ヤマンバ 1932年 静岡県 倉木山という山に山姥が住んでいて、人里へ来てはいそがしい家の子守や居留守をしていた。ある日ある家の子守をしていたが、ついにその子供を食ってしまった。家人が仇をうつため、焼いた石を団子と共に食わせ、山姥は腹をこがして天竜川へ落ちて死んだ。
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テング 1981年 神奈川県 山の神をお祀りしてある山に天狗の住処といわれた大松があった。ある日美しい娘が行方不明になり天狗の仕業だということになった。松のところにさがしに行くと娘が座りこんでいて、話をきくと、やはり天狗にさらわれたということであった。
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ウシオニ 1992年 山口県 鬼が城山は、鬼が岩窪にいたから、そう言うのだという。また、鬼が美女を慕い夜毎通っていたが、家の主が気づいて斬ると、血を流しながらこの山に逃げて死んだから、こう言うのだともいう。
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カイブツ,ヒヒ 2004年 静岡県 磐田市の見付天神の話であるが、毎年、祭りが近づくと白羽の矢が飛んできてそれが突きささった家では娘を人身御供として差し出さなければならない掟であった。白い柩に入れられた娘は得体の知れない怪物に食べられてしまう。延暦年間8月に、旅の僧侶が、怪物の「信濃のシッペイタロウ(悉平太郎)に知らせるな」との言葉を聞き、信濃の赤穂村(現在の駒ヶ根市)の光前寺の犬、シッペイタロウを見つけ出す。シッペイタロウは怪物と戦い、退治した。この怪物の正体は年老いた狒々であったという。磐田ではシッペイタロウだが、駒ヶ根ではハヤタロウ(早太郎)、シップウタロウ(疾風太郎)といい、光前寺境内に犬の墓がある。
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(オチュウドノハハコ) 1979年 静岡県 大日山という山に、落人の夫婦が子連れで住んでいたが、村人が鉄砲で殺した。母親は手を合わせて拝んだが、母子ともども撃ち殺された。それまでは木挽きに良いということでコビキ平といわれていたが、それ以来コヒキ平と呼ばれるようになった。ところがその年に悪疫が流行った。そこでこの山を祀ったという。
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グヒン,カサ 1955年 岡山県 櫃ヶ山は大山の狗嬪の住む山といい、日露戦争のときに兵隊よけや武運長久の願を聞き届けるといった。女が上ると罰があたる。昔この村に一人の旅人が来て、笠を置いてある場所だけでよいから一晩泊めてくれと言った。それくらいならと許すと、笠は見る見る大きくなって櫃ヶ山をすっぽり包んだ。この旅人が大山から来た天狗で、それ以来不浄のものはこの山に入れなくなったという。
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ザシキワラシ 1974年 岩手県 明治初年の凶作の時に末の小さな娘に晴れ着を着せて裏山におぶって行き、藁打ち槌で頭をたたいて殺した。以来家に病人が出たり、座敷から毎夜奇妙な音がした。イタコによると殺した娘の祟りだという。家には座敷ワラシが出るといって使わない部屋があった。
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(トブナマクビ) 1939年 新潟県 昔、ある城主が城を築く大工を募集した時、妻の勧めで怠け者の大工が応募した。大工は妻の知恵で試験に合格し、城を作ることになったが、大黒柱を切り違えた。これも妻の知恵で乗り切ったが、大工はその秘密を知る妻を口封じのため殺した。妻の首は北へ向かって飛び去り、早晩立ち返って城を崩し、雷のように叫んで影を失ったという。この祟りを恐れて、弓矢を北方へ向けて供えるという。
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イヌ,ヒヒ,シラハノヤ 1989年 長野県 光前寺に早太郎という犬がいた。その頃、駒ヶ岳にはひひがおり、作物を荒らしたりしていた。ある時早太郎はひひと格闘して勝ち、ひひは遠州の見付に逃げた。そこで白羽の矢を立てて人身御供の娘をさらっていた。たく鉢の和尚が光前寺の早太郎を借りに行き、早太郎は娘の代わりに棺桶に入ってひひに食らいついた。結局、早太郎とひひは相打ちになった。
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キツネ 1988年 静岡県 爺さんがきれいな娘を舟に乗せた。爺さんにはその正体がおべんじょという狐であるとわかったため、青松葉をいぶした。狐がもう化かさないと約束したので放してやった。しかし毎晩石を投げるので、ことわりに行った。すると狐が祟って、近くで生まれた子供が3人亡くなった。
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ネコタノコウシンヅカ 1956年 宮城県 郷士阿部某の娘が夕方向山の北裾の山路を通ると,突然身の丈6尺程の大猿が現れ,娘は失神してしまった。翌朝家人が失神している娘を見つけ,家に担ぎ込んだが,娘は日増しに痩せ衰えていく。ある日村の若い衆が見舞いにきて娘の額に手を当てようとしたところ,突然男の頭に柿の実が飛んできてぶつかった。見廻しても仲間しかおらず,翌日も同じ事が続いたので三日目には見張りをつけた。一人が娘の額に手を触れると,突然屋根裏から南瓜が投げ落とされる。上を見ると天窓から大猿が歯をむき出していたので,大勢で追いかけたところ向山のほうに逃げてしまった。その後も,見張っていないと大猿がやってくるので,刈田岳のマタギに頼んで大猿を撃ち殺してもらったが,同じ時刻に娘もあっとうめいて息を引き取ってしまった。その後村人は娘と猿の供養のために山の北麓に庚申塔を建ててやった。初め猿田の庚申塔といっていたが,現在では猫田の庚申塔といわれている。
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イヌ,ヒヒ,シラハノヤ 1989年 長野県 遠州の見付に逃げたひひは、夜になると「光前寺のへえぼう太郎はいないか」と言いながら出てきて作物などを荒らした。また、白羽の矢が立った家では娘を人身御供に差し出さねばならなかった。たく鉢の和尚が村人から事情を聞き、光前寺へ早太郎を借りに行った。
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リュウ 1932年 奈良県 ある美男子の許に、ある夜美しい女が尋ねてきた。2人は夫婦となり子も生まれたが、男は妻について、草履が濡れている事と、井戸で水鏡をしている事を不審に思っていた。ある時それを尋ねたら、妻は亀山の原の池に牡竜とともに住む牝竜の化身であり、池が井戸とつながっているのだと言い、池へ帰ってしまった。池を訪れ妻を呼ぶと牡竜が現れ男を食おうとした。逃げ帰ったが病に倒れ子とともに死んでしまった。
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オヒメバシ,オンリョウ 2003年 山梨県 公公堂のある所をおひめ屋敷といわれ、近くにある橋をおひめ橋といわれる。おひめの怨霊が病などの災いをもたらすいわれる。 橋から落ちたら、おひめにつかまえられて片袖をひきぬがれるといわれる。おひめが所有していた田んぼをおひめ田といい、その田を耕すと災いにあうといわれていた。天保年間に生きていたおひめは美貌であり、やがて不倫し、夫を殺したが、市川代官所に知られ、磔に処罰されたといわれる。
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トウザン 1928年 台湾 昔、相思の男女がいたが、男がふとしたことから死んでしまった。夜昼なく狂い歩いていると、死んだはずの男が現れ、いっしょに暮らそうと女にいった。しかし、この男はその女以外には見えなかった。ある日、女が赤ん坊を抱えて戻ってきたが、女から離れると子は木の根になった。女は帰りがけに母親に自分が死ぬときには塔山に白い布が張られると言った。数日後、塔山に白い布が張られ、その後、女が姿を見せることはなかったという。白い布はやがて石になり、塔山の白石と呼ばれるようになった。答山は妖怪の山と言われている。
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テング 1963年 愛媛県 キノコ狩りをしていた1人の女が岩の上で涼んでいると、天狗が現れて岩の上から女を落とした。女は髪の毛がなくなり、坊主頭になった。以来、この岩を「天狗岩」という。また、この天狗が日向の鼻の松の木の上で常に見張りをしていたので、この木は平らで上に延びないのだといわれている。
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カネコイナリ 1986年 埼玉県 金子越前守という者が住んでいた。ある晩美しい女が訪ねてきた。暫くこの女をとどめておいたが、次第に心を惹かれるようになり女は子を孕んだ。しかし女は、「つい長い年月を過ごしてしまいました。この子を産んだら京に帰らねばなりません。」と泣いた。次の夜、赤ん坊の泣き声に驚いて女の寝間に行くと一匹の狐が東の窓を打ち破って逃げていった。越前守は京へ上り、伏見稲荷の分霊を持ち帰り、庭に祠を建てて祀った。これが今の金子稲荷である。また、これ以来金子家では東に窓を作らないと伝えている。
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リュウジン 1939年 岐阜県 天城氏方は豪家で宿屋業をしていたが、ある時遍路が来て嫁となった。不思議と必要な魚を捕らえてきた。後に出産することとなったが、嫁は1室に篭り決して見てはいけないといったが、夫が覗くと大蛇が赤子に乳を飲ませていた。嫁は恥じて嫁が淵に逃げ込んでいった。そのさまを黍畑から見て「キビワルク」あったので以来黍を作らないという。ある年黍を作った家では3年間不幸が続いたという。天城氏方の岩には嫁の手形、魚の跡、下駄の跡がある。また尽きない布、尽きない米俵があったが、後に尽きた。これらは龍神の為した事という。
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シロヘビ 1933年 栃木県 昔、山に城が築かれたとき、敵に攻められ、城主の一人娘が追い詰められ、井戸に入って死んでしまった。その後、娘が白蛇に身を変えて出ると言われている。今もその井戸があるが、水はない。今も蛇が棲んでいて、時々悲しそうな声を聞くという。
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チガミ,ヂガミ,イシ 1944年 新潟県 山へ行くとき牛の荷が傾いたので一方に石をくくりつけた。それでも傾くので、傾かないようにしたらヂガミに祀るといった。そしたら傾かなくなった。山へ着くとその石を放ってしまった。すると祟りがあった。トイギキ(問聞)をしたら、約束を守らないからだというので、その石をヂガミとして祀った。
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