国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

ヤクジン
1976年 東京都
嘉永元年の夏より秋にかけ、疫病が大流行した。その頃、浅草辺りの老女が物貰いのような女と道連れになったところ、女が3,4日飯を食べていないので、一飯を振る舞って欲しいと言った。そばをご馳走したところ、女は礼を申し、我は疫神であるが、もし疫病を患ったらすぐにどじょうを食べろ、すると本復すると言って去った。

類似事例(機械学習検索)

ヤクジン
1976年 東京都
天保8年2月下旬、次女の乳母が日暮れに急に寒気立ち、夜着を被って打ち伏せていたところ、翌朝になり、昨夜より風呂敷包みを背負った男が側にいると言った。これは疫神かと、種々の札を枕元に掛けたところ、男は立ち去ったといって全快した。ところが上野の祭礼に主人とせがれとで行ったところ、急に歯が痛くなり、家に帰ると治った。すると乳母が再び寒気を訴えた。そこで刀を抜き乳母を峰打ちにしたところ、男がすぐに立ち去るので、障子を開けて欲しいと言った。障子をあけると乳母はそこで倒れたが、そのまま起き上がり正気となった。早く塩をまいて箒で掃き清めよ、と言った。
類似事例

ビョウマ
1933年 大阪府
疫病が大流行した明治初年の事、夏の日没時に怪異なる容貌をした乞食坊主が、ある商家の店先に立った。妻女が箒で追い払うと、坊主は斜め向かいの家へ入った。その家では夜半から疫病を発病する者が出、翌朝には死んでしまった。
類似事例

オオオンナ
1982年 京都府
元禄15年1月13日、丹後国与謝郡上宮津村で疫病が流行り、おさまっていった。ある百姓が1月7日の夜半身の丈1丈(約3m)余りの女が白装束で松の元にいるのを見て以来寝込んでしまった。熱におかされ口走るには、我は昔の城主に仕えた女で、讒言により処刑された。その無念を晴らす為に疫神とともに疫病を流行らせている。命日2月17日に弔いの祭を行えば今後村の守り神になるといった。
類似事例

レイケン
1974年 東京都
麻生で寛政八年の秋ごろ、ある人が霊夢を見たといって椙田稲荷の近くに住む老婆に祈祷を頼みに来て、老婆は祈祷など知らなかったが、稲荷を拝ませ腹をさすってやると、その人の病気が治った。それ以来参詣者が増えて、望む者には洗米を配った。また、老婆が稲荷に尋ねて答えることに、間違ったことはなかった。あまりに人が増えて無縁の人の参詣を禁止したら、流行はおさまった。
類似事例

キツネ
1977年 大阪府
享保年中、浪速の医者が医学の知識のある真田山に住む老夫婦の家にいると、侍が現れ礼を老夫婦に述べた。食べ物を与えると獣のように食べたので怪しむと、老夫婦は、これは狐で人を誑かした為吉田家に咎められたのを詫びてやったから礼に来たのだといった。
類似事例

オオオンナ
1979年
万寿3年4月頃、身の丈7尺余り、顔の長さ2尺余りの女が丹後国から船に乗った。船中で酒飯があった時に周りの人が皆病気になったので着岸したが、死んでしまったという。
類似事例

ヤクジン
1974年
推古天皇34年に、日本は米が実らなかったので三韓から米を調貢させた。その船の中に疱瘡を患った人が3人おり、それぞれ老人と僧と婦人がつきそっていた。その名を問うと我らは疫神であり、疱瘡という病を司るという。また我らが来たので、この国の民も疱瘡にかかる。我らは畠芋を好むので、我らを祀るならば畠芋を供えよと告げて姿を消したという。
類似事例

ヤクジン
1976年 東京都
実父が若かった頃、石原町に播磨屋惣七という、津軽公の口入がいた。惣七が両国からの帰りがけに、1人の男が、犬が恐いので同道させて欲しいと言ってきた。そこで同道したところ、石原町入川の所で男は礼を申し、私は疫神であるが、毎月三日に小豆粥を焚けば疫病神が入り込まないとを教えて、姿を掻き消した。
類似事例

キツネ
1981年 和歌山県
戦後の食糧難の頃の話。裕福な家に餅米と小豆を買いに行った女の人の目にその家の稲荷の祠が御殿のように見えた。帰ってから一升ほどの餅米を1人で食べてしまい、赤ん坊と女の人がゲラゲラ笑い出したあとで肛門が痛いと言い出し、最後には拝み始めて「われこそは稲荷大明神」と唱え始めた。夫は妙見様の洗米を頂いてきて食べさせたり、天井や床に見えるという赤や黒や銀色の狐を女の言うままに木刀で叩きまわった。7日ほどして正気に戻った。稲荷が粗末にされていたので、たまたま来た女に憑いたという。狐は人に憑くとき入る場所を探してくすぐるので、探られた者は笑うのだという。
類似事例

コヘビ
1976年 京都府
某家で伯母が同居してかいがいしく働き、家が栄えていた。しかし妻を迎えたところ、妻が伯母に従順しなかったので、伯母を別居させ、食事を持っていくように主が命じたが、妻は主に偽って、持って行く事は無かった。そのうち伯母は病気になったのだが、その頃から妻も心地が悪いと屏風の内にこもるようになった。2,3日もこのようなことが続くので怪しんで屏風の内に入って見たところ、妻の首に小蛇が巻きついていた。修験に祈ってもらったら、小蛇を退治すると妻は死ぬといわれたが、苦しみを見かねて祈祷を頼んだところ、小蛇は首を離れ妻の口に入り、妻は死んだ。その頃伯母も死んだという。
類似事例

ヤマウバ
1984年 岐阜県
雪の夕暮れ、50歳くらいの大食いで力持ちの女がやってきて滞在する。女は仕事を手伝ったがいくら苧績をしてもまったく苧環が大きくならない上に大食いなので家人はこれを疎んで茶碗の中が空洞になるように飯をよそってやっていた。春が来て女は「ひんぬりごきにごちそうさま」と飯の盛り付け方に皮肉をいって笹の葉にくるんだ薬を置いて出て行った。女の残した小さい苧環は紡いでみるといくら繰っても繰り切れなかった。繰っているうちに放置していた赤ん坊が泣き死んでしまったが、この薬を与えると生き返ったという。女は猪ノ洞谷の一の滝近くの岩穴に住む山姥だろうと言われた。
類似事例

テンノウサマ,エキビョウ,コタン,ソミンショウライ
1936年 岩手県
昔、天王様が南海に乙姫を探しに行ったとき、巨旦長者のところに宿を求めたが断られた。蘇民将来の家では1升しかない米を食べさせた。天王様は長者の家に疫病を投げ込んだので、米を食べさせた家から嫁に行っていた女を除いて全員が死んでしまった。六月十五日に米を搗いて練って食べるのはこれによる。
類似事例

テング
1955年 東京都
大畑淵には昔川天狗が棲んでいて、あるとき嫁をもらった。ある夜天狗の嫁がある家に膳椀を借りに来たので、喜んで貸すと、いつの間にか返してあってみみずが入っていた。熱病の人にみみずを煎じて飲ますと全快した。
類似事例

ヤクビョウガミ
1982年 新潟県
2月8日と12月8日には疫病神が来るといい、疫病神の食べ物として、1年分の草餅12個を木の枝にさげ、8日朝には、それを三叉路に立てて、戸口には朝食が終わるまで、線香をきらさずにともしておくまた、疫病神が家に入るのを防ぐために戸口に唐箕をさげる。
類似事例

ハヤリヤマイ,アクマ,オニ
1986年 長野県
ある時、村に流行病がはやって大勢死人がでた。そこで庄屋は、これからは自分の家を悪魔の宿として貸すから流行病を村から追い出してくれと願をかけた。そうすると流行病は一段落したという。それから庄屋の家では節分のときに豆まきをしないで、障子をあけて悪魔や鬼を迎え入れるのだという。
類似事例

(ホウソウジン)
1980年 岡山県
備藩の野崎弥助の次男が幼く、まだ疱瘡に罹っていなかった頃、岡山で痘が流行していた。ある日乞食の老婆が門前に立ち、妻が銭を施したところ、自分は疱瘡神だが次男の疱瘡を軽くしようという。次男は翌日に熱を発したものの軽かった。但し自分の家で調理したものは一切食べなかった。
類似事例

テン,コウシン
1974年 奈良県
南部から大坂に行く途中に竹の打越という峠があり、その近くに貧しい家があった。家の主がある時痢病になり、自分の子供に鱣が食べたいと頼んだ。しかし家は貧乏で買う事ができず困っていた。しかし水を汲みに川へ行ったところ、水桶にいつのまにか鱣が入っていた。天がくれた物だと考えた娘は早速父親に食べさせたら、彼の病は次第に回復していった。それから水を汲みに行くと毎回鱣が桶に入っていたというが、それを食べた者は疫痢が治ったという。これは孝心の深さゆえの出来事と考えられた。
類似事例

(ゾクシン),コウボウダイシ
1935年 山口県
感冒カゼが流行った年のこと。山の中から出てきた薄汚い坊さんが自分は弘法大師だといい、「今年の感冒カゼは八幡様の鳥居を7回廻って油揚げを食べれば逃れられる」と言って消え失せた。みなその言葉に従い、八幡様に参って油揚げを食べたという。
類似事例

〔エキジン,エキビョウヨケノフダ〕
1975年 東京都
清次という男が釣船で、きすを100匹ほど釣った。築地本郷町之前海之波除内で船を留置すると髪や髯が逆立ち、唐人のような衣装を着た6尺余りの背丈の者がきすを所望した。1匹渡して名を尋ねた所、自分は疫神で、釣船清次と名前が書かれた家には参らないと言って去った。その後、同僚の妻が疫病を患っていたので、釣船清次と書いた札を渡した所、病は全快した。噂が近所に広まり、清次は皆に頼まれて札を書くようになったという。
類似事例

ヤッツアタマノカイブツ
1956年 岩手県
旧2月9日以前に(8日か)、各家より銭を持ち寄り疫神よけをしてお神酒をあげる。その際、8皿のご馳走を作って祀る。これは、八ッ頭の怪物が人を食べるためであるからだという。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内