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検索対象事例

(オオオンナ)
1976年 京都府
天寿3年4月、身の丈7尺、顔の長さ2尺の女が船に乗り、丹後の浦に寄った。船の中に飯酒があり、近寄るものは皆病気になった。着岸させなかった間に死んだという。

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オオオンナ
1979年
万寿3年4月頃、身の丈7尺余り、顔の長さ2尺余りの女が丹後国から船に乗った。船中で酒飯があった時に周りの人が皆病気になったので着岸したが、死んでしまったという。
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ウツロブネ
1973年 茨城県
享和3年3月24日、常陸国原舎浜に、奇妙な形状をした船が漂着した。形は釜のようで、上は黒塗り、四方に窓があった。船の高さは1丈2尺で、中に20歳ほどの女性が一人乗っていた。身長は5尺で雪のように白い肌と黒い髪をした美人だった。言葉は一切通じず、服も見慣れないものだった。また小さい箱を持っており、人を近づけなかった。船内には敷物が敷かれ、菓子のようなものや肉類があったという。
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オオオンナ
1982年 京都府
元禄15年1月13日、丹後国与謝郡上宮津村で疫病が流行り、おさまっていった。ある百姓が1月7日の夜半身の丈1丈(約3m)余りの女が白装束で松の元にいるのを見て以来寝込んでしまった。熱におかされ口走るには、我は昔の城主に仕えた女で、讒言により処刑された。その無念を晴らす為に疫神とともに疫病を流行らせている。命日2月17日に弔いの祭を行えば今後村の守り神になるといった。
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タタリ
1977年 三重県
己亥の年の4月に、城北の瀬古村の女が伊勢神宮に詣でたが、障りがあって帰った。しかしまた思い立って参ろうとしたが、豊宮川の岸で自分の耳が長くなるように思えて心が乱れ、他の人には角があるように見えたという。その女は川を渡らずに一緒に行った者が宿に連れて帰ったが、宿から走り出て五里ばかり西に行った川に入って死んだという。その夕方は風が強く吹いて氷が降って雷鳴が聞こえたが、日頃から悪心だけであって、人もあざるような女だったという。これらは神の祟りといわれる。
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(オニ)
1981年
昔、安房の猟師が遭難して鬼島と思われる島へ漂着した。島民は長け1丈2,3尺あり、全身赤く毛色は白く、額に8寸位の角が生えていた。積荷の酒を勧めると喜んで呑み、船を押し出してくれた。
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ヘビ
1934年 東京都
難航した船が、海難よけに、船に乗っていた女をこの島に捨て、助けに行かなかった。女は狂い死に、その髪の毛が恨みで蛇となった。
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ビジン,フチ
1954年 群馬県
天安2年4月8日、老人が淵に落ちたときには機を織る美人のところに落ち、酒肴のもてなしを受けた。帰ってみると3日たっていて、自分の葬式をしていた。その後、池にひょうたんを沈めると酒が入っていた。膳椀を借りることが出来たという話もある。
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(キョジン)
1980年 宮城県
17世紀後半の天正年間、仙台の荒浜の海岸に死人が流れ着いたが、その人は身長が4~5丈(約15メートル)ほどだったという。
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ヘビ
1929年 東京都
神津島の東側海中に祗苗島いう海草貝類の豊富な小島があり、村の女達はよく採りに出かけていた。ある日漁の最中、急に天候が悪くなり皆急いで帰村した。だがひとり残された女がおり助けを求めて叫び続け死んでしまった。暴風が去り若衆が助けに行ったが、既に死体となりその髪の毛一本一本が蛇と化して居た。
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オオキナニンゲン,オンナ
1999年 鹿児島県
船に子連れの40歳くらいの女が便乗させてくれと言って来た。その夜中、その女が来たが、一丈の背丈の大きな人間で、白い着物を着ていて、男か女かわからなかった。次の日、船が転覆したとき、女の髪が海を覆うほどに不気味に広がっていたという。翌日、住用村の市で易者に相談すると、「明日の午後の三時頃に伊須あたりでその女を拾う」と言われた。翌日、易者の言うとおり女が伊須湾に流れ着いた。
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ヤクジン
1976年 東京都
天保8年2月下旬、次女の乳母が日暮れに急に寒気立ち、夜着を被って打ち伏せていたところ、翌朝になり、昨夜より風呂敷包みを背負った男が側にいると言った。これは疫神かと、種々の札を枕元に掛けたところ、男は立ち去ったといって全快した。ところが上野の祭礼に主人とせがれとで行ったところ、急に歯が痛くなり、家に帰ると治った。すると乳母が再び寒気を訴えた。そこで刀を抜き乳母を峰打ちにしたところ、男がすぐに立ち去るので、障子を開けて欲しいと言った。障子をあけると乳母はそこで倒れたが、そのまま起き上がり正気となった。早く塩をまいて箒で掃き清めよ、と言った。
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ヤクジン
1976年 東京都
嘉永元年の夏より秋にかけ、疫病が大流行した。その頃、浅草辺りの老女が物貰いのような女と道連れになったところ、女が3,4日飯を食べていないので、一飯を振る舞って欲しいと言った。そばをご馳走したところ、女は礼を申し、我は疫神であるが、もし疫病を患ったらすぐにどじょうを食べろ、すると本復すると言って去った。
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ビョウマ
1933年 大阪府
疫病が大流行した明治初年の事、夏の日没時に怪異なる容貌をした乞食坊主が、ある商家の店先に立った。妻女が箒で追い払うと、坊主は斜め向かいの家へ入った。その家では夜半から疫病を発病する者が出、翌朝には死んでしまった。
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オオアワビ
1964年 千葉県
海岸に住む大鰒に触れると海が荒れる。海が荒れている時に、美しい海女が男と会っていた。海が荒れていると男と会えると思った女は、鰒に石を投げ続けた。男の乗った船が心配であった女の船も沈没し、救助しようとした男も溺死した。
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ユウレイ
1975年
文化7年10月の終わり、妓が病気で部屋に引きこもり小鍋で食事していた所を遣り手が見咎め、その鍋を首にかけさせ柱に縛り付けておいたら死んだ。その幽霊が首に鍋をかけて廊下に出るという。
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オンナ
1980年 青森県
筑前からの船が難破して津軽の海辺に着いた。船乗りが山に入ると40歳ほどの女がいて、船乗りと同郷で昔に来たという。そして故郷で若松の下にある祠に法螺貝を置いたといい、筑前に帰った船乗りが尋ねると実際にあった。しかしその松は大変古く、法螺貝もかなり昔からあるという。再びその女に会って話すと、安徳天皇の生きていた時は20歳だったという。
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ウミナリ
1933年 台湾
1850年ごろ、大安に寄港した船に若者が雇い入れられた。土地の人々は沖遠く船出することを嫌忌しており、若者を止めたが、若者は船に乗り込んだ。若者は海に出ると日増しに恐怖に襲われ、得体の知れない病気に罹り、ついに死んでしまった。その後、若者の望みどおり死体は大安に帰された。若者を待っていた恋人の女は若者の死をしって狂気となり、海に身を投げた。その波紋が沖に広がっていったとき、沖から恐ろしい海鳴が聞こえてくるようになったという。
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オオオンナ
1979年 滋賀県
延宝2年11月近江国より身の丈7尺3寸あるおよめという名の女が見世物に出ていたという。
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ハッピャクビクニ,カイセン
1974年 福井県
古老が語るには、今浜の洲崎村にあるとき漁者のような人がやって来て、人を招いて宴会を行った。ある客がその調理するところを見たところ、人の頭のある魚を捌いていた。ある客はその魚を袖に入れて帰ったが、それを妻が食べてしまった。妻は言うには、最初は甘露のような味だったが、食べ終わると気を失い、しばらくして息を吹き返したら、体が健やかで、目は遠くまで見え、耳はよく聞こえ、胸中は明鏡のようで、顔色は麗しかった。夫や親類は悉く死んで、7世先の孫も老いた。その後若狭の小浜に移ってきたという。
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テンノウサマ,エキビョウ,コタン,ソミンショウライ
1936年 岩手県
昔、天王様が南海に乙姫を探しに行ったとき、巨旦長者のところに宿を求めたが断られた。蘇民将来の家では1升しかない米を食べさせた。天王様は長者の家に疫病を投げ込んだので、米を食べさせた家から嫁に行っていた女を除いて全員が死んでしまった。六月十五日に米を搗いて練って食べるのはこれによる。
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