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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

トウコウ
1979年 山口県
安政3年(1856)7月に室津から出航し、遠崎の地方を過ぎていた際に、東山が崩落した跡が船上から見られた。その山下に村落があるが、舟子が言うには、崩落の前日山頂に橙色の光が多く見えたという。ただ事ではないと思った村人は逃げたが、留まった者はほとんど崩落で圧死したという。

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ヒバシラ
1978年 新潟県
宝暦元年の名立くずれの際、沖へ出た猟師が陸の方を見たところ、空が赤く火柱が立っているようだった。慌てて戻ると、何事もなかった。その夜、地震と共に崩れたという。
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メイドウ
1977年 愛知県
享保6年7月20日の夜、尾張城の西にある村(海東郡臼唐村(ママ))が地震のように鳴動した。にわかに大風が吹いて木を抜き石を飛ばし、家屋が転倒した。ただ近村はそれほどの被害はなかったという。これはほら貝の抜け出しか、竜が登ったかといわれる。
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カイシシンロウ
1974年 長崎県
肥前国雲仙嶽が崩れる前の数日、空中に帆かけ船が多く往来するのを人々が見た。嶽から登り出る気に、その近辺の海上の船の影がうつったのだろう。
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フシギ,クモニノルヒト
1974年 京都府
弘化2年7月7日ある者が東本願寺へ参詣した。その時突然空が真黒になり夕立でもあるのかと見ていると御影堂の辺から、腰より上は黒く、下は赤い着物を着て、頭は法体か有髪かわからない雲に乗った人が、新たに建設中の大門の上に来た。地震か雷のような鳴動と共に大門は崩壊した。
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(ホウライサン)
1982年 広島県
享保11年4月16日昼9ツ時、安芸国厳島の沖に蓬莱山が出現した。あちこちが金屏風を立てたように見え、岩は5色できれいなものであった。時間は2,3歩の間見えた。海老浦の役人が注進に及んだと言う。
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カガヤクモノ
1939年 島根県
日本海が荒れて漁船が方角を見失った時、原山の頂に輝くものを見た。その光を目当てにして、船は帰りついたという。そのため、原山には、命が助かった漁師がよくお礼参りに訪れたという。
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(ヤノネイシ)
1974年 山形県
承和6年9月13日、出羽国田川郡の西浜達府から54里ほど離れた場所で激しい雷雨が10日ほどあった後、鏃や鉾などに似た、白や赤の石が多数落ちていた。
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アオイヒ,ボウレイ
1929年 鹿児島県
ある夏の真夜中、港に泊まっていた漁船の所に、丘の方から青い火がちらちら輝いて舟に近づいて来た。船頭が目を凝らして見ると白骨の岩窟から亡霊が四五人歩いて来るので恐ろしくなって船室に逃げ込んだ。その姿は舟上で消えてしまった。もしかすると内地から来た人の亡魂が故郷恋しさに船で帰るのではないか。
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ダイジャ,ムスメ
1929年 長崎県
2匹の大蛇に困っていた農民たちは、島原城主に頼んで蛇狩りをして1匹を殺し、1匹に痛手を負わせた。島原城下の杏庵という医者のところに毎夜更けにくる女がいた。女は治療の末完治し、その後杏庵との間に子供ができた。ある時、正体が大蛇だとわかり、子供にくりぬいた片目を残し、去っていった。その後、寛政4年4月4日に眉山が崩れる地震が起きた。眉山の下の蛇町の人は大蛇に逃げ道を阻まれて家にいた人々は命が助かった。地震は蛇の崇りだといわれ、その責を負って島原城主は自害した。
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カワノヌシ
1975年 山形県
大正十三年の冬、最上川を舟で嫁入りする一行の乗った舟が突然ひっくり返って波にのまれた。七人の村人が助からず、花嫁はさがしても見つからなかった。最上川の主にみこまれたのだろうといわれている。
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ガタロー
1991年 滋賀県
切り通しの所に田を作りに行った時のこと。烏丸に船の通る道があって、船に2人乗って行っていた。陸から見ていると3人乗っているのでびっくりして声をかけると1人が飛び込んだ。そうすると船の上の影は1つになった。あくる日死人が上がったという。
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(ツナミ),(ヤマノヨウナモノ)
1982年
享保13年7月末、伊勢浦を見たところ、沖のほうに突然大山のようなものが現れた。浦辺の人々は津波だと思い銘々に用意をした。するとその山の様な物は2つに分かれ、一方は東に、もう一方は西へと飛んでいった。その翌日江戸近国では山が破れ水が噴出し江戸が洪水になった。22年前の伊勢御遷宮の際も伊勢浦に同じようなものが現れ東海道が洪水になった。明年は21年目の御遷宮である。何か関係があるのだろうか。
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キツネ
1982年 宮城県
ある男が船を出して魚を取って戻ろうとしたが、櫓をこいでも船が廻って陸につかない。なんとか家の下まで来ると、出征して死んだ兄が山から「東京に連れて行ってやる」と呼ぶので山の椿の下まで行くと、今度は「ベルトで首を吊れ」と言われた。枝にベルトを掛けても高さが足りないので、もっと山の中に入った。桑の葉が揺れるのが映画を見ているように感じた。皆が探しに行くと、狐が落ちたらしく断崖で寒い寒いといっていた。その男は3日ほど前からおかしかったという。
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ボウゴン
1999年 宮城県
唐桑町の東海岸の断崖下の岩礁を馬ッコネと言う。ここで明治時代に漁船が遭難し、崖の上から救助に向かった人も遭難してしまった。このとき、海底から全長10メートルほどの光が発せられたといい、それを見に行った人も遭難した。この光はボウゴンといい、海で死んだ人の霊だという。このようなことがあるので、盆に海で泳いではいけない。この光は、クラゲが光っていたのではないかと話者は言う。
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マンゲツ
1980年 東京都
享保の頃、江戸に住んでいた時のことだが、7月3日の早朝に家族が起きてきて、西を指差して「あれを見よ」と言った。すると山の端に満月が残っており、それが3日間続いた。
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(カミナリノイシ)
1973年 山形県
承和6年10月に、出羽国田川郡司が報告してきたことによると、この郡の西浜には元来石は無かったが、10日ほど続いた雷雨の後に浜をみると、鏃の形に似た石が少なからず落ちていたという。その石は白黒青赤などの色で、鋭い方が西を向き、茎は東を向いていた。
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(ヒカリモノ)
1982年 群馬県
浅間山が大噴火した天明3年の7月17日に、山の南にいる老いた農民が言うには、光り物が山の上に東の空へ飛んでいったという。
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ヒノタマ
1937年 福島県
明治28年、南の空から径2尺くらいの火の玉が飛んできて、虎捕山の本殿のあたりにぶつかり、大きな音を立てた。火の色は赤く、普通の色とは異なっているように見えた。集まったり離れたり、ぼうっとしてしばらくして消えた。
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シチニンミサキ
1985年 愛媛県
大正年間、七人が乗った舟が嵐にあった。七人は助けを求めたが、島の人は危険であるため助けに行かず、七人は遭難して死んだ。30年後、18歳の青年が海の中で死んだ。その後も同様のことが起こったので、七人ミサキの祟りだと言われるようになった。
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イシノヤジリ,イシノホコ
1976年
出羽国菅田川郡の西浜で、仁明天皇承和6年、長雨が降り、雷電が鳴り響き15日間続いた。晴天になったとき、それまで石の1つもなかった海岸に、様々な色の石の鋒が落ちており、その先は西を向いていた。
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