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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ミャウジン,アカイ,ウ
1983年 奈良県
当寺に諸神を勧請した所、我は閼伽水を献上しようという若州遠敷の明神の神託があった。するとたちまちに黒白の2匹の鵜が石地から飛び出し、そこから甘泉が湧き出した。そこで、その泉の周りを石で囲み、閼伽井とした。

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ミャウジン,アカイ,ヲトナシカハ
1983年 奈良県
ある年、日照りで二月堂の井が涸れ閼伽が欠乏しそうになった時、僧たちが閼伽井の周りに並び、はるかに若州に向かって持念したところ、たちまちに水が満ちた。その時、遠敷の明神の前にある河の流れが絶え、水の音もなくなった。それより、この河を音無河という。今も閼伽水を若狭と呼ぶのはこのためだ。
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ダイジャ,アカイ
1983年 京都府
鞍馬寺の寺記によると、延喜年中に寺主だった峯延和尚が或る年の5月に、大蛇に遭遇した。和尚を呑もうとしたので、大威徳明王の法や毘沙門の呪を唱えると、蛇は自ら倒れたが、雌の大蛇は助けた。そこで和尚が言うには、この山は水が欠乏するので水を施せと。蛇は誓って去ると、忽然として清らかな泉がわき出た。それが閼伽井である。
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チボチノイケ,タタリ
1987年 長野県
佐久町余地のちぼちの池をめぐる話。ちぼちは禅宗で小僧の意。昔,この寺に和尚と小僧がいた。日照りで寺の井戸が涸れたので,和尚は小僧をちぼちの池まで水汲みに行かせた。小僧はその苦しさに耐えかねて池に身を投げ,以後夕方になると池の端に白い坊主のようなものが現れるという噂が立った。また,村の田畑が荒らされるようになり,村人はちぼちの祟りかもしれないと言って恐れた。その頃自成という名僧がこの村を通りがかり,池の辺で金剛経をあげると,池の底から「ありがたいお経を聞いておれも浮かばれる」という声が聞こえた。それ以来化け物は出なくなり,田畑も荒らされなくなった。自成は村人に請われてこの寺の住職となった。
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ダイジヤ,ヂネン,アカスイ
1983年 京都府
鑑真僧正が鞍馬山に分け入った折、雌雄の大蛇が前を遮った。そこで僧正が持念すると、1匹の蛇がたちまち滅した。もう1匹の蛇は、この山に用水を絶やすなと言って助けられた。それ以降、本堂の北にある閼伽水が湧き出て、どんな旱魃の時にも絶えることはなかったという。
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イヌ,ミズ
1949年 沖縄県
南山王国の城山の北麓に嘉手志川という大清水がある。昔この土地の人々が飲料水が少ないことから、何れかの土地に退去しようとしていたときに、岡の茂みから犬が飛び出してきてそこに泉があることを知った。そしてこの地を安住の地とすることができた。今も井泉の上の石をその犬の霊の宿るところとして拝している。
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ヘビ,カニ
1976年 京都府
昔、綺田に美しい女がいた。ある時、村人が蟹を食べようと沢山取っていたのを、女は魚と交換して助けてやった。次の日、女の父が蛇が蟇を呑んでいるところを見つけ、蟇を逃がしたら娘をやると言った。蛇はすぐに蟇を放して去った。その夜、どこからか男が現れ、昼の約束の通り来たという。まだ娘に話していないというと去った。娘はそのことを聞いて仏前で読経をはじめた。蛇が現れ閨に入った。村人が戸を開いて中を見ると、女は無事で、蛇が数万の蟹に挟まれて死んでいた。村人はその所に寺を建立し蟹満寺と号した。
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ダイジャ,ナハハチロウ
1982年 群馬県
みどろが池の大蛇が毎年暴れて洪水を出すので人身御供に娘を出していた。小幡氏の娘、梅津姫が人身御供になったとき、公家の若様が通りかかり、二人で池の岩屋に行った。若君が問い掛けると大蛇は「私は那波八郎という者で、榛名の郡司の若者だったが、兄弟に図られた恨みで蛇になったのだ」と言ったので、2人でお経を唱えると、蛇は成仏して那波大明神になった。若君は姫と結ばれ、2人は白倉神社に祀られた。
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ダイジャ
1994年 愛知県
鵜がたくさんいる鵜の山のふもとには大きな池があり、この池の水を抜くと鵜が逃げてしまうので水を無くしたことはなかった。上野間の人が池の水を抜きにいったが、池に大きな大蛇がいたので驚いて帰った。しかし別の人が池のいりを抜き、その人は祟りで病気になって死んだ。以来、いりを抜くときは必ず御神酒を供えるという。
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タケコマジンジャ
1956年 宮城県
承和2年(835)4月、参議小野篁が国司に任ぜられ多賀国府に下るとき、京の稲荷山の分霊を陸奥に勧請するため長櫃に収めて下った。途中、千貫松のふもとで八声鳴いて白狐が長櫃から飛び出し、武隈の森に走り込む。ここに社を建てよという神の告げとして分霊を祀る。陸奥に下った能因法師が、篁卿の建てた社の所在を竹馬に乗って遊んでいる童子に教えられたというので、寺を開き竹駒寺と称して別当とする。
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アカルヤマ
1987年 長野県
旧久能村のくまの穴(宇芳院の穴)から鶏を放すと,この山の奥の院の北側の大穴に出て「コケコッコー,明るいなあ」と鳴いた。そのため閼伽流山の名がついたという。
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ロッカクイド
1929年 長崎県
昔、富津という部落では水が乏しく一つの井戸もなかった。ある時行脚僧(弘法大師)がこの村を訪れて、とある家に飲み水を求めた。すると老婆が遠くまで冷水をくみに行ったので、気の毒に思った僧は近くにある大楠の根元にまじないをかけた。掘ると清水がこんこんと湧き、これを今では六角井戸(ガハ)という。
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シンランショウニン
1979年 山梨県
ある日の夕暮れに、1人の旅僧がやってきて泊まった。翌朝、ここは清浄なところだから何日か行をやりたいというので、堂へ案内した。婆さんが家の内に水の出る所はないものかと捜していると、その旅僧が場所を示した。掘ってみると清水がわき出した。ただし、この水はこの家の入用だけしか出ず、女性が不浄の時には汲んではいけないと約束した。ある時、婆さんが約束を忘れて水を飲んだところ、水が止まってしまったが、坊さんに話して拝んでもらうと、また水が出てきた。後にこの名僧は親鸞聖人であることがわかった。
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オニ
2002年 山口県
大昔大唐から鬼が渡ってきたので、毒酒を振るまい退治したが、3つの鬼は蓋井の森の脇で倒れ、また1つの鬼は高野の森で倒れた。その後祟りがあったので神に祀った。
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センゴクイド
1986年 大分県
人々が水に不自由し,遠い谷から水を汲んでいた。ある日旅の僧が水汲みの老婆に水を所望したので,老婆が快く与えるとその後そこにきれいな清水が湧き出た。
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ネコ
1975年 静岡県
遠江国蓁原郡御前崎の西林院の僧が猫を助けた所、その猫が寺にいついた。ある時寺男が縁側で昼寝をしていて、猫も隣で庭を眺めていたところ、隣の家の猫がやってきて寺の猫を伊勢参りに誘った。しかし寺の猫は、住職に危険が迫っているからと断った。夢現で聞いていた寺男は不思議に思ったが、その夜、天井裏で大きな音がした。4、5日前から逗留している旅僧の雲水はその音にも起きてこなかった。翌朝天井裏を見ると、寺の猫と隣家の猫が血を流し倒れており、その傍らで雲水の服を着た大きな鼠が瀕死の状態でいた。
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イイヌマノテンジン,シンドノトガメ
1973年 茨城県
浅草報恩寺は元々下総国飯沼にあった。法然の弟子だった性信が、この寺を建立した年の冬に老翁がやってきて、法話を聞いて感動し、自分は飯沼の天神であることを告げる。そして師のために長く擁護するといった。また天満宮の禰宜の夢に出て、師恩の為に鯉2匹を備えさせた。後年、禰宜がそれを怠るとその年の祭礼で、大木が折れたり池の鯉も絶えた。これは神怒のとがめと言われた。
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スイミャク
1983年 福井県
若狭国の鵜の瀬にある遠敷大明神の社には川があり、この水は京都知恩院の八幡宮前の神地の石に下からよどみ出るという。2月のお水取りの際には水が涸れるといい、若狭と大和に通じる水脈のせいだという。
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レイセン,サカナミ,トリ,ヘビ
1976年 大阪府
難波の玉作の里にある亀井の霊泉は、1300余年経っても涸れることがない。かつてこの地に四天王寺が創立されていた時、逆浪があふれ鳥蛇が集まって、堂宇を破壊した。そこで25年後、今の地に移転して、再び伽藍を建立したという。
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リュウジョ
1970年 愛知県
伝教大師が熱田の宮に参篭中に竜女が現れた。竜女は竜泉寺の池に住む竜女だと名乗り、一妙句を授けてくれるように乞うた。大師が竜泉寺を訪ねると竜女が現れた。竜女は大師から妙旨を受けて喜び、今後旱魃があれば必ず甘雨を降らせることを約束した。
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セイリュウイケ
1976年 大阪府
四天王寺の金堂下に青竜池があり、昔は荒陵池という広大な池で、青竜が棲んでいたが、伽藍建立の時に埋め、青竜を鎮め祀って、僅かに池を残した。これが亀井の水の源となっていて、清水が常に湧き出る。
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