ニワカラス 1989年 山梨県 奈良田には烏が2羽以上増えない。それは、烏が作物を荒らして部落のもの達はたいへん困ったので、孝謙天皇は烏を集めて作物を荒さないことを約束させたが、言いつけを守ったものは2羽しかおらず、帝がそれ以外を追放したからである。帝はその時烏の腹の中まで調べたという。
類似事例 |
|
ニワカラス 1989年 山梨県 奈良田に限り、2羽烏という。これは孝謙天皇が民を惜しんで2羽に封じ込めたからであるという。
類似事例 |
|
エンコウ 1955年 島根県 那賀郡都川村では、えんこうが牛を引き込もうとしたが失敗して捕まった。えんこうは「四十雀(しじゅうから)が5羽揃ってこの椿の枝に来るまで都川の子どもをとらない」と誓ったので放してもらった。
類似事例 |
|
コマビキイワ 1989年 山梨県 奈良田の下湯島の鎮守である山王神社の境内の「駒引き岩」についてだが、この岩の上に足跡馬蹄型に似た穴が大小無数にある。これは孝謙天皇が奈良田ご入来の際に乗ってきた馬と従者をここから帰し、別れを惜しんで嘆き悲しんで足摺ったのが残ったものであるという。
類似事例 |
|
シオノイケ,シオノイ,シヨミズ 1989年 山梨県 塩のない奈良田の村の人々のために孝謙天皇が祈願したところ、池がたちまち塩の池に変わった。
類似事例 |
|
シオノイケ,シオノイ,シヨミズ 1989年 山梨県 塩のない奈良田の村の人々のために孝謙天皇が祈願したところ、ただの水たまりがたちまち塩の池に変わった。
類似事例 |
|
キツネ 1984年 愛媛県 河野通直という男の妻が二人になった。姿や発言も同じだったので、しばらくはどちらが本物なのか分からなかったが、食べ物を食べている時に違いが出て、捕らえて拷問したところ、狐の正体を現した。この狐を殺そうとした時、四国中の狐が集まり、この狐は貴狐明神の末稲荷の使者長狐という日本の狐の王であり、これを害した時は国に大災が起こり、化けの神変が断絶してしまうので助けてほしいと願い出た。河野はこれを聞いて不憫に思い、四国中の狐が四国から立ち去れば助けようと誓文を書いて約束した。以来、四国には狐がいなくなった。この誓文が今も河野家に伝わるが、これをなくすと狐たちは戻ってくるという。
類似事例 |
|
ムラヲスクッテクレタオオカミ 1987年 長野県 昔,大屋のこの村は信濃十六牧の一つで,毎年三歳馬を一定数朝廷に送っていた。ある年子馬が全て狼の餌食となり,怒った村人は山のいたる所に罠を仕掛けた。狼の子が一匹罠にかかったので,夜,狼の群れが村を襲ってきて一晩中吠え続けた。村長がやぐらの上から「狼たちよ,お前達も子が捕らえられれば一晩中吠えるではないか。馬の身になってみよ。ましてこの村は馬を飼わねば生きていけないのだ。これからは野山で鳥や獣を取ることをやめるから村を襲うのはやめてくれ」と叫び,狼の子を放すと狼は帰っていった。以後狼を神様として祀り,安心して馬を飼うことができるようになった。
類似事例 |
|
ウシ 1980年 香川県 讃岐国の崇徳天皇の山下の西に住む庄村武八という者が、自分の牛に砂糖の荷を引かせていたところ、その牛が「砂糖を引く時以外は餌をくれないので、しんどくて引けない」と言ったという。武八は恐れて砂糖を引かせず、常に牛舎にいれておいたという。
類似事例 |
|
マモノ 1989年 山梨県 現在の奈良田部落からみて早川をはさんだ対岸にある塩島は奈良田発生の地といわれる。この部落はずっと以前から住んでいた8軒の家と孝謙天皇さんについて来たお付の人たちのという2つの血統からなっている。前からの8軒はシマにあり、そこを塩島という。ところが塩島は白根山の山つづきで山から魔物が出て来て度々子どもをさらっていったので、その8軒の人たちは居平に移った。
類似事例 |
|
〔イツクシマノカラス〕 1982年 山口県 周防国の岩国稲荷が遣わした烏の内の2羽は、厳島弁天が孵したもので、他の鳥は厳島には棲まないという。この烏には雄と雌がおり、春を迎えて子を産み、6月15日に弁天社の上を親子4羽で啼いた後、親烏は厳島を発って岩国へと飛び去り、子烏は厳島に残ったという。
類似事例 |
|
キツネ 1982年 宮城県 田植えの済んだ田圃に悪戯をした狐が捕まり、殺すか殺すまいか議論になったが、助けることにした。田植えのしなおしを準備していた夜、狐が大勢来て夜の内に田植えが終わっていた。その後も狐がその田を世話してくれて、その年は豊作になった。それからその家では明神様として狐を祀り、田植えの日にはご馳走をあげている。
類似事例 |
|
ハト 1975年 京都府 近衛殿が幡枝八幡に鳩を10羽放生したが、田地を荒らすと地下が訴訟し、鳩を八幡へ送った。ところが翌日にはすべて元の場所へ戻った。
類似事例 |
|
キツネ 1989年 鳥取県 大山の麓の種原で魚売りの商人が大勢の狐に襲われ、木に登って逃げた。「藤助のかかあを呼んでこい」という声がして、大きな古女狐が来た。商人は襲ってきた女狐の額をカナリョウで打ち、女狐は死んだ。種原の藤助は妻が狐とは知らず、田植えができずに困っていたので、仲間の狐が一晩で植えてやった。藤助の稲は穂が出なかったが、刈り取ってみると茎の中から米が沢山出て、分限者になった。
類似事例 |
|
テンジンサマ,ニワトリ 1929年 香川県 柏島では、決して鶏が育たない、鳴かないといわれている。それは、天神様がこの島に立ち寄った時に谷が六つしかなくて、ひとつ不足していたので早々児島の曳網に去られたからである。
類似事例 |
|
オニ 1985年 和歌山県 昔、八木尾の村に夜な夜な9匹の鬼が来て里人を悩ましていた。それで、郷士が鬼退治に行って8匹の鬼を退治した。大将鬼である残りの1匹は助けてやった。そのお礼に鬼は、雷を落とさないことと蛭が人に食いつかないようにすることを約束した。
類似事例 |
|
ハト 1976年 京都府 近衛殿が幡枝の八幡で鳩を10羽放生した。田地を荒すと地人が訴訟し、石清水八幡へ送った。翌日悉く本の所へ帰った。
類似事例 |
|
ウグイス 1976年 奈良県 孝謙天皇の御宇、高天寺の僧の愛児が急死した。僧は悲しんだが、年月が過ぎてこれを忘れた。その時、庭の梅の木に鶯がやって来て鳴いた。その声は「初陽毎朝来不遭還本棲」と唱えているようであった。これを倭字に直すと「初春のあした毎には来れども逢でぞ帰るもとの棲に」という和歌になった。僧は子が鶯になったのだと悟り、悲しみが増した。
類似事例 |
|
アヤシキトリ,キツネ 1974年 京都府 兼好法師が内の宿直から退出しようとした際、萩の戸の庭の方に怪しげな鳥が羽をふって、嘴を怒らして飛び下ってきた。人々が恐れていたので法師が2羽を弓で打ち落としたところ、一つは足に黒い毛が生えており、もう一つは非常に赤い色をしていたという。博士を呼んでこの鳥の名前を聞いても答えられず、しばらくすると2羽とも狐になって消えたという。
類似事例 |
|
カミサマ,ウシ,フタリノチカラモチ 1986年 沖縄県 来間のウプ・プーイが役人によって中止されたのを怒った神様は、牛になって島人を次々さらったが、2人の力持ちが牛を捕らえて、桑の木にくくりつけた。牛は木を引きずって逃げ、木は漲水御嶽の前に捨ててあった。近くにいる女の子に聞くと、お父さんが「鼻が痛い」といって寝ているというので行くと、牛になった神様だった。2人が鼻の綱をとってやると、神様は村を元に戻し、誰の家かを書いた白い紙をそれぞれの家に貼った。
類似事例 |
|