ギンセンシミズ 1965年 岩手県 源義家が安部貞任征伐のため、中野村泉沢に陣を張っていたとき、城州石清水八幡大神に祈願し、弓で地面を突くと、清水が湧き出した。その後、清水から銀銭三銭が湧き出した
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コマスイシミズ 1965年 岩手県 源義家の乗っていた馬が吸い出した清水。
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ユゲノシミズ 1967年 福島県 岩のくぼみから清水が湧いているが、これは義家が水に渇して、神々に祈願して持っている弓で掘ったらこの清水が湧き出たという。
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イワシミズハチマングウ 1983年 奥州合戦の時に、源頼義軍は水に渇し士卒が大いに苦しんでいた。その時頼義が石清水八幡宮を拝し、岩を突いたところ、清水が湧出したという。
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ミナモトノヨリヨシ,ミナモトノヨシイエ,イワシミズハチマングウ 1983年 源頼義・義家親子が奥州征伐に向かった時に、水に飢えて苦しんだ。その時頼義が京都の石清水八幡宮の方に祈念して、近くにあった岩を弭でついたところ、忽ち清水が湧き出たので諸軍はのどを潤したという。戦争後、この霊泉を壺に入れて上洛し、当地に井戸を掘ってうつしたという。
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レイスイ 1983年 大阪府 河内国壺井八幡宮の霊水は、奥州合戦の時に源頼義が合掌し、至誠の首を傾けて、弓弰(ゆはず)で岸を穿ったところ、霊水が出てきたという。この水を飲んだ頼義の軍は熱や渇仰が忽ち除かれ、一気に戦勝したという。この水を瓶に入れて持ち帰り、香呂峯に井戸を掘って瓶を埋めたところ、その水は源怨敵降伏の霊水として大切に扱われ、今の世でも飲めば病苦や災難を除かれるという。
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ヤノネシミズ 1967年 福島県 白河神社の近くに出ている泉は、義家がやじりを以って地をうがち、ここに清水を湧き出させたという。
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オニ 1985年 和歌山県 昔、川から鬼が上がってきた。そこで弓を引いて鬼を撃った。撃たれた鬼は流され、オシキで掛かった。オシキは川の難所である。
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タカノイケ 1956年 宮城県 平泉の高館落城、源義経討死に際し、愛鷹が飛んできてこの池に下りたという。
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イロノシミズ 1956年 宮城県 坂上田村麻呂が出陣するとき湧き出たといわれている。
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ミナモトヨシイエ,ミズイシ 1936年 青森県 源義家が着船のために波を静めるまじないとして弓末で潮の上に八幡宮と書いたら、固まって軽石になった。
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ヒナギダン 1956年 宮城県 源義家が安倍貞任と戦っている最中に日が暮れかかったので、軍扇で日を三度まねぎ返して勝った。
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ヤハズイシ 1956年 宮城県 河伯に奉納するために源義家の軍勢が河中に投じた矢がみな石と化した。矢祭石とも。細長い石で今でも岸に多い。
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メッコシミズ 1967年 福島県 昔、源義朝の臣、鎌倉権五郎景政が鳥海弥三郎と戦い、三郎が逃れながら射った矢が景政の左目に当った。景政はその矢も抜かず三郎に追って、ついに三郎を倒した。ここにきて景政は傷を洗った。血が流れ清水に混じったので、後にこの清水の湧く池の魚は左目が盲になった。そこで半盲清水といわれている。
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ウシ 1933年 岐阜県 江戸時代中期頃、ある川が大雨で出水したとき、大きな牛のようなものが半分土砂に埋もれて現れた。斧を打ち込むとむくむくと動いて血を流し、川が真っ赤になった。
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リュウ 1967年 茨城県 八幡太郎義家が山に登り授かった剣で、大石を割ったところ片方がわずかに残り、義家は「吾がことなれり」と言った。そして戦で大勝利を収めた。近くの池には龍がおり、日照りが続くと新しい杭を削って池に立て、少しの水をもらって帰ると、たちまち大雨が降る。
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ニチレンショウニン,ツエ,イズミ 1967年 山梨県 昔日蓮上人が通った時、水を飲みたくなって一人の姥に水を求めると、姥は遠方まで水汲みに行って上人に出した。日蓮は気の毒に思いそこに杖をつき立てると泉が湧き出した。今もこれを姥清水と呼んでいる。
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カワワロ 1980年 広島県 安芸の山県郡羽生村の庄屋である六右衛門の家に、森源左衛門という武士が来た。その者は生臭かった。曰く、近頃の洪水によって河に光物が流れ着いて、淵にとどまってしまったという。六右衛門は河童だろうと、その一族を捕まえて郷への害を取り除こうと怒った。しかし森源左衛門は人を害していないと言った。なので水練の者を生かせると犂の刃が石に挟まっており、それを取り除いた。
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ダイジャ 1971年 福島県 八幡太郎義家が今の塙町を通りかかると1人の男が崖を掘っていた。理由を尋ねると、男の父が湖の大蛇にのまれ、その敵を討つために崖を掘って水を干上がらせようとしていると答えた。義家がそれを手伝わせて水がひくと大蛇が現れた。そこで義家は弓張堂から大蛇を射殺した。このときの弓が矢祭山に置いてある。そして、大蛇の骨は源八山竜沢寺にあって、薬になるといって人々が削っていく。
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シミヅ 1974年 石川県 長谷部家の表門前には清水があるが、長谷部氏がこの館に居を構えて武功があったときに、一夜にして湧き出たという。冬は湯のように水気がのぼり、夏は冷たい水だという。
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