ヒトトリブチ 1989年 山梨県 奈良田の居平から向いの塩島に至る所に橋がかかっているが、孝謙帝行幸当時は丸木橋だった。ある時洪水のために丸木橋が流れ、帝は水が治まるように祈願すると、治まった濁流から櫛が見えた。住民が氏神八幡宮にお伺いすると、櫛の所有者が入水すれば橋がかかるとのお告げ。そこで村人達は所有者である少女を人柱に立てたために、そこは人取り淵といわれている。
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コマノヒヅメイシ,ショウトクタイシ 1991年 兵庫県 聖徳太子が馬に乗ってこられたときの馬の蹄のあとの残る石が駒蹄石(こまのひづめいし)である。
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ニワカラス 1989年 山梨県 奈良田に限り、2羽烏という。これは孝謙天皇が民を惜しんで2羽に封じ込めたからであるという。
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ニワカラス 1989年 山梨県 奈良田には烏が2羽以上増えない。それは、烏が作物を荒らして部落のもの達はたいへん困ったので、孝謙天皇は烏を集めて作物を荒さないことを約束させたが、言いつけを守ったものは2羽しかおらず、帝がそれ以外を追放したからである。帝はその時烏の腹の中まで調べたという。
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カッパ 1957年 新潟県 河童塚は、馬の尾についてきた河童が境内に入ると、法力で見破って捕らえたところを、ここに埋葬したところからきている。
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ゴズテンノウ 1987年 長野県 昔,村の人が馬を曳いていると馬が大きな穴に足を取られてしまった。するとその穴の底から「俺は牛頭天王だが,俺を祀ってくれないと村中に祟ってやる」という声が聞こえた。そこで村中で祀ることになり,今は村の東方の馬場山上に祀ってある。
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タカミチノヒ 1956年 宮城県 寺崎部落附近に坂上大宿禰高道の墳がある。高道は陸奥守として下ってきて天安2(858)年正月に戦死した人物。村人は「山田の碑」「貞観石」と呼んでおり,この塚を涜すと禍を受けると言い伝えられてきた。寛政2(1790)年4月,庄兵衛という農夫が鋤で塚の上の土を掘ったところ,帰宅後に発熱悪寒をおぼえて人事不省におちいり,「汝百姓の身を以って蓑笠を着け土足のまま我が塚の上を削る。非礼も甚だしい」とうわ言を言うようになった。家族が驚いて墓に行き,香華を供えてその罪を詫びると主人の病は忽ち癒えたという。土地の人々が碑を荒廃に任せていたので祟りを受けたのだろうということである。寺崎部落の高橋屋六蔵の談話。
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シオノイケ,シオノイ,シヨミズ 1989年 山梨県 塩のない奈良田の村の人々のために孝謙天皇が祈願したところ、ただの水たまりがたちまち塩の池に変わった。
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サケ 1932年 青森県 慶長年間、花山院忠長がこの地へ流されてきた時、汗石川を越えようとして、たまたま集まっていた鮭の上を渡った。ゆえにここを登る鮭の背には2筋の下駄の跡があるという。
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シカ 1988年 奈良県 新笠置街道沿いの山の北側岩壁に大きな足跡が2つある。これは春日明神が鹿島からやってきたときに乗っていた白い鹿の足跡だという。
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ウマ,イシ 1967年 福島県 古市という家の氏神の古箕明神は、昔、栗毛の馬に乗って日中に入ってこられた神様だと言い、この明神様が乗っていた馬が石になったという石が祠の下に残っているという。
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ソウゼンジンジャ 2001年 青森県 階上に馬の守護神として祀られている蒼前神社にまつわる伝説に、「藤原有家卿物語」というものがある。源平合戦の昔、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の大将・藤原有家卿は、名馬「白馬龍」に跨ったまま海に飛び込み、岩手県種市町の有家に辿り着いた。そこで観音様を拝んだところ、西の方へ行くようにとのお告げがあり、それに従って旅立った。だが、妙野(今の蒼前平)まで来たところで馬がとうとう倒れてしまった。藤原卿は悲しみ、愛馬を手厚く葬り、槻の木を植えた。その後、村人達がそこにお堂を建て、蒼前神社として祀った。
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ニワカラス 1989年 山梨県 奈良田には烏が2羽以上増えない。それは、烏が作物を荒らして部落のもの達はたいへん困ったので、孝謙天皇は烏を集めて作物を荒さないことを約束させたが、言いつけを守ったものは2羽しかおらず、帝がそれ以外を追放したからである。
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マモノ 1989年 山梨県 現在の奈良田部落からみて早川をはさんだ対岸にある塩島は奈良田発生の地といわれる。この部落はずっと以前から住んでいた8軒の家と孝謙天皇さんについて来たお付の人たちのという2つの血統からなっている。前からの8軒はシマにあり、そこを塩島という。ところが塩島は白根山の山つづきで山から魔物が出て来て度々子どもをさらっていったので、その8軒の人たちは居平に移った。
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カタハノアシ 1989年 山梨県 奈良田の片葉の葦は天皇が植えたのではなく、天皇の後を慕ってその方向になびいたもので、また1説には葦の葉はすべて婦人の神である奈良田神社の方へ向いているという。村人や西山温泉の湯治客はこの葦をお産のお守りに用いたりしていた。特に塩ノ池周辺の葦でないと利益が薄いという人もいる。
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コマガタイワ 1987年 長野県 昔,滝の沢の山道を,まだ小さい兄妹が馬でやってきた。霧の深い日で一寸先も見えず,まず兄が,次いで妹が谷底に転落した。谷は高さ数十メートルもあり,落ちればまず助からない。しかし,しばらくして村の者が白い馬に抱かれるように気を失っている妹を見つけた。妹には怪我一つなかった。妹は駒形(馬の形)が岩に刻まれていたと聞き,信心深い兄が身代わりになって命を助けてくれたのだと言った。兄妹は名のある土豪だったが父が防人に召されている間に手代に家や土地を奪われ,父を探す旅をしていたのだという。丁度この時武人が通りがかり,騒ぎを知って女にあった。武人は父であった。父はその後村人と協力し村のために尽くした。村の発展は駒形岩のおかげだと,今も駒形神社で祭りが行われている。
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テング,タカガミサマ 1989年 山梨県 奈良田に天狗森というところがある。明治23年に天狗森の木を売却することになり、中巨摩郡の小笠原の大衛門という人が買主となってこの木を伐採した所、その夜に火災が起こり、外良寺をはじめ13戸が焼失した。村人は天狗の祟りと恐れ、すぐ桧苗3本を植え、祠を建てて天狗を祀った。買主の大衛門は事業で失敗し自殺したという。また2本の下駄の歯に似たような跡がある岩があり、天狗の足跡といっていたが今はない。
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マサカドノウマ 1966年 埼玉県 日野明徳寺前の畑中に、自然石の上に石塔が建てられている。その場所は将門が乗った馬を埋めた場所と伝えられている。
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ヌシ 1956年 長野県 雨乞いのために馬の骨を瀧に投げ込んだ。しかし、すぐに降り出したので怖くなって雨宿りをした。この滝壷は主の大なまずが、いじめるために石灰を流し込んだり焼き石を投げ込んだりもしたという。
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クライシ 1956年 宮城県 裂石神社の神が乗った鞍が石となった。
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