国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

〔カマシズミイケ〕
1956年 宮城県
塩釜の神が釜を運ぶ途中、円福寺の庭にあった池に、釜の1つを落としていったという。

類似事例(機械学習検索)

ヤトウジマ
1956年 宮城県
塩釜の神釜の1つを盗んで舟で通る時、手足がしびれたので、近くの釜ヶ渕に捨てた。
類似事例

オカマシャ
1956年 宮城県
塩土翁神が塩を焼いたという四つの神釜を神体とする。一口は径四尺、三口は四尺八寸の鉄釜で竜神が献じたといいつたえ、今そこを釜渕という。毎年7月10日汐汲み神事を行い、海水を釜渕から汲んで神釜の水を替える。釜は初め七口ないし十五口あったとも。のち四方に散在し、二口は野田、一口は釜渕、四口は加美郡色麻村の四釜、二口は肝沢郡水沢の塩釜、一口は黒川郡富谷町志戸田、一口は仙台市石名坂円福寺にあるという。汐を駄送したとき、和加佐彦命が童形に化し、紫の腹かけを着けて牛を牽いた。牛はのちに石と化して牛石となり、藤のムチから根を生じたという。子供に紫色の腹かけを着せると丈夫に育つといわれる。
類似事例

シオガマジンジャ
1956年 宮城県
塩釜は左宮の武甕槌神と右宮の経津主神、別宮の塩土翁神の三神が初めて草鞋を脱いだ場所。二神は南に帰って、武甕槌神は利根川の左岸常陸の鹿島に、経津主神は右岸の下総の香取に定住。塩土翁神のみはこの地に留まり、潮を煮て塩をとることを教えた。昔から、祭神は童形に化身して、大火の時に消火を手伝ったり、政宗が一時船着きを蒲生に移して塩釜が寂びれたときに村人を励ましたりした。また祭りの神輿に子供が供をして神意を村人に伝える「ざっとナ」という行事もあった。
類似事例

〔カマシズミイケ〕
1956年 宮城県
昔、塩土翁神が海水を煮た12の釜のうち1つが飛んできて沈んだという、式内社行神社の南ふもとの小池。。4つは色麻村の式内社伊達神社の境内に飛んだ。これらを四釜という。
類似事例

〔シンブジマ,カミカマジマ〕
1956年 宮城県
塩土翁神が汐を煮るときに、竜神が釜を献じたという。
類似事例

ゼンワンガシ,ダイジャ
1961年 山梨県
釜無川に椀貸伝説がある。北巨摩郡長坂町旧清春村の曲渕で、人寄りの時にお願いすれば膳椀を貸してくれていた。ところが清泰寺の25代住職白雲和尚は貸してくれる人を突き止めようと故意に返さずにいた。すると数日後に背の高い女が返してくれと催促に来た。差し出した白い手を和尚は刀で切り落とすと、女の姿は消えうろこのある大蛇の腕が落ちていた。以来椀貸しは絶えたが清泰寺には今も蛇骨が秘蔵されていて、早魃の時に蛇骨に水を注ぐと必ず雨が降るという。
類似事例

バンバアイシ
1960年 神奈川県
昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
類似事例

カマガフチ
1956年 宮城県
昔、塩釜神社の神釜十二口のうち一口を盗人が盗み、船でこの渕を通るとき、船もろとも沈んだという。
類似事例

マハナシジマ
1956年 宮城県
塩釜の祭神である経津主命(ふつぬしのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二神が、白馬に乗り、天降った島。塩釜神社の神馬が年老いるとこの島に放し飼いにした。
類似事例

(フチノヌシ)
1975年 愛知県
祐福寺下にある淵には、主がいた。膳椀を貸していたが、ある人が膳の足が一本取れたままで返した。すると、主は怒って貸してくれなくなったという。
類似事例

イシドメミョウジン
1956年 宮城県
塩釜神社の東となりにある延喜式内社志波彦神社の祭神。白馬に乗り冠川に降臨したとき、馬が河底の石に足を滑らせ志波彦神の体が傾いたため、冠を川に落とした。神は怒って河底の石を全てさらって岸に積み重ねた。奥州街道の七北田橋のやや下流左岸に杉木立のある社のところがその跡で、石留明神という。志波彦神が降ったので神降川というが、冠を落としたので冠川ともいった。元は冠川明神といって、岩切八坂神社の地に志波彦神社があった。
類似事例

カマ
1979年 静岡県
金山様は、昔、古戦場である城山稲荷の近くで、乞食が釜を拾って飯を炊こうとしたところ、釜が鳴り出したので驚いて捨てた。それをムラの人が拾い、金山神社の御神体にしたのだという。
類似事例

オカマノヌシ
1990年 山梨県
釜口の一の釜には何か神さんか何かいて、ブラクで困ることがあればそこへ行ってごめしん(頼み)言えば、膳椀をお釜の主が貸してくれた。それは昔機を織っていた人で継親に怒られ、お釜へとんどうだ(飛び込んだ)人が関係しているという。
類似事例

ドクジャ
1976年 静岡県
桜村に池の社という方5町程の2つの池がある。毎年8月彼岸の中の午の刻に半切り桶に赤飯を盛って水泳が達者なものが池の半ばまで押し行き池の真中で手放す。池の水が渦巻いて桶は水中に沈む。伝えによると昔、国主が入国した頃、妾とこの池辺りに遊興した。すると俄かに池に波が立ち妾が池に引き込まれてしまった。国主は怒って池に焼いた石を投げ入れさせ続けた。7日7夜続けたところ毒蛇が死んで浮かんできた。頭は牛のようで、背に黒い鱗があり、白い角が生えていた。また肥後の阿闍梨皇円の霊魂がこの池に入ったとも言われる。
類似事例

イケノカミ
1928年 大阪府
挟山池では、池の神が女の姿で現われて、通行人に頼んで水の底にある馬鍬を取り除いてもらったという話が伝わっている。
類似事例

アラハバキミョウジン
1956年 宮城県
旧塩釜街道の奏社宮の東、街道から南に入る。塩土明神が製塩を教えたとき、燃料の釜木を伐りだしに来たところと言い伝え、ヤブのため茨で神の両脛が傷だらけとなったので社名としたという。脚気の病に利益があるという信仰があって、願をかけるときに木綿や藁の脚袢、ハンバキを奉納し、2つの脛を丸彫りにして一枚板にとりつけた珍しい奉納物もある。また安産の信仰もあって木彫りの男根や赤い切れで縫いぐるみにした女陰も納めてある。
類似事例

シルベイシ
1956年 宮城県
このあたりの暗礁が、汐を運ぶ舟の底を突き破るので、この暗礁を目標として塩釜の神は難をさけた。
類似事例

カマ
1998年 山梨県
笛吹川の一の釜、二の釜について。川浦の山の上の材木を流すとき、この釜にかかれば忽ち水底へ巻き込まれてしまうが、酒1樽、赤飯1櫃を水神に献納すれば渦へ巻き込まれることはない。樽と赤飯は四方から縄を掛けて水中に入れると翌朝には空になって浮き上がってくる。
類似事例

アマゴイ,リュウグウ
1935年 香川県
ある旱魃の年、法泉寺の住職は、海に漕ぎ出し、一通の書状を海に投じて、雨を降らせた。その書状は龍宮につかわしたのだという。
類似事例

エンマドウヨコチョウノカイ
1956年 宮城県
明治の中頃,附近一帯の道路工事に伴って泥沼を埋め立てた。工事完成の数日後,夕方そこを歩いたら髪を振り乱した白い葬衣の女が現れて,何か訴えたげにしていたのを見た者が出た。昔塩竃明神の火災の時,この池にお釜が飛んできて埋まった。明神を信仰していた門前町の妓楼の遊女も焼け死んで,その魂がお釜に縋ってここに埋まったので,今回現れた女はその幽霊だということであった。一方,その幽霊は塩竃の遊女ではなく,近くの弓ノ町が遊女町であった頃無残な死に方をした女があり,その墓石が道路工事で古池の傍らに埋められてしまったために怨んで現れたという噂もあった。円福時近くに住む丹野某と言う請負師がこれを聞いて古池近くを掘らせるとそれらしい墓石が出土,これを厚く弔うとその後幽霊は現れなかったと言う話も行われている。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内