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検索対象事例

ウマヅカ
1956年 宮城県
藤原実方が、笠島道祖神の前を乗り打ちして神罰により落馬死亡した。その乗馬も同様に死んだのを葬る。

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アコヤマツ
1956年 宮城県,山形県
一条帝の頃,藤原実方が勅命で奥州に下ってきた。(陸前国)名取郡笠島の道祖神の社前で馬が突然棒立ちになったため,落馬して命を落とした。
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サネカタヅカ
1956年 宮城県
在中将藤原実方は長徳元年(995年)3月、東山の桜狩りに「桜狩り雨はふり来ぬおなじくは濡るとも花の蔭にかくれむ」と詠み、絶唱と称えられたが、衆の前で藤原行成に「歌が美しいがおこの者なり」とけなされ、実方は怒って行成の冠をつかみ、紫宸殿の廊下に投げる。一条天皇の怒りにふれ、陸奥の歌枕見て参れと陸奥守に遷され、多賀国府に下る。同4年11月、出羽に阿古耶の松を訪ねての帰途、名取郡笠島の道祖神の社前を通り、邪神として乗り打ちしたところ、馬が棒立ちとなって落馬し、今、仮宿と称する民家で死ぬ。享保7年(1722)11月4日五代藩主吉村が詣で塚を修築。
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イウナリジゾウ,(タタリ)
1990年 長野県
下馬しなかったために落馬し、怒って言成地蔵に斬りつけた侍は、病死した。
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ムカデバゲン
1971年 滋賀県
百足馬蚿は比良嶺より襲来するが、藤原秀卿に射殺される。
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アコヤマツ
1956年 宮城県,山形県
藤原実方が不慮の死を遂げる。その娘の阿古屋姫のもとに夜な夜な男が通ってくるが,その男は松の精であった。その松を切り倒した人々は姫の力を借りて名取川まで運んだ。
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スルスミ
1974年 静岡県
源頼朝が梶原景季に与えた磨墨という名馬は、当時の持ち主である梶原頼実が駿河の狐崎で死んだ時、その場所の笹葉を食い切って死んだという。その場所の笹葉は食いきった様に生じるという。
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ソウゼンジンジャ
2001年 青森県
階上に馬の守護神として祀られている蒼前神社にまつわる伝説に、「藤原有家卿物語」というものがある。源平合戦の昔、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の大将・藤原有家卿は、名馬「白馬龍」に跨ったまま海に飛び込み、岩手県種市町の有家に辿り着いた。そこで観音様を拝んだところ、西の方へ行くようにとのお告げがあり、それに従って旅立った。だが、妙野(今の蒼前平)まで来たところで馬がとうとう倒れてしまった。藤原卿は悲しみ、愛馬を手厚く葬り、槻の木を植えた。その後、村人達がそこにお堂を建て、蒼前神社として祀った。
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オロチ
1974年 佐賀市
元弘三年櫛田宮の前を通ろうとすると馬がすくんで動かなくなった。鏑矢で祠の扉を射ると元の通り動けるようになった。後に見るとおろちが矢に当たって死んでいた。
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コボウズ,カッパ
1966年 香川県
川原の草原で馬を放し飼いにしていたところ、水中から小坊主が現れ、馬の前脚後脚をがんじがらめに縛った。ぐったりしているところに飼い主がかけつけ、笹をあてがうと馬は目に涙をため、一口二口笹を噛んだまま死んでしまった。
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テンバセキ
1976年 徳島県
阿波勝浦田の村にある天馬石は、宇治川の合戦の時、梶原源太の乗っていた池月という名前の名馬が、先陣を別の馬に取られて、遅れたのを恥じ、怒りのあまり、この場所で死に、石となったともいう。
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〔サチョウジンジャ〕
1984年 島根県
現在の狭長神社はもともと稲荷があったところに多くの神様が合併している。もともとは佐中に社があったらしいが、ヨコヤが神体をあずかっていた。祭神はウズメノ命、天御星命だという。この神社の前を侍などが馬に乗って通ると必ず落馬して1年に1人は死んでいたので下に社を下ろしたという。
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リュウ
1935年 香川県
藤原淡海公は、面向不背の珠などの宝物を支那から持って帰る途中、讃岐志度沖で難船し、珠はなくなった。淡海公は志度の蜑と契り、頼んで珠を取らせた。蜑は悪竜からかろうじて珠を取り返すがそのために死んでしまった。
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リュウジン
1990年 秋田県
黒沼の竜神は馬に乗って黒沼の真ん中へ立っていたというが、そのようなものを見た人は死んだ。
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ダイジャ
1975年 高知県
乗本様という神様が生きていたとき、娘が蛇に食われた。その蛇が疲れて休んでいるところを乗本様が討ったら、谷が血で染まった。
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〔バサイヅカ〕
1956年 宮城県
貞享4(1687)年7月前谷地村の幸七という者が馬を曳いてこの辺りを過ぎると,突然馬が倒れ絶命してしまった。
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バジョウカキザキジンジャ
1956年 宮城県
後藤孫兵衛信康が献上したので五島黒という伊達政宗の愛馬があった。大阪冬の陣のとき、五島は老齢になっていたので留守をするよう申し聞かせると、その夜本丸の崖へ駆け出していって落ちて死んだ。役に立たぬなら死ぬがましだという殊勝な心を哀れみ、落ちた場所に葬った。のちに祠を建て五島墓さんと称し、子供の馬脾風(ばひふ)が治るという信仰がある。明治のはじめ、片平丁に移る。
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ベットウ,イナムシ
1923年
斎藤別当実盛が越前篠原で手塚光盛にうたれるとき、馬の足が稲の切り株にかかって躓いたために無残な最期をとげることになったことから、実盛は稲の害虫になったと伝えられている。
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タタリ
1974年
下河辺行平は山の神が猪となったものを射ようとして当たらず、その夜死んだ。
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ダイバガミ
1956年 群馬県
だいば神は馬にとりついて、一瞬のうちに死なせる。目に見えない悪魔神のようなものである。外にいる時に、風もないのに一種の魔風のようなものがさっとあたりにうずまくような感じがして、馬は大きな身ぶるいを始め、そのまま死ぬこともある。馬の耳を切って、血を出せば、赤色を嫌がるだいば神は逃げるという。上岡の観音堂の笹や「大津東町」と染めぬいた腹掛、葬式の天蓋の布もだいば神よけになる。
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バトウカンノン
2001年 青森県
北の地へ落ち延びた藤原是實公は藤原正善と名を改め、自分は午の歳、午の日、午の刻生まれであるから、死後に一宇を建てて馬頭観音を祀れば、馬に関する願いは叶えると遺言して午の歳、午の日、午の刻に亡くなった。ある者が多くの馬を授かるようにと祈願すると、夢に馬頭観音が現れてその願いがかなったと言う。
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