国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

〔ソバコメザカ〕
1956年 宮城県
高森城跡へ登る道と分岐する青麻街道のゆるい坂。城跡の西側にある。寄せ手に水を絶たれた城方が、白米を水と見せかけて馬の背を洗った。落城後、米とそば粉が砂に化したという。

類似事例(機械学習検索)

タカモリジョウ,〔ソバゴメザカ〕
1956年 宮城県
伊達政宗がこの城の今市某を攻めた時、山城で井戸がなく、水は利府の神谷沢から運んでいるのを知って水の手を絶った。城方は寄せ手を欺き、白米と蕎麦粉を高いところから落として馬の脚を洗うふりをしたが、鴉がとまったので計略がばれて落城する。城の西側、青麻道の辺りに蕎麦米坂というところがあって白い米粒のような砂と蕎麦粉のような砂が見られる。落城した後、米と蕎麦が砂に化したという。
類似事例

レイ,ボウコン
1929年 青森県
高館でも、ある城で水の手を切られて困ったことを隠さんが為に、馬に白米を注ぎかけて水で洗っているようにみせかけようとしたが、見抜かれて弱点をつかれ終に落城した。城主は馬で新法師という村に走り込んで戦死し、其の後作られた塚からは霊が祟り、落城の際に死んだ者の亡魂が現れた。
類似事例

オオモリジョウ,チ
1967年 福島県
大森城は平ヶ城とも白鳥城とも呼ばれていた。この城を破却した時、この道の堀を切ったところ、土のそこから血が流れ出したという。
類似事例

クビナシウマ
1974年 愛媛県
首なし馬が祖母井(うばがい)城からの小道を駆け抜ける。祖母井城は築城のとき、水に困っていたら、老婆が現れいい水の出るところを教えてくれたが、三代目のときの戦で馬が首を切り落とされた。この首なし馬が駆け抜けたところは水路であるという。
類似事例

ウシイシ
1956年 宮城県
大館城には水の手がなかったので、下の沢から樽につめ、牛の背につけて運んだ。落城の後、その牛が石となった。
類似事例

カミ,アシアト
1987年 広島県
岩に人の足跡と馬の蹄に似た窪みが付いている。神さんが通った時に落ちている米を食べるために降りた跡だという伝説がある。
類似事例

フネ,ロウジン
1930年 石川県
酒田の本間が船に米を積んで、七尾の港に入った。七尾は世の中が悪くて祭が出来ないでいた。そこへ老人がたずね、米を町に皆あげるように頼み、お礼は夜、町に落ちているものだと言った。本間の主人は米をあげ、町に落ちていた馬糞を拾った。明朝馬糞は黄金になっていた。
類似事例

ボウレイ,イヨウノモノオト
1929年 福岡県
豊前の香春岳にある城では、白米を浴びせて水があることを示した伝説がある。城下のある女性が、敵の間者と縁を結んで、密かに泉のありかを教えてしまったので、水の手を切られた。城は焼き討ちにあって陥落してしまい、妻子は谷に落ちて死に、一家が絶えた。今でもその亡霊の仕業で山中に入ると、異様な物音が聞こえてくると言う。
類似事例

シュイケ
1929年 新潟県
馬が大怪我をして血塗られているのを見つけたので、それを村人が洗った。それは馬が怪我をしたのではなく、城跡に埋められた朱池に足を踏み入れたのだということがわかった。
類似事例

テンジン,カミナリ
2001年 奈良県
幕末の頃、代官が天神様の手水鉢の水を馬に飲ませた。やめてくれと言った人は鞭で叩かれた。代官が500メーターくらい行くと、黒い雲が出てきた。急いで急な坂を駆け下りかけたとき、代官に雷が落ちて馬と一緒に谷下に落ちて死んでしまった。その坂は代官坂と呼ばれるようになった。
類似事例

ノマノロウバ,タタリ
1965年 愛媛県
重茂山で戦があったときに、水不足になった。敵は兵糧攻めにしたが、城主は蔵から米を滝のように流して水があるように見せかけた。しかし、野間の老婆が米を流していることを密告したため、重茂山は落城した。この老婆の家は、祟りで悪くなったといわれている。
類似事例

マツモリジョウ
1956年 宮城県
一名を鴻ノ館という。伊達政宗が国分盛重をこの城に攻めたとき、入沢乙から水を運んでいるのを村の一老人から聞き、水の手を絶ったが、城方で水を流して馬を洗うのが見え、不審に思っていると鳥が(水にみせかけた米に)群がり集まったため計略がばれた。その日は正月三日で、政宗方の門松が折れたので、家老が不吉の前兆であるから城攻めを見合わせて欲しいというと、政宗は松が折れたのは松森が落ちる吉兆だとして一気に攻めおとす。水の手を教えた老人は祟りをうけて死んだ。
類似事例

チノイケ
2000年 香川県
三豊郡高瀬町にあかご(赤子)の足あとが残る大きな岩がある。昔、鬼がうすの山のてっぺんから、馬と赤子が飛び降りた。馬は力つきて祠の横の岩に首を突っ込んで死んだが、赤子は岩の上に立っていた。足あとはそのときのものである。馬の頭にそっくりな岩から沸いている清水を額につけると頭痛が治ると言われている。
類似事例

ホウドウセンニン
1931年 兵庫県
法道仙人が清水山から法花山から馬に乗ってきたとき、松の木をひき抜いて投げたのが今だに横たわっている。法花山の西の口から入山したとき、鞭の先で岩を突くとそこから水が出て、今はそれが泉になっている。どんな旱魃でも枯れないのだという。また、玄米を積む船の船頭が、鉄鉢が米を乞いにきたときに米を入れずにいたら、米俵がすべて法花山に飛んで行った。船頭が謝ると仙人は米俵を船に戻したが、一俵だけ途中で落ちた。そこを米田村というようになった。
類似事例

ボウレイ
1963年 鹿児島県
墓穴・岩穴で辛城という所に、ハンショウカという人が馬に乗って行った。中に向けて鉄砲を撃つと、後から亡霊が追いかけてきた。小屋などに逃げ、亡霊に見つけられない間に朝になった。馬は四肢を割かれて死んでいた。
類似事例

ナナイロギツネ
1989年 福島県
那須野ヶ原の七色狐を鉄砲で撃ち殺したら、その血が固まって石になった。1つは那須野ヶ原に、1つは天空に、最後の1つは表郷の中寺集落の寺に飛んでいった。7月7日にその石を虫干しするという。
類似事例

オクリオオカミ
1987年 岐阜県
寺尾ヶ原の山道には送り狼が出た。人間が倒れたら取って食おうと思って後から付いてくる。話者の祖父がつけられて家まで帰り、馬をつないで足を洗った水を捨てようと表に出たらまだ狼がいた。お礼を言われるまでは帰らない。
類似事例

カッパノショウモン
1956年 宮城県
葛西氏家臣小泉宝領館主三条小太夫近春が夏のある日小泉川に馬を洗いに行った。日ごろおとなしい馬なのに,川に引き入れると暴れだすことが5,6日続いたので近春がよく調べると,河童が馬の尾に悪戯をして驚かしていたのであった。近春が鞭で河童を強く叩くと河童は失神した。蘇生してからは平身低頭して謝り,詫びの証に水遁の術の巻物と詫び証文(直径5,6センチの平たい石)を差し出した。この石は天気の観測に役立つとも,水に潜るときに役立つとも言われた。
類似事例

フダンドブ,ウマノクラ
1996年 石川県 
ふだんどぶという水溜りには、お盆になると馬の鞍が浮く。昔この澱みにはまって死んだ武士がいて、その馬の鞍が浮くのだという。
類似事例

テング
1932年 山口県
東郷峠を夜半に越えていて苔むしたところへ来ると気が遠くなり、木がつくと下の田に落ちていた。天狗に投げられたのだと言う。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内