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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

シンジュウロウキツネ
1956年 宮城県
台町五番丁の東北角屋敷は,以前郡司桜田安兵衛の屋敷であった。裏の竹薮に穴があって,そこに新十郎と呼ばれる狐が長年棲んでおり,様々化けては通行人を悩ました。

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トウゴロウキツネ
1956年 宮城県
八景橋の辺りに藤五郎と呼ばれる老狐がおり,よく通行人を騙した。中津村新田に勘作という獅子舞の師匠が,ある日大田袖沢小谷地の物持須田某に招かれた帰途,大きな屋敷に是非にといって招きいれられた。一行は終夜踊り通したが,夜が明けてみると八景橋近くの谷地の中におり,土産が全部無くなっていた。藤五郎狐の仕業だという。
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カイイヤシキ、オオニュウドウ、ヤシキカミ
1956年 宮城県
昔,新坂通台町五番丁南側東角の屋敷を拝領した侍が一人住まいをしていた。ある夜座敷に寝そべっていたところ庭先近くで呼ぶ声が聞こえる。障子の隙間から覗くと軒よりも高いような大入道が立っており,ここは昔から自分の屋敷だから早く立ち退けとわめく。主人が「ここは殿から拝領した我が屋敷じゃ。お前こそ立ち去れ。」と言い返すと,「ここはわしを粗末にしたので住み着いた者はいない。祭の日に神酒や供物をして厚く祀ってくれれば守護してやろう」といって消えてしまった。翌朝調べると屋敷の一隅に梅の老木があり,その下に小祠があった。それが前夜の大入道が屋敷神として棲んでいた祠だったのだろう。当時今泉孫八郎の屋敷であった。
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オハマジョロウ,キツネ
1930年 千葉県
明治の初年頃、字太田と字木之子に通じる山間の路傍の社に年を取った1匹の狐が棲んでいて、綺麗な女に化けてここを通る人々の持ち物を奪って食べていた。わかっていても奪われてしまうので、ここを通る人は食べ物を持っているときは一部分を社に供えるようになった。この狐は常に美人に化けたので、おはま女郎と呼ばれて評判になった。
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アカサカコタロウ
1956年 宮城県
西小野田の南西,鹿原を中心とする南北の坂の辺り三ヶ所ほどの所に,昔狐が棲んでいてよく人を騙した。村人は狐に名前を付けた。赤坂小太郎もよく人を化かす狐だが,命名理由は不明。
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ツキヨノオオニュウドウ
1956年 宮城県
土橋通り台町七番丁と六番丁との間、白根沢家の南隣りは、当時遠藤九郎兵衛の屋敷だったが、この主人はよく化け物を見ることがあった。ある時は大入道が月夜に路地を通り過ぎるのを見た。*呼称は「日夜の大入道」となっている。
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キツネ,ジュウグンスルキツネ,モウレン
1972年 鹿児島県
西山家の裏山には狐の巣があり怪しいことが時々起こる。明治中期、安山家の鶏が西山家の裏山に住む狐に取られた際、西山家の人間がこの巣の前で鶏を返さないと狐取りをすると脅したところ毛がきれいにむしり取られた鶏が安山家北東のタブノキの枝に止まらせてあったということがあった。西山家の裏山の狐は日清、日露戦争にも挙って従軍したという。部落から従軍者が出ると狐が集って気勢を上げるということであったが、第二次世界大戦中の狐の集会は大規模であり、提灯行列が狐の巣から薙野まで続いたということだ。しかし昭和21年、毛は焼けただれて、肉は落ち、骨を皮にやせ衰えた最後の狐が榎を切るなと喋った。いつの間にか狐の姿は消えて榎の枝が風にそよいでいるのみであり、その葉に狐の毛がついていた。この榎のあたりはもうれんがたびたびでる場所であった。
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タロベエキツネ,キツネ
1929年 島根県
太郎兵衛という狐の一族が飯山の森に住んでいた。農村の人をだましたり、女に化けて持ち物を盗んだりしていた。宵闇の頃にも出没し、翌日確かめてみると、魚屋の銭箱には木の葉が二、三枚はいっていることもあった。
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キツネ
1933年 兵庫県
摩耶山ふもと杣谷の河辺の墓地に兵五郎という狐が住んでいた。灘の人が墓詣でに行って塚穴を覗くと狐が住んでいて、ゴーッといってその場で眩暈がした。今でもこの話をするとふるいが来る。
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キツネ
1990年 長野県
桜小路のお六という女狐がいた。祝沢から上町へ向かう桜小路にいて人々を化かした。祝沢を渡って買い物に行こうとした人が、急に水が流れてくる音を聞いた。このあたりに川はないのにと思いながら、着物を端折って「深い深い」と言いながら歩いていたところ、向こうから来た人に「何をやっているんだ」と言われた。それでも気づかなかったが、背中を叩かれて正気に返ると、ただの道を歩いていた。
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キツネ
1977年 東京都
元禄の頃、本所小梅の稲荷の社に狐が住んでいた。近所の茶屋の老婆が呼ぶと姿を現すが、他の人が呼んでも出てこなかった。
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ロウコ
1977年 岐阜県
濃州安八郡春近村の富農・井上与三郎の家の庭に昔から住む老狐は、代々地主と親しく、郷里の者たちと常に言葉を交わしていた。名を板益亥正といい、また別名を梅庵といっておよそ300年住んでいるという。書も巧く、また禅なども論じ、医学にも通じていた。ある時、行方知れずになり、里の者が探すと、大津の駅で見つけた。都に移住し死期も近いという。その狐はもともと寧波あたりの僧で、邪見によって獣となってしまったという。井上の子供に教えていた手習いも、岐阜山孝寂という実は野干である僧に頼んでおいたという。
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キツネ
1985年 新潟県
竹所集落と室野集落の間に笠取りのゴンタロウという狐が棲んでいて人を化かした。
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ロウコ
1977年 岐阜県
老狐の筆跡がある。濃州安八郡春近村の富農・井上与三郎の家の庭に昔から住む老狐は、代々地主と親しく、郷里の者たちと常に言葉を交わしていた。名を板益亥正といい、また別名を梅庵といっておよそ300年住んでいるという。書も巧く、また禅なども論じ、医学にも通じていた。ある時、行方知れずになり、里の者が探すと、大津の駅で見つけた。都に移住し死期も近いという。その狐はもともと寧波あたりの僧で、邪見によって獣となってしまったという。井上の子供に教えていた手習いも、岐阜山孝寂という実は野干である僧に頼んでおいたという。
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キツネ,オンナ,オオニュウドウ
1937年 岩手県
昔、夜遅くに若い女を見て狐が化けていると正体を見破った男は、次に大入道に会い、狐と見破る。家に着くと狐がいたので叩いているとそれは雨着だった。またある時には、大水が出たと思わされて、蕎麦畑を裸であるかされたりもした。
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キツネ
1969年 山梨県
比志集落の法印屋敷と呼ばれている桑畑は、昔、法印さんが住んでいたところという。法印さんは狐を飼っており、祈祷もしてくれたが気に入らない人には狐を憑けるといわれ、怖れられた。法印さんがこの土地を去るとき、狐を屋敷の側の大きな榎の洞に閉じ込めた。榎を切ったら狐が暴れ出すといわれ、切らない。
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キツネ
2002年 山口県
狐に化かされたと、一週間も鉦や太鼓で探し回り、三里先の部落のある家の軒下に入り込んでいたところを犬に吼えられていたのを見つけ出したということがあった。また女などにも化けるといい、火などをともしてみせたという。馬を部落裏の台山に放牧したことがあったが、狐の穴に足を落とすと化かされるといい、また化かされたものもいた。
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キツネ
1966年 山形県
昔、徳兵衛という人が集まりに出かけ、飲めや歌えの大騒ぎをした。帰り道、日当という場所付近で、酒の席にもいた二人の女中が追いかけてきた。徳兵衛は路上で女中と再び酒を飲み、眠った。苦しくて目が覚めると松の根元に寝ていた。家に帰り着いたが体は死んだように重かった。徳兵衛の持つ折箱の中身を狙って日当の狐が化けて現れたのだという。
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キツネ
1982年 群馬県
1917年前後のこと。下秋間のお爺さんが妙義町菅原の葬式の帰り、五本の辻というところで狐に化かされて、九十九川の石の上で一晩過ごした。翌朝、知り合いに声をかけられて正気に戻った。知っている人の家の縁側に腰掛けているつもりだったという。
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キツネ
1931年 長野県
帰り道がわからなくなり、迷い歩いた。夜が明けて家に帰ったら大変な騒ぎになっていた。赤木山の狐に化かされたのである。
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キツネ
1977年
丹波国で、ある百姓の屋敷の裏の岩屋に狐が人に化けて住んでいた。膏薬を作って生計を立てており、総髪で50歳程に見えるが、300年前のことでもよく知っていたので村人の助けとなった。ある時藤の森から使いが来て向こうで暮らさなければならないといって去った。
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