた。そこで和尚が言うには、この山は水が欠乏するので水を施せと。蛇は誓って去ると、忽然として清らかな泉がわき出た。それが閼伽井である。
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ニナ 1981年 愛知県 岩屋寺を流れる玉川には、弘法大師ゆかりの蜷(にな)が棲んでいる。ワラジ履きの大師の足を傷つけた蜷は「後世まで尻は四角になれ」とさとされて、今もお尻が切れている。
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テング 1995年 和歌山県 度重なる火災で仮の堂になっていた法燈寺に、杉の坊という旅の僧が泊まった。その僧に寺の建立を依頼したところ、杉の坊は天狗の大親分で、配下の天狗を引き連れて一晩で七堂伽藍を打ち建てたという。
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ヒケシベンテン 1996年 愛知県 慶長5年、鳥羽の九鬼軍が略奪目的で岩屋寺本堂に火を放った。そのとき、白馬に乗った天女が現れ、南門に近い「弁天の井」から水をすくい、本堂の棟に水を投げた。すると火が消え、本堂は元のままになった。九鬼軍は恐れをなして何も取らずに逃げ出したという。天女は藤島の弁天様だった。
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レイジャ 1985年 愛媛県 淵に蛇が住んで住民に危害を加えていたが、嘉永二年に宇都宮永綱が射止めた。ところがその蛇霊が祟るようになり、淵を平らげ、寺を造って蛇霊を断じた。
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ナナフシギ 1920年 大阪府 大阪四天王寺七不思議。宝塔第一の露磐閻浮檀、亀井の水、金堂の雨、池の蛙、金堂内陳のはしら、石の鳥居、南大門。
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コヘビ,リュウ 1928年 新潟県 大石の中から小蛇が4匹出てきた。ある寺の和尚はそれを殺さず、河へ放してやった。やがてそのときの小蛇が龍となり、今でも山奥には4匹の龍がいるという。
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リュウ 1970年 山梨県 天文年間、雲玄洞大和尚が淵に住む悪竜を教化して去らしめた。その跡に立てられたのが、竜泉院である。
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ジゾウボサツ,セイメンコンゴウ 1983年 愛媛県 柿の木部落に地蔵菩薩を信じる兄と青面金剛を信じる弟がいた。弘法大師がやってきて兄弟に感心し、それぞれ仏像を刻んだ。後世、松が鼻に地蔵堂を、松尾坂麓に青面金剛の堂を作った。乱世で失ったが、その後北宇和群広見町深田の庄屋河野勘兵衛通行が松が鼻で石を枕に寝ていると夢地蔵菩薩が現れ、掘り出して供養すれば婦人のお産を安泰にする、と告げたので掘り出して祀った。これが現在の子安地蔵である。その後再び夢のお告げと二匹の猿の導きで松尾坂の青面金剛も掘り出し、お堂を造り祀った。これが現在の庚申堂である。
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カエルカッセン 1974年 大阪府 桓武天皇の延暦3年5月に、蝦蟆が2万匹ほど集まり、難波市南道より南行し、四天王寺境内に入った後ことごとく散り去ったという。これを蛙合戦という。
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アクギョ,タイギョ 1993年 香川県 昔、景行天皇の御代に、悪事を繰り返す大魚が土佐の沖にいた。天皇は日本武尊の子供である霊子に討伐を命じた。霊子は悪魚を退治し、その後讃留霊王と呼ばれて慕われた。里人は悪魚の祟りを恐れて地蔵堂を建立した。
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(イシトカシタウシ) 1976年 大阪府 当寺(四天王寺)創立の時、材石を牛車で運送していた。成就の後、その牛が石と化したのを、天王宮の南に石神の祠として祀っている。
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レイスイ 1976年 大阪府 槙尾寺の霊水は、弘法大師がこの寺にいた時、山院の地が狭く用水が自由にならなかったため、文を咒して水を呼んだら、たちまち水が湧き出たという。今でもこの水はあり、土俗はこれを智恵水と呼ぶ。
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