ダンジュクサン 1969年 滋賀県 横山康作家では、嫁がお産で亡くなったりおじいさんが畑で目を突いたりと、先々代の頃に良くないことが続けて起こった。それでダンジュクさんを掘り出し、小さな祠に祀ったと伝えられている。
類似事例 |
|
ダンジュクサン 1969年 滋賀県 菅並ではダンジュクという神が田中甚平家、大黒久雄家、田中昭家、嵐敏雄家、横山康作家、高橋源左衛門家、谷井美則家の7軒で祀られており、7ダンジュクと呼んでいた。
類似事例 |
|
イクスサン 1979年 徳島県 イクスさんはイクシさんともいう。平家の落人を祀ったものである。イクスさんの場所は決まっている。田を曲げてでも動かしてはいけない。動かすと罰が当たるなどといわれている。
類似事例 |
|
ダンジュクサン 1969年 滋賀県 高橋源左衛門家では何代か前に牛が続けて死に、弘法さんに拝んでもらったところダンジュクさんの祟りと分かった。そこでダンジュクさんを掘り起こし、丁重に祀ったと伝えられている。
類似事例 |
|
ジノーサン 1973年 香川県 田畑の端に石が置いてあり、これを五輪塔あるいは地主(ジノー)さんという。祟り神である。平家の落ち武者が逃れてきて果てたものを祀ったといわれている。
類似事例 |
|
ヤンボシサンノハカ 1976年 熊本県 ヤンボシ(山法師)さんの墓が村の中央部の栗林の中にある。墓に近づくと頭が痛くなり、家の子供が病気になる。ヤンボシは悪魔、山姥のことと言われる。また、ヤンボシ墓は行き倒れて死んだ無煙の人々のために建てられたとも言われる。
類似事例 |
|
サルオウジ,サルオウマル 1983年 岐阜県 平家の落人とも言われる怪力の男が猿王子である。
類似事例 |
|
ワカミヤサマ 1985年 愛媛県 二軒の家に不幸が続き、若い人が死んだので、拝み屋に拝んでもらうと、平家の落人さんが祀ってもらいたがっているといわれたので、祠を建てて若宮さまといって祀った。
類似事例 |
|
ダンヨモサン 1969年 滋賀県 大正頃まで道端の6ヶ所に丸い石があり、ダンヨモさんと呼ばれていた。賤ヶ岳の合戦後に落武者を祀ったものだと言うが、定かではない。
類似事例 |
|
ワカミヤサマ,タタリ 1965年 高知県 今宮一族が祀る若宮さまは、平家の落人を祀ったもの。9月28日に本家でお祭りをする。これを怠るとたたりがあるという。
類似事例 |
|
タンジュクサン 1984年 福井県 ダンジュクサンという神があり、霜月23日に天へ昇るといい、アズキのアンをつけた鏡モチくらいの大きいボタモチを供えるが、年を越した正月11日になると今度は天から降臨する。
類似事例 |
|
タタリ,ヘイケ 1936年 山口県 下関の赤間神宮の先帝祭碑は雨か曇りの日が多い。平家が壇ノ浦で水に沈んだ祟りだという人もいるという。
類似事例 |
|
オチウドノハカ,ジゾウ 1958年 岐阜県 双六谷の洞穴近くの地蔵様は落人の墓と言われており、よく祟る。お参りすると治る。
類似事例 |
|
ハタノクサマ 1975年 愛媛県 婆さんが洗濯をしていたら平家の落人が逃げてきた。婆さんに決して行き先を教えないように頼んで逃げていったが、婆さんは追っ手に言わないものの唇で教えた。落人は殺され、今ハタノク様として祀られている。教えた婆さんの家は祟りで、家をつぐと唇が曲がるという。
類似事例 |
|
トノヅカ 1993年 岐阜県 殿塚に田んぼを作ったら、人が病気になったり、変死者が出たので祀った。殿塚は南朝の殿様の墓である。
類似事例 |
|
イシヅカダイミョウジン,タタリ 1975年 愛知県 豊丘小学校の裏山に石塚大明神がある。昔、ここは野間で殺された偉い人、源義朝か鎌田政家を埋めた場所で、子供の頃から石塚さんの石ひとつでも触れると祟りがあると恐れられて近寄らなかった。
類似事例 |
|
ヘイケノツカ,ヒカリ 1916年 福井県 昔、逃げてきた平家の侍の墓といわれる平家の塚がある。50年ほど前、村民の1人が雨の降る夜にこの塚から光が発しているのを見つけ、掘り出したら一振りの刀が出てきたという。
類似事例 |
|
イルカ 1964年 長崎県 イルカは平家の落人が化したものだという。イルカの体には平家の紋があり、人のような鳴き声を立て、人間のような血が出る。
類似事例 |
|
フナトサン 2002年 香川県 シモラ(屋号)の門先に祀ってあるフナトサンは平家の落人が逃げてきた作ったものだという。フナトサンは人の命は取らないという。祠の横には溝があり、子どもや年寄りが落ちるが、死んだものはいないという。また、フナトサンは子どもを生むといい、祠の中にある小さな丸い石はフナトサンが産んだ子であり、誰も入れたりしないのに増えていくという。
類似事例 |
|
アタゴサマ 1984年 長野県 百姓一揆によって殺された若殿の遺体を家来が葬った。そこに地主が祠を建て愛宕さまとした。しかし祠の扉はいくら東に向けても、南になっている。これは若殿の家の墓がある方向である。
類似事例 |
|