オロチ 1974年 佐賀市 元弘三年櫛田宮の前を通ろうとすると馬がすくんで動かなくなった。鏑矢で祠の扉を射ると元の通り動けるようになった。後に見るとおろちが矢に当たって死んでいた。
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〔バサイヅカ〕 1956年 宮城県 享和2(1802)年,庄松という若者が馬に乗って駆け抜けようとすると,馬が泡を吹いて倒れ,死んでしまった。
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〔バサイヅカ〕 1956年 宮城県 天保7(1836)年3月のある朝,涌谷の馬夫六右衛門という者が草を刈りに行った時に馬が手綱をほどいて奔走した。馬はこの塚の辺りに来て倒れ,荷鞍に挟んだ鎌で背中を切り裂いて死んでしまった。
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ダイジャ 1955年 山梨県 明治十七年、道志村の村民五人が馬に乗っていると大きないびきが聞こえ、巨石の上を見ると鎌首をのし上げた大蛇がにらみ据えた。村民は逃げ帰ったが、四人はそのまま長患いし、一人は悶え死にしてしまった。
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ウマ 1937年 新潟県 医者である主人を慕って死んだ馬がいる。寺の前まで行くと、ぐるぐると廻って出て行こうとしない。追い出すと戻ろうとするところをなだめて帰ったが、帰途、その馬は死んでしまった。
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ガラッパ 1937年 鹿児島県 天保8年ごろ、ある人が馬を五郎池の辺に繋いでいると、馬が急に暴れだし駆け出した。取り静めてみると河童のようなものが馬の足に綱で絡まって死んでいた。馬を引き込もうとして失敗したのだろう。以降この家では子供ができず、代々養子を入れ家を継いでいる。
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(オオヒョウ) 1981年 奈良県 正徳4年7月1日午の刻過ぎより吉野山で大雹が降り、多くの人や牛馬が怪我をした。雹の重さは5,6分のものから100目くらいまであり、諸人がただ事ではないと怪しんでいると、聖護院宮が薨去したので、これが理由かと村人は思った。
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〔バサイヅカ〕 1956年 宮城県 天保3年(1832)の夏,涌谷の六蔵という農夫が草を刈りに行きこの塚の辺の木に馬を繋ぐと,変な声で嘶いて倒れた。
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オオヒョウ 1974年 福岡県 天保8年4月29日に、筑後の簗川に雹が降った。重さ200目ほどあり、外で飼育していた牛馬が撃たれて死んだという。
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ガラッパ 1982年 鹿児島県 昭和3年秋。馬を川に洗いに行ったが馬が水に入ろうとしなかった。無理やりいれて洗ったが、その後馬は餌を食べなくなって死んだ。
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アコヤマツ 1956年 宮城県,山形県 一条帝の頃,藤原実方が勅命で奥州に下ってきた。(陸前国)名取郡笠島の道祖神の社前で馬が突然棒立ちになったため,落馬して命を落とした。
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シチロウタ,ボウレイノタタリ 1970年 長崎県 昔奉行が失態を責めたのに憤激した馬丁が馬を殺し、自殺した。その馬丁の七郎を葬ったのが七郎田の由来で、いまは神田になっているが、この亡霊が祟りをなすといわれている。
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(シモカモノシンメ) 1983年 京都府 弘安4年の蒙古襲来の際に、下賀茂社の神馬が行方不明となったが、蒙古が滅びた日に厩に帰ってきた。その身体の所々に傷や血が付いていたという。
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テンジン,カミナリ 2001年 奈良県 幕末の頃、代官が天神様の手水鉢の水を馬に飲ませた。やめてくれと言った人は鞭で叩かれた。代官が500メーターくらい行くと、黒い雲が出てきた。急いで急な坂を駆け下りかけたとき、代官に雷が落ちて馬と一緒に谷下に落ちて死んでしまった。その坂は代官坂と呼ばれるようになった。
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〔バサイヅカ〕 1956年 宮城県 天保15(1844)年庚申3月八谷影叙が涌谷町壺屋某の茶店で聞いた成沢にある塚の話。江戸時代の事例を4件列挙する。この塚に馬が近付くと必ず禍を受けるという言い伝えがあり,昔から馬を曳いたり馬に乗ったりしてここを過ぎる者はいなかった。原因は不明である。
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フダンドブ,ウマノクラ 1996年 石川県 ふだんどぶという水溜りには、お盆になると馬の鞍が浮く。昔この澱みにはまって死んだ武士がいて、その馬の鞍が浮くのだという。
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ウマヅカ 1956年 宮城県 藤原実方が、笠島道祖神の前を乗り打ちして神罰により落馬死亡した。その乗馬も同様に死んだのを葬る。
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イケナカノクラ 1913年 石川県 長享2年6月8日、倉嶽村にある富樫政親の城を一向宗の僧徒が攻め、政親を滅ぼした。政親は馬諸共池に沈み、今でも晴れた日には池の底の鞍が見えるという。6月8日に限っては鞍が水面に浮き出るといわれている。
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クビナシウマ,ヤギョウノカミ 1984年 愛媛県 上須戒村と高山村の境にある小笹ヶ城から多田村の小笹ヶ城までの道を、毎月27日の子の刻に烏帽子、狩衣を着した貴人が、頭のない白馬に乗り、舎人を一人連れて通る。これを人々は夜行の神と呼び、出会うと熱病を受け死ぬと伝えるため、27日の夜はその道を通る者はいなかった。しかし、ある時高山村の百姓がこれに出会い、道の下の岸陰に隠れていると、夜行の神が足を止めて「この道の下に人がいる」と言ったが、舎人が「この者は下人です」と告げたのでそのまま通り過ぎ、命拾いをした。
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イッポンツノノウマ 1978年 愛媛県 宝暦元年の頃、一本角の馬が宗楽寺の近くに現れ、田畑を荒らし家畜をおそった。皆は困り、宗楽寺の和尚に相談をした。白元和尚は秘仏本尊の前にひれふし、二夜三回の回伺をした。満願の日の午の刻に、宗楽寺の裏山に馬が現れ、天に向かって叫ぶと倒れた。
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