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検索対象事例

ハヤリショウガツ
1964年 福島県
正月でない時節に正月様といって、村の入り口に若連中がしめなわをはると、村のおとなたちが黙っていっせいに農耕を休む。

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シメナワ
1964年 福島県
正月のしめなわが切れると、不吉の前兆とされる。
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ショウガツノカミサン
2000年 徳島県
正月15日の小正月は、上り正月やおくり正月と言い、正月飾り(松飾り・注連縄など)をはずし、囲炉裏で全て焼くので黒煙が立ち昇る。この煙に乗って、正月の神さんは天に帰る。
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シメナワ
1964年 福島県
正月のしめなわでを7つよって継ぎ足すとき、なわの尻が下を向いたときは雨、上向きは晴れ。しめなわの元のほうから1月、2月と数え、1年の天候も占う。
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〔ナツヤマイノマジナイ〕,(ゾクシン)
1960年 愛媛県
正月15日に、正月の注連縄飾りを集めて焼き、その火で餅をあぶって食べ、夏病のまじないにするといわれている。ところによっては海に流すこともあるという。「お十五日」は「正月の節句」といい、神聖な日として業を休むという。
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ショウガツカミサマ,トシトクジン
2000年 徳島県
正月15日の小正月は、おくり正月と言い、正月飾りを神社の境内や橋のたもと、四辻などに持参して焼いた。正月神様(歳徳神)は、その立ち昇る煙に乗って帰る。
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2000年 徳島県
正月15日の小正月に、しめなわをもって氏神にお参りに行き、前庭で燃やす。その火にあたると病気をしない。
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モチ,オテントウサマ
1967年 福島県
旧1月と7月の16日に狩人が行うおときまつりでは、座敷にしめなわをはり、天照大神に餅をそなえる。宿は毎年一昼夜精進してこもっておてんとうさまをまつるという。この日の供え餅を山にもっていくとなだれにあわない。
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(チヲナガスモチ)
1930年 山口県
昔、大晦日の晩、和佐(森野村)の民家に、毛利氏に追われた陶氏の落人が入ってきて、自害したいので家を貸してくれといった。気の毒に思った村人は家を貸し、供養してあげたいので言い置くことはないかと聞いた。落人は正月を待たずに死んでしまう心を汲んで、正月を祝ってくれるなといった。何年かたった後、正月に餅をつき雑煮を作って食べたものがいたが、その餅から血がたらたらと流れ落ちてきたので、それ以来村で正月に餅を食べるものはなくなった。陽暦の正月には廃れてきたが、陰暦では今もこれが守られている。
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カマトギ
1987年 長野県
村の入り口にカマトギがでる。
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(ゾクシン)
1964年 福島県
ヂフテリアの流行のときは、馬を三頭描いて家の入り口にはっておけばよい。
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ショウガツカミサン
2000年 徳島県
正月15日の小正月は、年棚に供えてあった物を全て燃やし、出た煙に乗って正月神さんが帰る日とされる。この日をオクリ正月とよぶ。
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トシドン,クビノナイウマ
1934年 鹿児島県
正月の神を年どんという。首のない馬に乗り、鈴を鳴らしてくると子供たちは聞かされている。村の境の年殿石という石に憩って村に入ってくるともいう。
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トシガミサン,ショウガツカミサン
2000年 徳島県
正月15日の小正月は、オクリ正月と言い、年棚に供えてあったものを全て鍋に入れて焚き、その煙に乗って年神さん(正月神さん)は帰る。
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ウジガミ
1943年 静岡県
氏神が正月の餅を食って死んだので、氏子は正月の餅を食わない。
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カガミモチ
2000年 香川県
正月15日前後の小正月に「送り正月・トンドウハヤシ」と称して正月飾りを焼き、その火で焼いた鏡餅を食べると悪病を除ける。
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トシトクジン
2000年 徳島県
正月15日の小正月は送り正月と呼ばれる。各家の正月飾り(注連飾り)を谷や神社に集めて焼却し、その火で歳徳神に供えた鏡餅を焼き、家で食べる。
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ショウガツノカミ
2000年 徳島県
正月15日の小正月に、朝粥を炊いて神に供え、正月の神を送る。
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(ヒ)
2000年 徳島県
正月15日の小正月に、正月飾りを燃やす左義長の火で、正月2日の書き初めを燃やし、その灰が高く上がったら、書が上達する。
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(ヒ)
2000年 徳島県
正月15日の小正月に、正月飾りを神社の境内などに持参して燃やす。その火で正月2日に行った書き初めの紙も燃やし、その灰が高く上がったら書が上達する。
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オニ
1935年 長崎県
正月7日、この日に鬼が年をとるという。
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ヒイミサマ,ボウレイ
1928年 東京都
昔々、大島の泉津村の代官は租税の取り立てなど、すべてにおいて暴虐だったため、正月24日の夜、村の若者25人に切り殺された。若者たちはその夜のうちに波治加麻明神の大木を切り倒して造った丸木舟で村を逃れたが、暴風で舟が転覆して、皆死んでしまった。その後、毎年正月24日の夜中には25人の霊が丸木舟に乗り、五色の機を立てて村を訪れるという。
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