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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ニッタシロウヨシサダ,ニッタヨシサダ,タタリ
1940年 岐阜県
新田義貞が死んだとき、骸骨が蚕に変身し、そのまま川に入って以後、村では火災が後を絶たなかった。それは新田義貞の祟りであるとされ、墓が建てられた。

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シチベエ,タタリ
1985年 愛媛県
昔、ドゾの谷にいた七兵衛が洪水で家もろとも流されて死んだ。その後、部落では不作が続き病気が流行ったので、村人たちは七兵衛さんの祟りと言って、墓を作り祭るようになった。
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ニッタダイミョウジン
1983年 東京都
新田義興は、延元3年9月、江戸遠江守・竹沢右京亮のために、矢口村で自殺し入水した。その後、江戸・竹沢の両人は、義興の霊が祟って程なく死んだ。また矢口村にも怪しいことが度々起こったため、人々は恐れをなし、社を建てて新田大明神と崇め奉った。
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シロギツネ
1991年 愛知県
新羅三郎義光が年老いた白狐を射止め、その場に埋めて村を去ったあと、村に災いや病が次次と起こる。塚を作ってまつると災難は止まった。
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ヨナキイシ
1940年 福井県
神社の境内には夜泣石がある。新田義貞が愛した石だといわれていたが、庭石としておいていたら夜になると泣くようになった。この石を置いた家は家運が下がり、何かの祟りであろうといわれたので、神社におくことにした。
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オオカシワノレイ
1993年 岐阜県
昔、柏ヶ根地区で川の氾濫のために、墓から人骨が流出した。人骨を神木といわれた大木の根元に埋める。人の悲鳴が聞こえたりするが、木を祀ったりはしなかった。戦国時代が終わるころ、村で発狂する者や、高熱にうなされる者が現れ、神木の祟りだということになった。
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キツネ
1944年 福井県
ある男が死に、棺に入れて通夜をしていた。すると死者が呼ばったり、鍋で煮ている豆を知らぬ間に食べてしまったりした。狐が憑いたということである。
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モリキ,タタリ
1984年 長野県
森に稲荷があり、その森の所有者が半分の土地を売って開墾した。その材木を使って蚕室を作ったが、上手くいかず売り払ってしまった。それを買った人も火事にあった。これらは社樹の祟りだろうと言われた。
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ダイジャ
1959年 千葉県
ある貪欲な村人に無実の噂をたてられて悶死した住職が、後年大蛇になって寺に現れ、怨みを晴らしたいからあの村人に引導を渡すなと現住職にいった。日をおかずその村人は死に、その葬式のとき天が俄かに曇って棺に大落雷があり、村人の死骸は付近の神社や地蔵様に四散したという。
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ニシン,クロギツネ,タタリ
1929年 北海道
文政6年に鰊漁をした網を乾かしていたところに、黒狐がひっかかって死んでいた。それを町役所に献上し、同じ年に稲荷ができ、狐の皮を神体とした。鰊は狐を嫌うため、稲荷を建てて狐の祟りを鎮めたのである。
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ヤエモンサマ
1979年 静岡県
昔、泥棒がいた。村人に追われて、天竜川まで追いつめられて村人たちに川に突き落とされて死んだ。ところがその後、祟るようになったので、ヤエモン様として公民館の前のところに祀ったという。
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マ,アクレイ
1975年 愛知県
享保年間、西三河山中村で死んだ子供を火葬にしたところ、伯母がその亡骸を火から取り出し喰らった。その話を聞いた村の者が数十人で墓所へ行ったところ、伯母はすさまじい顔つきとなり、人を飛び越え行方不明となった。この伯母は普段から凶悪の者だったので、魔が入れ替わったのだろうという。道心者がこの悪霊を弔った。
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オボウサンノタタリ
1990年 山梨県
役場の手前にある国道のトンネルの上に塚がある。それは、お坊さんが徳和のブラクへきて、煮えた粟をかけられて便所へ飛び込み、そこから出て来て、塚のところまで行って亡くなった。その時にこの祟りは必ずするといった。そのあと、何年おきかに徳和ブラクは火災に遭い、話者の小さい時や、20年くらい前にもお坊さんの祟りでそういうことがあった。
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メイドウ,タタリ,オノノケヒト,オニビ
1974年 和歌山県
紀伊国高野川の北に非常に険しい山があった。この山に人が登る事があると忽ち鳴動し、樵夫が木を伐ると祟りをなして病気になるという。ある至孝の農民が、病床の母に頼まれた山鳥を狩りに山に入り、鳥は得たが道を失った。杉の陰に燐火と思うものが燃え農民を呼ぶ声がした。見ると貴人がいて、自分が祟りをなしていた、地面の下を探って寺に移してほしいと言う。山を下りて後、法師と山を探ると骨があり、それは小野毛人のものであった。
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ソウトウノヘビ
1966年 秋田県
山に柴を刈りに行ったら、滝の沢というところで馬が動かなくなった。頭が二つで尾のない蛇が潜んでいるのが馬には見えたのだった。村の若者が火をつけて蛇を焼いてしまったが、最初に火をつけた人は病気になって死んでしまった。蛇の怒りと言うことで、そこに神社を建てた。
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タタリ,レイケン,ニッタヨシオキ,ニッタダイミョウジン
1977年 東京都
武州荏原郡矢口村での新田大明神のことである。新田義興が畠山道哲、江戸遠江守竹沢右京亮に謀られ殺されて以来、両家に祟るようになった。享保13年3月将軍が新田の社に参詣しようとしたら、お供に竹沢の末裔がいた為、急に天気が悪くなった。また社に無礼な振る舞いをした者が急に気絶した。
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ヨロイタ
1975年 秋田県
鎧田の説明。武士が戦いに負け、鎧のままで倒れていた。その鎧を盗んで死体だけ埋めた。その霊を丁重に弔うことがなかったため祟るといわれる。
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リュウ
2001年 奈良県
池に龍が住み村人を食べた。春日明神の化身の武士が退治した。龍の屍骸を埋めた上に寺を建てた。
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ウシ
1965年 兵庫県
昔火事で牛が焼け死に、牛の亡霊が出たので大日様を祀ったのが、大日神社の由来。
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(ムクイ)
1974年 奈良県
和州高市郡鳥や村で、親不孝な大悪人が死に、死骸が走り出た。葬式の時、天気が穏やかなので、人々が不思議がると、急に悪天候になった。火をつけ翌日見に行くと、起き上がり居た。灰にするのにも2日間かかった。
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シニン,タタリ,サクラ
1989年 長野県
昔、城があった場所には何人かの武士が生き埋めにされたので、供養のために塚を作り桜を植えていた。その後、その木に傷が付くと血が流れ出たという。塚が崩され田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。その土地を買った家でも不幸が続いたが、社を造って近親者で祭を行うと、商売が繁盛するようになったという。
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