ウシ 1965年 兵庫県 昔火事で牛が焼け死に、牛の亡霊が出たので大日様を祀ったのが、大日神社の由来。
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ヒジリガミ 1983年 愛媛県 大日堂前にヒジリ神サンが祀られている。昔高野山から来た旅人が大日堂を通りかかった時、下痢となり糞をひったのを村人が咎め、口論の末、その旅人の尻を斬り、殺してしまった。以来村人の家に不幸が続いたので聖神として祀った。
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カッパ,アマゴゼンサマ 1935年 福岡県 大積の天疫神社は、平家の大将能登守教経の奥方が壇ノ浦の戦いのときに波間に投じ、ここの海場に流れ着いたのを里人が祀ったという。この女が神となって、海御前様と呼ばれ河童の総元締めになった。5月節句に河童を集めて、「蕎麦の花の咲かぬうちにもどれ(蕎麦の花は源氏の白旗のように白いので)、敵方にあらざる人畜の命は無暗にとってはならぬ」と厳命して解散するという。それから彼らは思い思いに遊びまわり、秋口蕎麦の花の咲くころに山に引き上げるのだという。
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ダイジャ 1990年 鳥取県 日光地区は昔、大港だった。出雲の国造が勅命で上京の折は大洪水で困ったが、供の三女が海に入り水神の妻となると、沖から大波が来て港が閉まり、白砂の道が出来て国造は無事上京した。以後は数町歩の大池となり、竜神、魔物のすみかとなった。千年後、鹿野城主亀井武蔵守が日光池の干拓を行うと、雷鳴が轟き滝の如く雨が降り、海岸に大魚が打ち上げられた。これは池の大蛇に違いないという話になった。以後、武蔵守は体調が悪くなり、寝ていると枕元に美しい女官が立つ。占い師によると池の大蛇のなすわざという。そこで日光大明神の社を建立した。
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(オチュウドノハハコ) 1979年 静岡県 大日山という山に、落人の夫婦が子連れで住んでいたが、村人が鉄砲で殺した。母親は手を合わせて拝んだが、母子ともども撃ち殺された。それまでは木挽きに良いということでコビキ平といわれていたが、それ以来コヒキ平と呼ばれるようになった。ところがその年に悪疫が流行った。そこでこの山を祀ったという。
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オニ 1979年 岐阜県 天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
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ロクシャグウ 1983年 岡山県 六社宮はあらたかな神である。六社宮は吉備高原上にあるお宮だが、牛窓沖と一直線に向かい合っているために牛窓沖では船が難破したり動かなくなって困った。そのため牛窓の漁師が六社宮の向きを変えてくれと頼んだ。そのため牛窓からは毎年お祭りにはお供えに魚を持ってきていた。
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ゴゼンサマ 1959年 福井県 江戸時代、某氏の先祖が足軽をしていて主家の娘とよい仲になったが、主人に気づかれたので身を隠して帰郷した。けれども娘は思い切れずに男を追いかけてきて、駕籠休場という所で誤解を受けて殺された。その年から熱病(オコリ)が流行ったので、巫女の助言で娘を姫御前の宮として祀った。
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オヒメバシ,オンリョウ 2003年 山梨県 公会堂のある所をおひめ屋敷といわれ、近くにある橋をおひめ橋とよぶ。おひめの怨霊が病などの災いをもたらすといわれる。橋から落ちたら、おひめにつかまえられて片袖をひきとられるといわれる。おひめが所有していた田んぼをおひめ田といい、その田を耕すと災いにあうといわれていた。天保年間に生きていたおひめは美貌であり、やがて不倫し、夫を殺したが、市川代官所に知られ、磔に処罰されたといわれる。
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キツネ,タタリ 1989年 長野県 近隣の人々が下原山の草刈り場へ草刈りに行き、そこで白面双尾のきつねに出会い、それを追いかけて捕らえ、庄助さの家で食べた。以来、食べた人たちが疫病に悩まされたので行者にお伺いしてみると、きつねを食べた祟りだった。それで、きつねを正一位稲荷大明神として祀ったという。
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ヤクビョウガミ,(ニカホキンシチロウ) 1973年 東京都 旗本の仁賀保公の先君は、英雄の賢君として知られているが、近頃疫病神を捕縛されたという。すると疫病神は一通の証文を出して一命を乞うたので助けた。それ以後、公の家には疫病が一切流行らず、また仁賀保金七郎と書いた札を入り口に貼った家は、疫病が入ってこないという。
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スイジン,ダイジャ,ヘビ,ダイサンオオジ 1929年 東京都 大昔、近江の琵琶湖に住む漁夫が、不漁の続く際娘を捧げるかわりに大漁を祈った。すると魚が良く捕れ、水神が蛇となって娘をもらいに来た。娘は白鳩になって逃げ出し新島まで追い詰められた。新島の三島明神の大三王子は怒って大蛇を斬り、頭を八丈島、尾を大島、銅を新島に飛ばした。だから八丈島の蛇は人に食いつき、大島の蛇は人に巻き付くのだという。
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オトラレイジン 1991年 静岡県 佐久間町草木のオトラ霊神は、昔ヒョー越峠を越えてきたオトラという乞食婆を村の者が殺してしまい、その怨念が疫病を流行らせたので祀ったもの。
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(キミノヤシロ),(レイ) 1982年 広島県 享保9年3月16日頃、家中の者が新宅の普請をした。邪魔な柿木を切ろうとしたら大工が、その木には霊が宿っているので切れないと言った。家中の者の下人が、現れたら相手になってやると嘲弄した。その夜更けに空から声がして、下人が空中に抱え上げられた。毎夜続くので家中の者が空に向かって何者だと問うたところ、空から声がして、我は137年前にこの屋敷で働いていた下女であり、柿の実を取った事で殺されこの木の根元に埋められた。我を神として祭れば国の災厄を予言し、諸病を平癒しようと言った。その通りに社を造営したら諸人が郡参した。下女の名前をとって、貴美の社といった。
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フクタロウ,カワタロウ 1935年 神奈川県 相州金澤村の漁村、重右衛門の家に持ち伝わる箱に、水難疱瘡の守り神と記してあり、家の中に祭ってあった。享和15年5月15日夜に重右衛門の妹の夢の中に童子が来て、私はこの家に久しく祭られるが、未だによく知るものがいないので、一社を建ててくれ。そうすれば水難疱瘡麻疹の守り神として擁護するといった。妹はそれを親類に告げ、箱の中を見ると異形のものがいた。面は猿のようで四肢に水かきがあり、頭には凹んだところがあった。それを福太郎と称した。その後他の家に出したがそこでも夢告があり、水神と勧請した。またさまざまな霊験があったという。
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ヤマバト,ハチマンダイボサツ 1974年 東京都 寛永13年ころ、徳川家光の弓大将であった松平新五左衛門尉直次に与力すべく、人々がある場所で弓の稽古をしていた。人々は徳川家の氏神である八幡大菩薩が弓矢の守護神だったので、同地に八幡宮を勧請することにした。彼らの願いは叶えられたが、その時山鳩が3羽松の枝にとどまったといい、人々は八幡大菩薩の影向と受け止めたという。また将軍家に若君が生まれたのは、社僧が受けた八幡大菩薩の夢告に少しも違わなかった。他に神前で風流の踊りをしていると、亥の刻あたりに神木の松の梢から、提灯ほどの光るものが出てきて、社の上に落ちた。
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ヒヒザル,イヌ 1989年 長野県 昔、ある坊さんがある村を通りかかると、娘が人身御供として宮に捧げられるところだった。縁の下に隠れて様子をうかがった坊さんは、それが大ひひざるの仕業であることを知り、ひひざるが「信州信濃の早太郎に知らせるな」と言っていたので、駒ヶ根まで早太郎を捜しにやって来た。光前寺の早太郎を借りて帰り、早太郎はひひざるを倒したという。
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クダギツネ,キュウビノキツネ,セッショウセキ 1977年 神奈川県 クダギツネの由来は以下のように言われている。昔、中国から日本へ逃げてきた九尾のキツネを退治しようとしたところ、那須ノ原へ飛んで殺生石となってしまった。この殺生石に法術をかけたところ、石が割れ、そこから目には見えない幾千ものクダギツネが天に散り、これが日本中に広まって人に憑いたりするようになった。
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ダイニチサマ 1968年 佐賀県 盗人がある寺から仏像を盗んだが、船で逃げる途中で嵐に会い、弁天島の側で沈んでしまった。その後、附近でにわかに鰯がよく獲れるようになった。ところがある日、鰯はぜんぜんかからず、網に仏像がかかった。そこでこの仏像をあがめて祀ったのが、打上の大日様である。
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オニ 1923年 徳島県 昔、藤原某が悪鬼退治の祈祷を行った。すると大日霊、軻遇突知、金山彦、句句廼馳、植安姫、岡象の六神が降臨して鬼を誅した。鬼籠野村の名前はここから起こった。
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