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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

エイコ,カルアシ,ツチグマ
1969年 京都府
推古天皇の時代、丹後国の三上ヶ嶽に、英胡・迦樓夜叉・土熊という鬼が住んでいた。そこで天皇は麿子親王に命じて征伐させた。誅した後、鬼のうち土熊を岩窟に封じた。これが今の鬼ヶ嶽だという。

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ヨウキ,キジン,ウナギ
1929年 岐阜県
今から九百年程前、村上天皇の頃、瓢ヶ岳の岩窟に妖鬼が山砦を築いて土地の民を悩ませた。鬼人の退治を命じられた九条関白藤原氏の八男右少将正三位藤原高光請卿は多くの部下を連れてこの地に来られた。鬼人は妖術に長じ変幻出没自在で手強く大牛、雉、十二ヶの瓢の化身となって現れ、矢に打たれて消えた。高光は神に祈ってようやく鬼人を仕留め、神の使いの鰻を川に放った。以来、粥川の鰻を食べると神罰を受けるという。
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マセキ,ホウセキ,オニ
1943年 山形県
推古天皇の6年、午の年、羽黒山の後の鬼名澤というところに麻石という鬼が現われて、人を悩ませた。能除太子が8月にこの鬼を封じたが、翌未の年に男鹿の島に包石という鬼が住み始めたので、太子は6月15日にこれも封じた。
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オニ
1992年 山口県
源頼光が酒呑童子を退治した時、幕下にいた霞隠鬼が西国に逃げ、白橘山に住みついた。霞隠鬼が里人に危害を与えるので、郡司であった平貞衡は退治することにした。ついに鬼を討ち取り、鬼の首を鉄の串に刺してさらした。それ以来、白橘山を鬼ヶ城と言うようになった。
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キシン
1987年 山形県
神室山にはいつのころか鬼神が棲みついて人を獲って食ったので、天皇が田村将軍の末裔の先熊に勅命を下して征伐した。先熊は仙台に逃げようとした鬼神を討ち取った。その場所を鬼首という。
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オニ
1929年 京都府
一条天皇の頃、大江山に妖賊がでるので退治を命じられた源頼光が、山伏に姿を変えて和田街道へ進み、上川口村宇野花の孫八という農夫孫八に山の案内を頼み鬼の棲家を探す途中三貴神に出遭って道を教えられ、鬼獄稲荷神社で鬼毒酒を賜って鬼降伏祈願をして、やがて首尾よく鬼を退治することができた。
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オニマツ
1987年 長野県
角先渓谷の奥に大岩があり,「鬼ヶ城」と呼んでいる。大昔,ここに鬼が住んでいて,この辺一帯を荒らしまわったという。ある時坂上田村麻呂が攻めたが,どうしても降伏しなかった。金縄山の観音様に祈願すると,桑の木を矢にして攻めよとの霊告があったので,そのようにしたところ,忽ち鬼が降参してきた。捕らえて金縄(金のくさり)で縛って,松の木に繋いだが,その場所を「金縄山」,繋いだ松の木を「鬼松」,そこに祀った地蔵を「鬼松地蔵」という。
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シロイシカ,ヤマオニ
1956年 東京都
日本武尊東征の際、御嶽山付近を通りかかった折、深山の邪神が白鹿に化けて、散々尊を悩ました。尊は占いして、鹿が山鬼であることを知り、山蛭を鹿に投げつけると、目に当たって死に、鬼神は正体を現した。深山で道に迷った際に尊を導いた白い狼には、山に留まって火災盗難を防ぐよう命じ、以後、狼は御嶽山の大口真神として祭り上げられたという。
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オニ
1973年 福井県
甲懸山の山腹に亀裂があり、ここに甲賀三郎が入っていったといわれる。またこの穴は丹波大江山に続いており、大江山の鬼が乱暴狼藉を働いたのでこの岩穴の前でドンチャン騒ぎをして鬼をおびき寄せ退治したという。また神谷山に鬼神がいて、大江山で活躍した源頼光が退治したという。
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オニガジョウ,オオタケマル,オニ
1930年 岩手県
岩手山に鬼ヶ城という穴があり、大武丸という鬼が手下の鬼と立てこもり、備わった通力で雲を呼び、風を起こし、嵐を出して良民を苦しめていた。田村将軍が奥州を征伐した際に先達した立烏帽子が岩手山の東に鎮座したのが御姫岳である。そして、鬼どもは将軍に切られたり、生き残ったものも閉伊郡の方に逃げたりした。最後に権現様のお使いとして残されたのが片目の鬼で、登山客が汚した山を綺麗に掃除するのはこの鬼であるという。
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オニ
1979年 岐阜県
天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
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ハットウイッシンノオオシカ
1987年 京都府
和銅6年(713年)、丹波国北部の深山に八頭一身の大鹿がいて、皇居に出没したり農民を襲ったりしていた。天皇は香賀三郎兼家に退治するように命じた。三郎は大鹿を退治し、近くにあった一枚岩の上に載せて料理した。この岩は俎板岩と呼ばれ、今も残っている。
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キンキ,フウキ,スイキ,インギョウキ
1975年
天智天皇の時代に、藤原千方という者が金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼の4鬼を使役していた。伊賀と伊勢の国はこの鬼のせいで、天皇の支配に入らなかった。そこで紀朝雄という人物が「草も木も我大君の国なればいづくか鬼の栖なるべき」と和歌を詠んで鬼のもとに送りつけたところ、たちまちに鬼はいなくなり、藤原千方は朝雄に討ち取られたという。この鬼は狐狸の類か。
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オニ
1975年 三重県
坂上田村麿は天皇の命令によって、鈴鹿山で鬼を討ったという。
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サルトラヘビ
1987年 岐阜県
高賀山のさるとらへびという化物が京の公家の子供をさらって殺した。京都から藤原高光が来て、神社を建てて妖魔を山に閉じ込め、屏風岩で高賀山の瓢ヶ岳の池の一つだけ動かない瓢箪が真の姿だ、とお告げをうけて、それを矢で撃って退治した。さるとらへびの屍骸を焼いたオツガワラというところは今も草が生えない。
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キハチ,キハチホウシ
1992年 宮崎県
鬼八は二上山の乳が窟に根拠を置いた鬼神で、正市伊様(十社大明神)と右大臣富高氏、左大臣田部氏に退治された。鬼八の遺体は3つに分けられて埋められた。
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シュテンドウジ
1963年 新潟県
酒呑童子は砂子塚の百姓の生まれで、国上寺に稚児として参っていた。しかし、参詣道を通る子供を喰っていたことが明るみになると、退山して岩窟に住みついた。そこでも夜な夜な近村の人を喰っていたが、弥彦山王数多の諸神に追われ、叡山、葛城をめぐり、丹波の大江山に住みついた。
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ヤマンバ
1991年 静岡県
倉木山の山姥はあちこちの家で子守りや藤績みを手伝っていたが、家人の留守中にある家の子どもを食ってしまって倉木山の洞窟に逃げ込んだ。そのときあたりが暗くなったので倉木山という。その後、信濃国佐久郡の平賀中務と矢部後藤左衛門が勅命によって山姥征伐に来て、山姥は秋葉山に飛び去った。
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ヨウカイ,コマイワ
1960年 岡山県
崇神天皇の四道将軍、吉備津彦命が備前に入り本宮山の峰に来た頃、その峰の西方約1里の所に毎夜妖怪が現われ、里人はたいそう恐れていた。里人は命に妖怪を退治してくれるように願い出た。数日後のある夜、気比神社の西方3キロのところに火柱が現われ、命は境内の見晴らしの良い駒岩から弓でこの怪物を射た。矢が命中するや否や、大音響と共に怪物は岩となった。これを今に残る的岩という。
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シュテンドウジ
1920年 新潟県
酒顛童子は3年3ヶ月母の胎内にやどり、生まれながらに牙が2本あった。美しく秀才として国上山国上寺に預けられた。成長するにつれてその輝きは増し、僧、女らを魅了した。16歳の時に艶書の蓋を取ると煙が立ち昇り、童子は悪鬼の相を現した。背が高く、髪は赤かったと言われる。弥彦山の岩窟にこもったのち、丹波千丈ヶ嶽において大江山の酒顛童子を名乗った。
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オニ
1979年 岐阜県
鬼が粥川の瓢ヶ岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を3つの瓢に変じたので、高光は心願をかけて鬼を射止めた。この鬼の首が念興寺にある。
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