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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ハクウ
1978年 京都府
天明6年12月、山科郷で猟師が変わった鳥を捕まえた。見世物師が欲しがったが、妙法院殿がこのことをお聞きになり召し上げられて叡覧に備えられ、白烏であるかもしれないから、菅家清家に瑞兆であるかどうかの意見を申すようにとの勅があった。

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ハクウ
1974年 京都府
宝暦13年に後桜町天皇が即位した日、何伝の上に白い烏がいるのを、後日京極の宮の家司である下平儀重が見たとして報告し、賞されたという。
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イチョウ,ウトウ
1935年 青森県
允恭天皇のとき、烏頭中納言安潟は勅勘を蒙ったが 高倉の霊夢により外ヶ浜についた。安潟の死後、どこからかひと番の異鳥が飛んできて、雄がうとうと鳴けば雌はやすかたと鳴いた。ある時猟師がその雄を捕らえると、メスはそれを悲しんで啼いたが、まもなく猟師も非業な病に倒れた。里人は恐れて塚を立てて祀った。後に勅使が下って三角相という桶にこの善知鳥安潟をとらえ、大神宮に祀ったという。一説にはこの鳥は海鳥で、砂の中に巣をつくり雛を養育し、母鳥がうとうと呼べば、子鳥がやすかたと答えるという。
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ケチョウ
1975年 神奈川県
建久4年1月5日に工藤左衛門尉祐経の家に怪鳥が入った。名前は分からず、形は雄の雉のようであった。卜筮が行われて謹慎せよとの結果だったが、この年の5月28日に祐経は曽我兄弟に討ち取られ、その前兆と言えるか。
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ショクカケイ,カズハル,ヒクイドリ
1978年
丁卯11月に姫路侯の邸で変わった鳥を見た。形はだちょうのようで、とさかは金色、首の毛は翠で赤いところもあり、全体に黒い毛で覆われ猪のようであった。爪は銅色で中指ほどの大きさで、高く飛ぶことはできない。炭火や石を食べ、饅頭なら1日100個を食べた。
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カミナリ
1978年 京都府
天安2年6月、雷雨の夜に左近衛大宅年麿が北野から稲荷神社の辺りを見たところ、両鶏が空中で戦っているのが見えた。その色は赤かった。戦っている間羽根が散り落ち、遠くのはずが、近くのことのように見えた。
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シラトリ,モチ,イモ
1949年 大分県
景行天皇の世に菟名手(うなで)というものが、豊前の国にいき中津郡中臣という所に泊まったとき、その翌朝白い鳥が北方より飛んできた。菟名手が供の者をやって見させると、その鳥が餅になり、そして芋になった。菟名手が喜んで朝廷に報告すると、天皇は「豊かなる代の兆なり」といい、豊国直(とよくにのあたへ)という名を菟名手に与えた。
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シロカラス
1974年 新潟県
天保3年春に、越後魚沼郡塩沢に住む鍵屋治左衛門の園の樹に鳥が巣を作り、雛が3羽生まれた。その中に真っ白な烏の雛を見つけた。はじめは嘴と足が薄紅だったが、成長していく内にそこも真っ白となったという。
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ハクツル
1977年 栃木県
寛永14年4月のはじめ、東照大権現の造替の地引があり、多くの人が集まっていたところに白鶴が1羽やってきた。そういう時でもあったので、みんながめでたいしるしと思っていると、また天から鶴がやってきて同じ所に舞い降りた。これも御代の栄えを象徴し、神が納受されたしるしと考えられた。
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ゴンゲンノツカイ
2003年 奈良県
虚空蔵では,暮の餅つきの時に赤くて小さいカワラケに餅を12個のせて戸外の藁積みの上に置き,歌をうたう。すると不思議に烏がすぐ食いにきたという。烏は熊野権現の使者と考えられた。
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オシドリ,ユメ
2002年 栃木県
下野の国、安蘇沼に殺生を好み、鷹を使う者がいた。ある時鴛の雄を取って帰った。その日の夢に品の良い女があらわれて、怨み深い様子で泣いて、「なぜ私の夫を殺したのか」と言う。「覚えがない」と答えると、「確かに今日、召し取った」と頑固に主張し、歌を詠んで飛んで帰るを見ると、鴛の雌であった。男は発心して仏道に入ったという。
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タケコマジンジャ
1956年 宮城県
承和2年(835)4月、参議小野篁が国司に任ぜられ多賀国府に下るとき、京の稲荷山の分霊を陸奥に勧請するため長櫃に収めて下った。途中、千貫松のふもとで八声鳴いて白狐が長櫃から飛び出し、武隈の森に走り込む。ここに社を建てよという神の告げとして分霊を祀る。陸奥に下った能因法師が、篁卿の建てた社の所在を竹馬に乗って遊んでいる童子に教えられたというので、寺を開き竹駒寺と称して別当とする。
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ハクチ
1980年 福島県
寛政9年(1797)に白川の地で白雉を得た。白雉は祥瑞であるとして大君に献上した。
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ウサオオカミ
1974年 大分県
弓削道鏡が孝謙天皇に寵愛されていたので、太宰府の阿曾麻呂という者が宇佐の神の託宣と称して、道鏡に登極をすすめる。そこで孝謙天皇は勅使・和気清麻呂を宇佐に使わした。清麻呂は神前で事を奏して祈念すると、大神がたちまち宝扉をひらき、身長3丈ほどの姿を現し、道鏡の登極を認めない神託を下したという。
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ライジュウ
1967年 福島県
享保年中、大聖寺の門内の小社で、天に登れなくなった雷獣を、院主が竿を地面に差してやり登らせた。建廟がこれを聞き、奇異のことだとして社領1石を与えた。
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ヒヒ
1976年 新潟県
延宝か天和のはじめ、ある山家の老人が山から帰ってこなかったので、その妻がいぶかしがり、人に頼んで山を捜索してもらった。すると山奥に老人の笠とわらじが落ちていたので、それを怪しみ、村で山狩りをした。ところがなにもなかったので下山しようとすると、風が藪を吹くような音がしたので振り返ったところ、赤熊を被って目が星のように光る獣が襲ってきた。大力の若者が鎌で眉間に切りかかったが、若者を谷へ投げ落とした。残った者は逃げ帰り、越後公へ訴えた。そこで江戸より軍師を呼び、山狩りを行わせた。獣が現われたので、それを鉄砲で仕留めた。
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オオアワビ
1976年
允恭天皇が淡路国で狩りを行ったが、1匹も捕れなかった。占わせると、明石の海底に真珠があるので島の神として祀れば獣を捕らせようという。そこで海人に潜らせると、大鰒があり、光が漏れていた。再び潜って大鰒を抱いてあがると海人は息絶えた。縄で海の深さを測ると60尋あった。鰒を裂いて真珠を取り出すと、大きさは桃の実ほどあった。これを祀った後に狩りをしたら、多くの獲物が得られた。
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キツネ,オンガエシ
1956年 宮城県
網地島長渡に流されていた鯰江六太夫の所に笛を聴きに来ていた童子は実は狐で,弥左衛門という狐捕りの名人が自分を捕らえに来るのでもはや自分の命はあるまいと観念する。そこで童子はこれまでの御恩返しにと六太夫の所望を聞いて源平合戦の様を見せ,吉事を予言して消え失せた。2,3日後,白狐はついに死んでしまう。六太夫が童子に教えられた通り笛を吹くと,国主の耳に笛の音が届き六太夫は程なく召し還された。
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(ジュウチョウ)
1981年
正徳4年4月12日、奥州しゆ原山に大きさ10間余り、亀甲で腹は蛇形、首は鳥で耳の長さ4尺8寸、尾の長さ2間2尺、翼があり、足の長さ2間で太さ3尺の獣が現れた。息は火炎のようで鳴き声は雷鳴のようであった。鉄砲10挺で撃ち止めた。見物の男女で毒気にあたり病死するものも出た。この件は江戸へ注進した。
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カラス
1976年 島根県・富山県
聖武帝の天平11年、出雲国より赤い烏が献上された。また、越中の国からは白い烏が献上されたという。
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アヤシキトリ,キツネ
1974年 京都府
兼好法師が内の宿直から退出しようとした際、萩の戸の庭の方に怪しげな鳥が羽をふって、嘴を怒らして飛び下ってきた。人々が恐れていたので法師が2羽を弓で打ち落としたところ、一つは足に黒い毛が生えており、もう一つは非常に赤い色をしていたという。博士を呼んでこの鳥の名前を聞いても答えられず、しばらくすると2羽とも狐になって消えたという。
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