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検索対象事例

ディラボッチャ
1915年 長野県
ディラボッチャは里山を負い歩き、東山と西山(武石山脈と中央山系)との間を一足に往来したといわれている。

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デーラボッチャ
1990年 長野県
デーラボッチャという巨人がおり、東山の神に頼まれて、西山の神が寝ている間に西山の土を東山に移そうとした。しかしあと少しというところで夜が明け、土を落としてしまった。それが室山だという。
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ディラボッチャ
1915年 長野県
宗賀村平出にディラボッチャの足跡あり。この村にある比ノ山という山は、ディラボッチャが背負っていた藤の蔓が切れて取落したがためにできたといわれている。この辺りに葛が多いのは、ディラボッチャが落とした藤蔓が芽を出したからだという。
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デーラボッチャ
1990年 長野県
大昔、この地にいた巨人・デーラボッチャが土を担っておいたところが室山だという。
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ダイダラボッチャ
1986年 埼玉県
昔、ダイダラボッチャという大男が秩父の方から、モッコに入れた山を二つ天秤で担いで来た。高麗の辺りまできてひと休みしようと二つの山を下ろした。ところが、疲れていたので、一つの山は静かに下ろせたが、もう片方の山はドカッと急に下ろしてしまった。そーっと下ろした山が日和田山で、後から下ろした山は多峰主山であるという。多峰主山は急におろされたので、日和田山より小さくなっている。それからダイダラボッチャは足を洗おうとして日和田山に腰掛け、高麗川で洗った。そこが今の高麗の新井というところだ。
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ディラボッチャ
1915年 長野県
ディラボッチャの足跡というところがいくつかある。広さは100坪、深さは平均2尺位の窪みで、湿気の絶えない窪地や池になっている。昔、ディラボッチャが歩いた跡だと伝えられている。
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ディラボッチャ
1915年 長野県
東筑摩郡中山村と壽村および松本村との境に立つ中山と弘法山は、2つまとめて法螺貝山と呼ばれている。この山は、ディラボッチャが馬藤(葛蔓)を背負って鉢伏山から来る途中、藤が切れて取落としたものだといわれている。そのため、ディラボッチャは西山行きを見合わせ、里山邊村の方面に迂回して去ったという。鉢伏山登路附近や松本村附近に足跡があり、これを雨池と呼んでいる。
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デーラボッチャ,キョジン
1980年 長野県
昔、飛騨にデーラボッチャという巨人がいた。デーラボッチャが背負ってきて下ろしたのが室山であり、背負子の土を払ったのが背中という山で、縄の土を払ったのが背負縄の山である。デーラボッチャは非常に大きな巨人で、槍ヶ岳に腰をかけて諏訪湖で足を洗ったとか、どこの池にはその足跡だという伝説が残っている。
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デーラボッチャ
1990年 長野県
大昔、デーラボッチャという巨人がいた。南安曇郡穂高町牧のあしの沢・塩尻市洗馬のあしの田・松本市城山のあしの窪などはいずれもその足跡だという。室山はデーラボッチャが作り、背負山は背負子の土が落ちたものであり、松本にある中山は草履の土を払ったときにできたものだという。また、梓川村の火打ち岩はデーラボッチャの火打ち用の岩だという。
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ダイダラボッチ
1977年 神奈川県
真照寺の裏山は、萱ばかりで木が1本も生えないが、これは、昔ダイダラボッチがこの山をまたぐ時にしりもちをついたからだと言われている。また、ダイダラボッチは海岸の岩を一蹴りして安房の国へ渡ったと言われているが、その時の足跡が岩盤についていたという。
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ダイダラボッチ
1989年 埼玉県
ダイダラボッチ(ダイダラ坊、ダイダ坊)という巨人が昔いて、定峰峠をまたいで腰掛けて昼食をとったその跡が数々の山になったという。巨人の足跡は今でも山中に凹地として残っている。
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ダイダラボッチ
1977年 神奈川県
ダイダラボッチは富士山を担いで西から東へ旅をして相模国まで辿り着いたが、ここでさすがに疲れて休憩した。だが、休憩を終えて富士山を再び担ぎ上げようとしても、びくとも動かなかった。力をこめて踏ん張ったが、縄は切れてしまい、踏ん張っていた足が地面にのめり込んでしまった。この地面にのめり込んだ足跡が鹿沼である。
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デイラボッチャ
1990年 長野県
昔、デイラボッチャが西山と東山を天秤棒にかけて担いできたが、もっこからひとかけらの土が落ちた。それが中山で、西の方に落ちたのが小倉の室山だという。
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デエダラボッチ
1940年 山梨県
デエダラボッチが「塩の山」と「石森山」を緒ガラで担って、東山から西山へ跨ごうとしたときに、緒ガラが折れたので二つの山は落ちてしまった。塩の山は堅いところに落ちたので、片端が割れて飛び、それが「秀森さん」という小岡になった。石森山(山梨岡ともいう)は湿地に落ちて深くめり込み、低い岡になったという。
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デーランボー,オニ,キョジン
1989年 長野県
浅間山から蓼科山へひとまたぎにした鬼・デーラボッチは、湯川の上の方にあるオニイシというところまで一足でまたいだという。
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ダイダラボッチ
1975年 静岡県
富士山は、ダイダラボッチという大男が背負ってきておいたもの。
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デイラボッチャ
1990年 長野県
デイラボッチャが佐久の芦ノ田から三才山の芦ノ田へひとっ飛びしたとき、土に足を取られたので大正山の南に手をかけて足を抜いて、洗馬の芦ノ田へ行った。手をついたところには松が生えないという。
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デイラボッチ
1993年 長野県
デイラボッチが藤蔓で山を縛って背負って、塩尻にかかり、桔梗が原で右に行こうか左に行こうか迷っていたら、藤蔓が切れて山が落ちた。それが比叡の山。怒って切れた藤蔓を投げた。それが藤塚(富士塚)。
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デイラボッチ
1977年 神奈川県
昔、デイラボッチが富士山を担いで西から東へ旅をしていたが、途中、休もうと富士山を背中からおろしたところ、再び担ごうとしてもびくともしなかった。このときにデイラボッチが地団太を踏んで悔しがった跡が鹿沼であり、またの名を「じんだら沼」ともいう。
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ダイダイボツチノアシアト
1940年 埼玉県
富士と筑波を天秤に掛けて担いだダイダラボッチという巨人の足跡が現存する。
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ダイダラボッチ
1927年 東京都
昔、ダイダラボッチの背負ったきたものをいう。丸い小山があり、丸山と呼ばれている。ダイダラボッチはここで休んで立ち上がろうとしたら、藤の背負縄が切れて荷が落ちたという。
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