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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ミロクサン
1985年 山梨県
富士吉田の御師で、信仰からではなくメシの種にするために身禄派となった家には身禄さんが必ず祟り、つぶれたという。本当に浅間様を信心するなら光清派でも身禄派でも栄えているという。

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ヘビ,タタリ
1959年 岡山県
道通様の信者から嫁を貰う事を昔は敬遠した。これは道通様のオツカイシメが執念をもつとかんがえられたからである。実家に帰りたい嫁を帰さないとその嫁の主人の枕の下に蛇がウジャウジャと出てきて夫を悩ませた。その翌晩には嫁の体が蛇の体に変わった。そのためぞっとして離縁したという話がある。
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レイム,ギョウキ
1929年 東京都
富士浅間社の縁起に、天正元年に木村がみた霊夢によって、本郷の中にあった古塚から行基が製作した牛王板などを得た。そして社を建てて富士浅間を勧進した。
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タタリ
1957年 熊本県
高田某が神拝を終えて食事を出された時、吸物の中に人の形のものが入っていたので立腹して、働きの者の首をはねた。別当の良重法印はこれを恨んで閉じこもり断食して死んだので、亡魂が高田家に祟りをなした。
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ウシガミ
1983年 愛媛県
脇谷重一家には丑神大明神が祀られている。ある時家族が次々と重病にかかるので占ってもらうと、牛神の祟りだとた。以後当家では牛肉を一切食べないと誓い、客人にも用いないようにした。
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タタリ,カヨウカミ
1978年
須佐高浜村出身の松本清十郎は江戸の吉原で揚屋尾張屋を営んでいた。彼は内庭に吉原の遊客が障りのないようにと通い神(道祖神)を祀り、吉原中の信仰を集めた。後に江戸京橋銀座の保根屋吉佐エ門が、日枝神社の山王祭りでなじみになった遊女らを呼び派手に振る舞って世間の問題になり檻に入れられた。彼は檻に入れられる前から刃物を振り回したり檻から出てきても多くの買い物をしたり妾を次々かえたりと奇行が目立っていた。これは吉佐エ門が吉原の清十郎方へ通う神を勧請した祟りではないかといわれる。
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ウシガミノタタリ
1974年 愛媛県
脇谷家で、昔、家族が次々重病にかかったので占うと牛神の祟りだといわれたので、一切牛肉を口にせず客にも出さないようにしたところ、幸福になったという。田原・金沢・山中の三家でも「牛神講」といって牛を祭っているが、火事で死んだ牛の祟りを恐れてだという。
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ホウインサマ,ロックウサマ,カネガミ,ドウツウサマ,ゲドウ,ヤコ,タヌキ,ヘビ,キノヤマサマ
1970年 岡山県
昭和の初めごろまで備中には法印さんと呼ばれる山伏たちがいて、長引く病人が出たりすると祈祷をした。多くはロックウ様(火の神,竈戸の神)や金神のといった神々の機嫌を損ねているのだが、道通様と呼ばれる蛇の霊などが他人に憑けられていることがある。野狐、狸、その他ゲドウ(下道)と呼ばれる低級霊が憑いている場合は、法印が祈祷して落とす。とりわけ低級のものになると、病人が狸なら狸、蛇なら蛇のような仕草を見せる。さらに低級で性質が悪くて執念深く、法印の手に負えない場合、最後の手段として木野山様に頼る。今津の木野山神社から1週間、御分霊を勧請するとどんなに質の悪いものでも逃げ出す。
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ヘビハダムコ,タタリ
1993年 静岡県
静岡市昼井戸では「セッキ(正月)の餅はヒゴト(火事)に祟る」といってつかない。昔、住職がついて寺の雪隠が焼けたことがある。昔、静岡市水見色から婿をもらったが、その婿は鱗のある蛇肌だったので驚き、セッキの餅米を蒸していた婿をその火に押込んで焼き殺した。婿は「セッキの餅はヒゴトに祟る」と3回唱えて焼け死んだ。以来セッキの餅はつかなくなった。
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センゲンジンジャ,タタリ
1944年 山梨県
ある家の者が、自分の家の屋敷神として浅間様の位を京都へ行き取ってきた。そして、浅間神社の祭日と神輿の渡御の方法を変更した。長男がコレラで倒れ、以降不幸が続出し、翌年の祭りの頃には、家族のうち老婆を残し死に絶えた。新盆の竿に蛇が登った。浅間様は蛇ともいわれている。
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マスノオオスケ
1966年 秋田県
ある人のところにお坊さんが訪ねてきて「マスを捕ると祟る」と言った。お坊さんにはおこわを持たせて帰した。翌日、大きなマスを捕って腹を開くと、昨日のオコワが出てきた。その人は祟りにあったと言う。
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オニ
1979年 岐阜県
天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
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ヘビノタタリ
1956年 宮城県
昔おがら町(東八番丁)に早瀬という侍が住んでいた。ある時同家の厠に大きい蛇が這いこんできたので家人や若党たちが手に手に獲物を持って散々に打ち苛んだ。半殺しにされた蛇は柱を二巻きほどして上に昇ろうとしたが力尽きて死んでしまった。それから早瀬家には妻の死児難産,主人の乱心と投身自殺,家人の病気などの凶事が次々起こったので巫女に拝んでもらったところ,殺された蛇の霊が出て「いくら加持祈祷されても早瀬の家には七代祟ってやる」というのであった。明治時代,私(田夏氏か)の母の実家の隣家にこの早瀬家の子孫の老婆が寄寓していてその愚痴話を聞いたということである。
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キツネ,トビサカイナリ
1922年 東京都
東京のある氏族が、小間使いを雇い、ある日使いに出したところ帰ってこなくなったので探すと、富坂稲荷の祠の前で踞っていた。狐に憑かれ顔つきも変わり、大食いになり、正気を失った。主家では小間使いを家に返したが、今度は主家の妻が狐に憑かれ、以前の小間使いのようになった。場所が悪いのかと転居したが、今度は長女が狐憑きとなった。家は没落し、次女は大変な苦労をした。二人の狐憑きは白昼提灯を下げて歩く等の奇行をするので、あらゆる加持祈祷を行ない、医者にもかけたが、一生正気に戻ることはなかった。
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イハチ,(ホウリキ)
1974年
芸州宮島光明院の開山である以八和尚は徳行優れた僧であったが、加藤式部大輔という不信心の人が彼を試そうとして邸宅に招き、魚や鳥をふんだんに使った料理や、色っぽい女性を数名、羅(薄物)だけつけて給仕させた。すると和尚がしばらく目を閉じると、料理した魚や鳥はたちまち飛び上がり、給仕する女性はみな骸骨となった。驚いた加藤が改心したところ、みな元に戻ったという。
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エイゾンホウイン
1956年 宮城県
栄存法印は高僧として衆人の帰依が篤かったが,笹町家当主新左衛門頼重が嫉んで讒訴を行い,寺領を悪田とすり替え,住民に神域を掠めさせた。遂に江ノ島に流罪された法印は,笹町家一味及び石巻湊町に対し呪詛の修法を勤行したので,湊町にはしばしば大火が起こった。但し法印を庇護してきた高橋某家のみは災いを免れた。3年後の天和元(1681)年二月,法印は「口に鰹節を挟み,湊町を望む地に身を逆さまに埋めよ」という遺言を残して死ぬが,島民がこれを守らなかったところ関係者が病気となり,島に不漁や凶事が重なったため,改めて遺言通りに埋葬し供養を行った。埋葬場所は現 栄存神社。一方,笹町家では法印の呪いによって当主頼重がしばしば栄存の幽鬼に襲われ,自分の肢を斬ったり息子彦三郎安頼や妻女を斬殺したりした上,発狂した。九族も死に絶えた。享保頃(1716~36),法印の赦免を請い,霊を牧山に移して長禅寺に栄存神社として祀った。今でも旧2月6日の命日を御縁日として祭を行う。
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ツルギミサキ,マリシテン
1983年 岡山県
城山にツルギミサキを祀る家がある。これは昔、法者が城山の本家の屋敷の下に下りて来ている摩利支天を祀らなければ祟るというので祀ったものだという。
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ミサキ
1983年 岡山県
家に災難が続いた場合、それは何らかの祟りによるということがあるが、その祟るものをミサキとして祀ることもある。
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バトウカンノン
1983年 岩手県
話者宅で死んだ馬の肉を食べて埋めたら家運が傾いた。旅の僧に話したら馬の祟りだと言われて、馬頭観音を祀った。
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ニワトリ
1993年 静岡県
山梨県側まで行ってツクリ(焼畑)をしていた人が、正月になるので小屋を引き揚げる際、鶏をタテウスを伏せた中に餌とともに入れて置きっぱなしにしたら、その祟りで目を病んだ。鶏を焼畑の小屋に置いてきて、異変が起きたという話は多い。
類似事例

シチニンミサキ,オンリョウ
1985年 愛媛県
鷹狩りの鷹を食べた一家七人が山之内の里人に訴えられ斬首された。その後、山之内の者が斬首の場所を通りかかると必ず何か災害を受けた。一家の怨霊の祟りとされ、七社権現として祀った。これも七人ミサキの一種である。
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