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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

テンニョ
1956年 宮城県
延徳年中(1489~1492)、津宮の漁夫、作兵衛が舟で竹島を通ると、管弦の音がして、一団の天女が舞うのを見る。天女たちは見つけられて舞い上がったが、1人は逃げ後れる。作兵衛は家につれ帰ったが、食を断って死ぬ。

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テンニョヅカ
1956年 宮城県
津の宮の社家、作兵衛の四代前の先祖某が竹島に天女の群が舞っているのを見つけ、逃げ遅れた天女を家に連れ帰った。天女は豆柿を少し食べただけで6,7日して死に、連れていた子犬も死ぬ。葬ったところを天女塚といい、子犬の墓を狗塚という。
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タタリ
1974年 愛知県
荒神だからと止めるのも聞かず、津島・戸辺両社が祭りで流した御葭を見に行ったところ、急に寒気がして足が動かなくなった。やっとのことで家に帰ったが高熱が出て、ひとりは6日後に、もうひとりは一時回復したが1年後に死んだ。
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ミヤジマサマ,ダイジャ
1930年 広島県
清盛は安芸の国の殿様だったころ、宮島の神体であった女性に妻になれと言った。女神である宮島様は清盛に、一日の間に千畳の畳が敷ける家を作ることができれば妻になっても良いといった。天子様の落胤で神通力を持っている清盛は難なくそれを成し遂げ、宮島様は清盛の妻になることになったが、その姿が大蛇になっていたため、清盛は舟で逃げた。大蛇は追ってきたが、潮が逆流したために逃れることができた。その後清盛は、日をあおぎ返した罪のため、日の病という熱病にかかり、黒焦げになって死んだ。
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ヘビ
1929年 東京都
神津島の東側海中に祗苗島いう海草貝類の豊富な小島があり、村の女達はよく採りに出かけていた。ある日漁の最中、急に天候が悪くなり皆急いで帰村した。だがひとり残された女がおり助けを求めて叫び続け死んでしまった。暴風が去り若衆が助けに行ったが、既に死体となりその髪の毛一本一本が蛇と化して居た。
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テング
1982年 群馬県
昔、子之作という作男が天狗を信仰して歌い踊っていたが、子供を食わせる事ができなくなって渕に放り込んで殺した。そこを子之作渕という。
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テンニョ,スガタノイケ
1983年 静岡県
駿河国三保で魚釣りを生業とする男が,降った天女と3年の間夫婦となった。離別して天女が天に帰った後、男があまりに悲しんだので、天女は名残に舞を舞った。その姿が池に映ったので、その池を姿の池と名づけたという。
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テング
1992年 三重県
慶応時代、関ヶ原の合戦で落ち武者となった権兵衛という男が、下野代に住みついた。しかしあるときどこかへ行ってしまう。鐘や太鼓で探し回る。3日目に古野の山から天狗にもらった木の葉でつつんだ団子を持って出てくる。天狗が寺や神社に連れて行ってくれたのだという。空を飛んでいったという。後に権兵衛は死んだ。
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ニンギョ
1978年 沖縄県
竹富島に妾がいる富崎の医者の本妻は人魚が美女に化けたものだった。妾が嫉妬し本妻を刺殺したところ大津波がおきて村が流された。明和8年のことで明和の大津波として語られている。
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タタリ
1974年 愛知県
延宝2年、津島、戸辺両社が祭りで流す御葭が熱田に来たので、幸の事であるから、幕を新調した家に幕を借りに行ったが、持っている家の手代2人が貸してくれなかった。その夜手代2人は高熱が出て狂って「私の神力を知らしめる」など様々の事を罵りながら5、6日目に死んだ。
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イセオドリ
1973年
寛永元年の2月上旬から、諸国で伊勢踊が大流行し、泊舟伝馬人夫と号する神を、伊勢太神宮に送ってきた。吉田家に下問すると、鎮座以後、祭礼を怠っていないに、伊勢内宮・外宮の神が飛んでいくはずがない、これは諸民の児戯だ、と答えがあった。将軍家でなお詮議をし、以前に伊勢踊が流行った後に、大坂で兵乱が起き、徳川家康が死んでいるので、これは不吉の予兆であると評定がまとまった。その邪神を野外に送り捨てると、踊に関わっていた人馬の疲弊も止まった。
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キツネ
1956年 宮城県
伊達家御乱舞方の一噌流笛の名人鯰江八太夫が、この網地島(あじじま)に流刑となる。彼が毎日夕方海岸に出て笛を吹く度に、男の子が来て聴いていた。ある日いうには、わたしは年古くこの島に住む狐だが、近いうちに狐捕り弥左衛門が来るので笛を聴くのも今夜限りといい、殿様が松ヶ浜の御殿崎に出馬するから笛を吹くようにとその月日を教え、笛のお礼に源平屋島の戦を見せて姿を消す。殿様出馬当日、八太夫の笛は御殿崎までとどき、八太夫は赦免になる。
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テンニョ
1977年 奈良県
天武天皇が、出家しようと、吉野川のほとりにある滝宮というところに行った。ある夜、琴をかなでていると、山に白い雲がたなびき、天女とおぼしき乙女が、琴の音に合わせて舞った。天皇は、「おとめ子が乙女さびしもからたまを袂にまきておとめさびしも」と詠んだ。この天女を見たのは天皇のみだったという。
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ユクエフメイ,テング
1926年 和歌山県
初夏、徳松が川で行方不明になった。4日後見つかったが、それ以来、家を空けたりするようになった。徳松は川で天狗に助けられてから天狗と付き合っていると語るので、人々は天狗の徳松、天狗徳兵衛と呼ぶようになった。
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ベンテン
1964年 福島県
昔、五兵衛という男がある晩に船を引く音を聞いた。出てみたが人影もなかった。すると声がして「おれは沼の内の弁天だが、沼につれて行ってくれ」という。負ぶって現在の弁天様の地に安置したところ、「ここで別れるぞ」といって姿が消えた。しばらく前まで代々かれの家が弁天様のかぎをもっていたという。
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(オオオンナ)
1976年 京都府
天寿3年4月、身の丈7尺、顔の長さ2尺の女が船に乗り、丹後の浦に寄った。船の中に飯酒があり、近寄るものは皆病気になった。着岸させなかった間に死んだという。
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カラス
1966年 沖縄県
今から300年前、玉城村に美しい祝女がいた。しかし薩摩の侍に気に入られ、薩摩へ連れて行かれてしまった。与座、照屋、百名、玉城、富盛、糸満の七村の祝女たちは、彼女を返してもらいたいと侍に懇願したが上手くいかない。そこで祝女たちは、死んだカラスをタライに浮かべて、これが沖縄に向かったら彼女を返す。それ以外であったら諦めるといった。死んだカラスが動くはずもないと思った侍だったが、不思議にもカラスは沖縄に向かい、祝女は帰ってきた。
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ニンギョ,ニンギョウイズ
1978年 沖縄県
竹富島に妾がいる富崎の医者の本妻は人魚だった。妾が嫉妬し本妻を刺殺したところ大津波がおきて村が流された。明和8年のことで明和の大津波として語られている。
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イチキシマヒメ
1978年 広島県
佐伯鞍職が大野の瀬戸で釣りをしていると、うづぼ舟が近づいてきた。そこから女官が現れ、自分はこの島の神だが、お前にこの島内のよい所に宮居を決めてほしいと行った。佐伯鞍職は新しい舟に姫を乗せて浦々を祈祷しながら廻った。養父崎に来ると弥山から烏が飛んできて先導し、脇の浦まできて消えた。姫はここを宮居と定めた。
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ウナンダ
1956年 宮城県
応仁年中(1467~1469)、この島に移住した楠氏の中の正直者が、夜釣りをしているときに恐ろしい唸りの光り物が飛来して落ちるのを見る。その夜、汝の正直をめでて海難を除き幸福を授けるという伊勢の風の宮の神の告げがあったので、光り物の落下点に宇南神社を祀り、田を宇南田(唸ん田)と称した。今も不浄な肥料は入れず、その米を餅について春秋の祭に供える。
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ニワトリ
1929年 岩手県
明治二十九年、高貴な人が岩手の磯村に流鏑の身となり、月をながめておられたが、幽憤のあまり海中に身を投じて亡くなられた。里民はいたく悲しみ遺体を捜索するのに家鶏を舟に乗せて出ると、或る所で鶏が高く鳴いた。果たしてその場所に遺骸を発見することができた。高貴な方は垂仁帝の第二皇子是津親王である。
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