モチ,タタリ 1993年 静岡県 裾野市の十里木の横山イットーはセッキ(正月)に餅つきをしてはいけない。ある年の暮れ、小田原の落武者が逃げ込んできて追っ手と斬り合いし、餅が血で染まった。以来暮れに餅を搗くと血で染まる、火事になる、という。
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モチ,タタリ 1993年 静岡県 御殿場市の勝間田イットーは元旦の早朝でないと餅を搗かない。オモッセに餅をつくと餅に血が混じる、といって搗かない。
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モチ,タタリ 1993年 静岡県 御殿場市印野本村の勝間田イットーはセッキ(正月)に餅をつくと「災難をくう」「病気が流行る」「餅に血や生首が混じる」といってつかない。小正月からはついても良い。
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ヘビハダムコ,タタリ 1993年 静岡県 静岡市昼井戸では「セッキ(正月)の餅はヒゴト(火事)に祟る」といってつかない。昔、住職がついて寺の雪隠が焼けたことがある。昔、静岡市水見色から婿をもらったが、その婿は鱗のある蛇肌だったので驚き、セッキの餅米を蒸していた婿をその火に押込んで焼き殺した。婿は「セッキの餅はヒゴトに祟る」と3回唱えて焼け死んだ。以来セッキの餅はつかなくなった。
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ボッカーサン,タタリ 1993年 静岡県 静岡市松野では「セッキの餅はヒゴトに祟る」といい、セッキ(正月)に餅をつくと祟りで火が出る、といってつかない。ついて大火が出たことがある。昔、この地を支配していたボッカーさん(渤川氏)が桶狭間の戦いに出陣する際、万一帰らなかったら無念を晴らすために正月の餅はつかないように、と言い残した。ボッカーさんは桶狭間で戦死したため、その供養で餅はつかない。
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(ゾクシン),アンドノアブラ,(ヒノタタリ) 1915年 岐阜県 寒中に行灯の油をこぼすと火に祟るといわれている。
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カタメノフナ 1954年 新潟県 中頸城郡青柳村の杢太が池の伝説では、片目の武士であった杢太が身を投げた杢太が池に住む鮒は今日でも悉く片目であると言う。
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チノツイタモチ 1949年 群馬県 旧白郷井村のある家の先祖は落武者で弓の名人だったが、ある時、畑仕事の人を射殺してしまった。するとその人の妻が家に乗り込んで、指を食いきって正月餅に血をたらし、イチコ池に飛び込んで死んだ。翌年、正月の餅つき時に家人が怪我し、餅が血に染まった。翌年もそうなり、それから餅をつかなくなった。
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モチ 1987年 長野県 与良のある家で暮に餅をついていたとき,合取りの人を誤って杵でつき殺してしまった。以来,暮に餅をつくと餅が血のように赤くなるというので,正月になってからつく事になっている。
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タヌキ 1989年 静岡県 静岡市西島のある家に、狸の和尚の書いた掛字が残っている。
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タタリヤマ 1949年 東京都 ナカツパタという祟り山では、昔蛇を殺したら脂が流れ、川には紫色の血が流れ、川一面が染まったという。
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(ナナフシギ),マムシ 1956年 宮城県 寺に変事ある際、寒中に蝮が出る。
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ウブメ 2000年 お産で亡くなった女がうぶめになる。腰から下は血に染まっている。
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ヤマネコ 1935年 新潟県 毘沙門堂の大祭、押合祭の発祥として以下の話が伝えられる。睦月の始め頃、按摩の杢市が歩いていると毘沙門道に招かれ、坊主の珍念を揉んだが、どうも骨格が人間のものではない。杢市が恐怖を感じていると、悟られたと知った珍念は見る見るうちに口が裂け、牙を鳴らし大山猫となった。山猫は『口外すると取り喰う』と言い残し姿を消した。逃げ出した杢市は口止めされたことも忘れ行き交う人に一部始終を話すと町内に触れが回され、山狩りが行われることになった。山猫はなかなか見つからなかったが、遂に毘沙門堂で大勢に取り囲まれ、勢子の押合う中踏みにじられて最期を遂げた。一同祝杯を挙げ労をねぎらったという。
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ジゴクダニ,レイコン 1993年 静岡県 静岡市の臨済寺の裏山の地獄谷はおそろしい山で、うっかり入ると死ぬ。賎機山の合戦で死んだ霊魂が集まっているところ。
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(ゾクシン),カラス 1935年 栃木県 月夜の烏は火に祟る(火事になる)という。
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カッパ 1971年 茨城県 1965年頃までは、12月1日には思案餅もしくはカピタリ餅、カワッペリ餅と呼ぶ餅をついていた。うるち米は丸餅に、餅米はのし餅にして切り分け、焼いて食べたり、屋敷を出て最初に渡る橋まで行って、河童にやるといって橋の下に投げたりした。
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リュウジン,アオヤギノモクタ 1932年 新潟県 大正4年5月17日、善導寺が焼失した。その1ヶ月か半月前、当時この地へ来た芝居の一団が青柳杢太の伝説を脚色し、市内の人に青柳の杢太にちなんで道具を借りて上演した。その祟りで、善導寺が火元となり、芝居に道具を貸した人たちの所も延焼した。火事跡は蛇がうねったように燃えていたという。
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オチャウリ,タタリ 1984年 愛媛県 来訪してきたお茶売りを殺して大金を奪った。その祟りにより餅を搗くと中に血が混じるようになったので、餅つきは廃止した。
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タヌキ 1989年 静岡県 静岡市下島の長田家に、狸の和尚の書いた「千里」という横物の掛字が残っている。
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ヤマンバサマ 1986年 愛媛県 12月28日の餅つきのとき、用の山の某家に山から山んばさまが米を持って餅をつきにきたという。某家には山んばさまの使った井戸があり、それを山んばさまのツルイという。ところが山んばさまはたいへん汚い格好をしていたので、餅つきの日を変えたところ来なくなってしまったという。
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