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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

リュウジン
1939年 岐阜県
天城氏方は豪家で宿屋業をしていたが、ある時遍路が来て嫁となった。不思議と必要な魚を捕らえてきた。後に出産することとなったが、嫁は1室に篭り決して見てはいけないといったが、夫が覗くと大蛇が赤子に乳を飲ませていた。嫁は恥じて嫁が淵に逃げ込んでいった。そのさまを黍畑から見て「キビワルク」あったので以来黍を作らないという。ある年黍を作った家では3年間不幸が続いたという。天城氏方の岩には嫁の手形、魚の跡、下駄の跡がある。また尽きない布、尽きない米俵があったが、後に尽きた。これらは龍神の為した事という。

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(オンナ)
1939年 岐阜県
天城孫右衛門という宿屋があった。下女にしてくれと押しかけてくる女があり、仕方なく下女にしたがよく働くので主人は嫁にした。不思議と必要なだけ魚を捕る。魚と手と下駄の跡がある岩が嫁が淵付近にある。また何度でも使える麻袋も持って来た。嫁が魚を捕りに行くのを隠れて見ると黍畑から嫁が淵に入ってき、それ以来帰ってこなくなった。麻袋もなくなってしまった。
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ダイジャ
1963年 山梨県
けちな親子が息子の嫁に「飯の嫌いな子」をもらいたがる。ある日息子が山で泣いている女に出会う。「誰かに嫁にもらいたい」と女は言い、息子が「飯が好きか」と尋ねると、女は「飯ほど嫌いなものはない」と答えるので嫁にした。息子の留守中に女は大釜で飯を炊いて一気に食い、押入れに入って「人くさい」という。息子はただものではないと思い、「山へかえれ」というと、女は「帰るが飯を籠一杯に持っていく」という。籠を背負って山へ行くが籠がだんだん軽くなるので振り向くと女の着物を引っかけた大蛇がいた。
類似事例

ヘビ,カニ
1976年 京都府
昔、綺田に美しい女がいた。ある時、村人が蟹を食べようと沢山取っていたのを、女は魚と交換して助けてやった。次の日、女の父が蛇が蟇を呑んでいるところを見つけ、蟇を逃がしたら娘をやると言った。蛇はすぐに蟇を放して去った。その夜、どこからか男が現れ、昼の約束の通り来たという。まだ娘に話していないというと去った。娘はそのことを聞いて仏前で読経をはじめた。蛇が現れ閨に入った。村人が戸を開いて中を見ると、女は無事で、蛇が数万の蟹に挟まれて死んでいた。村人はその所に寺を建立し蟹満寺と号した。
類似事例

ダイジャ
1932年 岐阜県
昔、ある青年が嫁ケ淵で会った娘と結婚した。嫁は懐妊したが、夫に出産を見ないように頼んだ。しかし夫はひそかに見ると、大蛇が子に乳を与えていた。大蛇は嫁ケ淵の主だった。
類似事例

ダイジャ
1938年 栃木県
若い呉服商人が若い女が峠にひとりで立っているのに出会い、道連れとして旅をし、やがて夫婦になった。子供が生まれたが、男が様子が変なのを疑って覗くと、大蛇が授乳していた。気付いた女は眼球を取り出し、子供が泣いたらしゃぶらせるように言って姿を消した。噂が広まり、眼球が役人に取り上げられたので男が峠へ行くと、大蛇がもう一方の眼球を渡した。
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ヘビ,ヨメ
1936年 岐阜県
山であった女を嫁にした。嫁は飯を食べなかった。子が生まれる時にその姿を見ないで欲しいと頼まれた。覗き見ると大蛇であった。嫁は目を子の為に残して池に帰った。目を盗まれたので池に行くと残っていた目をくれた。盲目になった嫁の為に寺へ鐘を寄進した。
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ダイジャ,ダイジャノチ
1989年 長野県
温田から来る途中に沼があり、大蛇が住んでいた。大蛇は男に化けて矢野部落に住む娘に通い、娘は子を孕んだが、男の正体が分からない。親が入れ知恵をして娘は男のほっかぶりの手ぬぐいに糸のついた針を刺した。親が糸の跡をつけていくと、蛇が蛇の親に「鉄の毒で死ぬが、子供を残した。ただ、蓼を飲ませると子が落ちる」と語った。娘の親は娘に蓼を飲ませ、子を堕ろした。沼から流れてくる水が時々赤くなるのは、蛇の血のせいだという。
類似事例

ヘビ
1959年 福井県
700年ほど昔、海山の寺を建てるときに、大工と女中とが懇ろになり、子ができた。女はお産の後を見てくれるなと言ったのに大工が覗くと、女は大蛇で、大工は逃げた。女は大工の朋輩に子供を託し、自分の両眼球を乳代わりに与えた。寺大工と一緒になって成仏しようと思ったが叶わなかった。しかし自分の前世の罪が滅びたとき、寺の椎の木に実がつくので、見届けて欲しい、と言い残した。その椎の木は花は咲いても実がならなかったが、昭和30年ごろ実がついた。蛇女が成仏したのだろう。
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ダイジャ,アクリョウ,カンノン
1974年 東京都
姥ヶ池というところに一軒の家があり、姥とその娘が住んでいた。姥は旅人を泊めて殺しては衣裳をはいでいた。ある日浅草観音が笛を吹いて、旅人に危険を知らせ、旅人は助かった。また、浅草観音は姥が地獄に落ちるのを憐れんで、児の姿で姥を訪ね、姥は児と誤って娘を殺してしまった。その後母は池に身を投げて大蛇となったが、神にして祝ってその悪霊をなだめると守りの神となって、諸々の病をしりぞけるようになった。大蛇と化したが供養により守りの神となった。
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テンニョ,ヘビ,ユメ
1993年 沖縄県
昔、天女が大城に降りて暮らしていて、美しい青年と通じた。その素性を怪しんだ天女が青年の衣に麻糸を通した針を刺しておき、翌朝その糸を手繰っていくと、洞窟の中で蛇が呻き伏していた。天女は蛇と通じたことを悲しんだが、夢で汝の孕んだのは立派な人間だという示現を得た。後に3人の女子が生まれ、これが狩俣の村人の祖先である。
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ダイジャ
1989年 長野県
温田から来る途中に沼があり、大蛇が住んでいた。大蛇は男に化けて矢野部落に住む娘に通い、娘は子を孕んだが、男の正体が分からない。親が入れ知恵をして娘は男のほっかぶりの手ぬぐいに糸のついた針を刺した。親が糸の跡をつけていくと、蛇が蛇の親に「鉄の毒で死ぬが、子供を残した。ただ、蓼を飲ませると子が落ちる」と語った。娘の親は娘に蓼を飲ませ、子を堕ろした。
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ヘビトカエル
1956年 宮城県
薬売りがある晩、田んぼ道を急いでいると、1匹の大蛇がビッキ(蛙)を今にも呑もうとしていたので、「そのビッキを逃がしてやったら俺のオガダ(嫁)にしてやる」というと蛇はビッキを放した。3日ほどあと、17,8の美しい娘が薬売りの寝所に来て「あなたのオガダになるから側に寝させてくれ」と裸になって床に入ってきた。次の晩から毎晩同じ時間にやってきて、だんだん薬売りはやせていった。ご祈祷しても治らず困っていたところ、ある夜少し年取った女がきて、「わたしは助けてもらったビッキだが、今夜あの娘がきたら、今自分は病気で苦しい、それを治すために辰巳の方角の山にある大きな木のワシの卵をとってきてくれ、と言え」と話して去る。薬売りがそのとおりに言うと、娘は蛇となり木に登り卵をとろうとしたが、枝が折れて下に落ちていくところを大ワシが飛んできて蛇の目をついて殺した。それで薬売りの病気は治ったが、蛇は執念深いものだということだ。
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イケノヌシ,ダイジャ
1978年 新潟県
宝暦元年の名立くずれでできたタナの池の側を小林家の男性が歩いていると、美しい女性が来た。男と女は結婚し、子供が産まれることになったが、産室には部屋いっぱいの大蛇がいた。女は杖一本を残して消えた。子供が泣いたら杖で水面をたたけと言われていたのでその通りにすると、女が出てきて子供を池の中に連れ去った。しかし、この後タナの池の周りではこの家だけが栄えたという。また、今もこの池の一画に冬でも凍らない部分がある。
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コヘビ
1976年 京都府
某家で伯母が同居してかいがいしく働き、家が栄えていた。しかし妻を迎えたところ、妻が伯母に従順しなかったので、伯母を別居させ、食事を持っていくように主が命じたが、妻は主に偽って、持って行く事は無かった。そのうち伯母は病気になったのだが、その頃から妻も心地が悪いと屏風の内にこもるようになった。2,3日もこのようなことが続くので怪しんで屏風の内に入って見たところ、妻の首に小蛇が巻きついていた。修験に祈ってもらったら、小蛇を退治すると妻は死ぬといわれたが、苦しみを見かねて祈祷を頼んだところ、小蛇は首を離れ妻の口に入り、妻は死んだ。その頃伯母も死んだという。
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シロウナギ,ヘビ,ムスメ
1929年 長崎県
雨宿りしていた娘と医者が結婚して子供ができた。ある時、昼寝をする母子を見ると、蛇が子供を抱いていた。妻は普賢岳の池に棲む蛇であり、昔医者に助けられた恩返しに来たという。子供が泣くので池に行くと、蛇は片目をくり抜いて差し出した。それを武士に取られたので、再度もらいに行くと、もう片方の目を渡した。しかし、またとられてしまい、怒った蛇は大地震を引き起こした。
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ダコツ
1973年 新潟県
越後の国頸城郡小丸山の辺にある柳が池に、本妻が供に命じて妾を沈めさせ殺した。その夜本妻とその時の伴の者が熱を出し、家の中を走り回った。加持祈祷をしたが、やがて取り殺された。その後も種々怪異の事があり家が絶えた。池でも夜、女の泣き声等があり、後に蛇身になった。数年後聖の教化で怪異は止み、後に池は荒れはてて、池の水も乾いて毒蛇の骨が出てきた。今は勝楽寺の宝物になっている。
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ヨナキイシ
1970年 滋賀県
天人が余呉湖で水浴びをしていたとき、桐畑太夫が衣を隠して、天人を嫁にした。2人の子ができたが、天人は子守娘の唄から衣の場所を知り、天に帰ってしまった。子守は子を石の上に放って帰った。赤子が泣いたらその声が読経の声であったので、菅山寺の住職はその子を連れ帰って育てた。それが後の天神様。この石はその後も夜毎に泣いたので夜泣き石といわれ、耕地整理で動かそうとしたら祟りがあった。
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ダイジャ,アマゴイ
1944年 愛媛県
庄屋に一人娘があった。娘は蛇と通じ、大蛇のひいた白糸についていって瀧壺に入ってしまった。娘の親が娘を捜して瀧に入ると瀧の下には青畳が敷いてあり、娘と大蛇がいた。娘は蛇に連れられてここに来たためもう帰ることは出来ないといい證文を書いた。娘は、この證文を雨乞いの県画として瀧壺にかけると雨を降らすと約束した。その年は日照りであったが、瀧壺のまわりで祈願をすると、小さい蛇が降りてきて、雨が降ってきた。庄屋の家は絶えたが、この県画は残っており、神官が保存している。今でもこの瀧壺での祈願は有効的である。しかし、他村の人が行っても、蛇は出てこず鰻が出てきて雨を貰うことはできない。
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ヘビ
1966年 静岡県
昔、田村将軍が天竜川を渡ろうとしたときに、アリマタの池の蛇が松の木を倒して渡してくれた。そして蛇は田村将軍の妻になり、9尺四方の部屋で子を産んだ。ところが、蛇が赤子の腰のあたりのコケラ(鱗)を舐め取ってしまわないうちに田村将軍に覗かれてしまい、蛇は子どもを置いて逃げてしまった。その子は後醍醐天皇を祀る奥山の半僧坊に祈祷して鱗を取ってもらった。今でも「コケカクシ」という袴が祀ってあるという。
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ヘビ
1929年 長崎県
娘が若者と結婚し身ごもったが、日に日に体が瘠せていった。老父は心配になり山伏に尋ねると、子供は湯の中で産み、夫には鷲の卵を与えるようにと告げられた。娘はたくさんの蛇を湯の中に産み落とし、全て死んだ。夫は鷲の卵を与えられると、大蛇となって木に登り、卵を取ろうとして鷲と対決になり、負けて岩に落ちて死んでしまった。
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