〔オオヒト〕 1978年 長人国の事が詳しく書かれており、元和年中に長大な女が屁金浦に漂流したとある。
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(キョジンコク),アシアト 1980年 元禄の頃江戸にやってきたヨアンバツテイスがいうには、日本の東500里ほど行った所に1つの国があり、その国から南東へ約3万里行った所に大国がある。その海岸に人の足跡があって、それは4~5尺(約150センチ)ほどの長さだったという。
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ニンギョ,リョウトウノカメ 1975年 佐賀県 延宝5年10月、肥前の唐津の海上で人魚と両頭亀が捕れた。執権争いの時には両頭亀が出ると古文にある。
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(タケタカシマ) 1981年 長ヶ高島の島民はみな背丈1丈2,3尺有り、あるいは1丈6,7尺あるものもおり、手足が長い。昔、漂着した人が話したことである。
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ハユタラス,ナガスネヒコ 1979年 青森県 『采覧異言』という書物によると、日本の東の海上には巴太温(ハユタラス)という国があり、奥州南部の海辺には、その国の住人のものと思われる骨が漂流する。はるか昔にいたという長髄彦(ナガスネヒコ)は、もとこの国の住人で奥羽の地にやってきたのであろう。
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〔オオヒト〕 1978年 藤原信通朝臣がある国を受領した時、長5丈計で首、右の手足のない女と思われる死体が東西の浜というところに流れ着いたという。
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チイカコク,コヒトコク,テナガコク,ミツカシラコク,ロクロクビコク 1974年 日本の周辺には長人国,小人国,長臂国,三首国,飛頭蛮国という国があったとされる。
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タコ 2002年 山口県 昔、甚平という漁師が住んでいた。魚を捕ることが巧みで近隣の者は皆知っていた。ある日甚平が岩の近くで魚釣りをしていると、急に船が傾いた。見れば大きな蛸の足が船縁を掴んでいた。甚平はその足を包丁で切って持って帰った。その味を覚えた甚平が翌日も岩へ行ったところ、その日も蛸が現れた。こうした日が5日続き、8本の足が3本にまで減った日に、甚平はこの蛸を捕ってやろうと包丁の代わりに縄を持っていった。それきり甚平は帰らず、主のいない船が夕方に浦へ流れ着いた。村人達はきっと蛸に食われたのだろうと噂した。それ以来その岩を甚平岩と呼ぶようになった。
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フチ,ソウ,タタリ 1976年 岡山県 備中松山より伯州に行く道に淵がある。夜、淵の底に何かあるので網で獲ったところ、引き上げられないので木に結わえて帰り、翌朝見に行った。すると網は解かれていた。剣を持って潜ってみたら何かがあり、その中に僧の頭があったので斬り殺した。その人は1年もしないうちに死んだ。
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オオヒト 1927年 山口県 遺跡から出る土鐘に、昔ここに住んでいた大人が網を作り、魚を捕らえて常食としたという伝説がある。
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カイギョ,ヤマメ 1934年 静岡県 明治34年の夏、淵に1尋もある奇怪な大魚が泳いでいた。網を投げると網がズタズタにされるので鎌に長い柄をつけて突き刺して捕らえた。大きさは4尺に近く、暗灰色で虹色の斑点があった。怪魚の正体はヤマメのずば抜けて大きなものであった。
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ニンギョ,リョウトウノカメ 1976年 佐賀県 延宝5年10月、肥前国の唐津の海上で人魚が捕れた。また、両頭の亀も捕れた。執権が威を争えば両頭の亀が現れるという。
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ニンギョ 1974年 福井県 若狭の国では人魚というものが出てくる。両手は人間のように備わり、腰から下は魚の鱗が生え、尾びれもついている。これを食べると長寿を得るといわれる。
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ゴンダラ 2001年 青森県 ある漁村に孫助という若者がいた。ある日、大きなごんだらが網にかかると、孫助はこれにひきずられて海中へ引き込まれて行方不明となってしまったが、暫くして海を泳いで帰ってきた。すると、1年程経ったある日から、晩に女が訪ねて来るようになった。だが、そうなってからというもの、孫助は日に日にやつれていってしまう。和尚に相談してこの女に毒針を刺してみたところ、その正体は大きなごんだらであった。
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ホネ 1979年 宮城県 仙台柴田郡にある古骨山で人骨が出土したが、その長さは1丈(約3メートル)以上あった。
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ロクブノタタリ 1956年 宮城県 「上人塚」と呼ばれる古碑が立っており,正面右に天和癸亥年善海上人と書かれている。当時(約350年前)この地方で勢力を振るっている豪族がおり,ある日部下が一人の六部(山伏)を捕らえてきた。主人は他国の間諜に間違いないとして十分に糾問せずこれを斬り捨て,死骸は屋敷の一隅に埋めさせた。ところがその後豪族の家には黒い雲が覆い,災害や不幸が相次いで一族は死に絶えてしまった。それから何代か土地の所有者が変ったがいずれも不慮の死を遂げた。現在残っている善海上人の不動尊像は誰の時代の建立か不明であるが,今でもここを「上人塚」,前の田を「上人田」と呼んで,年寄などは近付かないようにしている。
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〔イワヤオンナ〕 1975年 三重県 勢州壱志郡川俣川の劔が淵に方1丈余りの岩窟がある。寛文の頃、この窟の中に人がいた事がある。川向の家城村の人がこれを見て怪しんで、筏を作りそこへ行くと、30くらいの女が髪を岩の天井につけてぶら下がっていた。髪を切って下ろして介抱すると正気となった。次第を聞いたが記憶がなかった。美濃国竜が鼻村の長の妻であるという。
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ニンギョ 1976年 大阪府 摂津国堀江で、推古天皇27年に、人でもなく魚でもない物が網にかかった。
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コビト 1974年 福岡県 豊前国築城郡の百姓・才次郎の8歳になる子は、肩より足の裏まで1尺4寸しかないが、容顔端正にして言語もはっきりしており、決して廃人ではなく小人だった。生まれた時は両手の掌から出ないほどだったという。
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ウミグモ 1976年 筑紫の海人が伝えることには、南海の小島に船が漂着したとき、海岸から大きな蜘蛛が現れ船に糸を吐き付け引っ張り始めた。腰刀で切り払って逃げた。
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