オノノコマチ 1960年 京都府 下豊富村に「小野わき」というところがある。昔はここに霊湯が湧き、小野小町が冷え症の治療に来ていたという。そのとき小町が小便をしたので、他では見られない花が、今でもこのあたりに生えると言う。
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マガリマツ,タタリ 1929年 東京都 鎌倉街道の傍らに円形塚が今尚残っている。昔この塚の上には幹の曲がりくねった一本の古松がはえていた。この松を切ると大病におかされると、村人は信じていた。だがとうとうある日老人が、多くの人々が止めるのも聞かず松を買い取り切り倒した。その後老人は病にかかりこの世を去った。松はないが、曲がり松という漠然とした地名は残った。
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キヨヅカ,セイショウナゴン 1931年 滋賀県 清塚と呼ばれる古墳を掘って他の場所に移そうとしたら村の人の夢に女房のような美女が紅の衣装を着て現れ、「うつつなき跡のしるしを誰にかも問はれしもがな忘れもせず」と書いた短冊を前に置いていったといわれている。
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ジョロウダ 1985年 茨城県 満願寺に女郎塚と言う小さい塚があった。いつの頃からか、平にして稲を作る者があったが、悪い事が続いて発生して、唯れも作る人はなく、荒れていた。
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キョウヅカ 1985年 茨城県 昔は京塚と云う小さな塚があった。一帯は京塚と言う地名になっている。外部から移り住んだ者がいつか平らに均して屋敷内として使用、娘が若くしてガンで死亡したり、不幸が起きたと言う。
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タマトリヤマ,マジョ 1963年 愛媛県 上猿田の玉取山は「くせ地」であった。昔、ここで作物がよくできることから兄弟がケンカとなり、ついに鎌で斬りあって死んだという話がある。また、魔女がいたという話もある。草地の中に苔むした塚があり、権現塚という。
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ナキイシ 1981年 山形県 小野小町は小野川で湯治しているうちに、醜い顔が直って美人になった。すると今度は若い者においかけられ、ついには生き埋めにされた。そのときつまずいた石を泣き石といい、天気のよい日にも濡れていた。
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ニチレン,シミズノサクラ 1935年 山梨県 文永11年閏5月17日に日蓮上人がこの村を通過しようとした時に、大変のどが渇いたので、持っていた桜の枝を地に打ち込み、祈願を込めたところ忽ち清水が湧出したという。その桜は根付いて木になったという。
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イミダ,エンギダ,イワレノタ 1968年 群馬県 忌田には、エンギダ・イワレの田などの呼び名がある。石塚には2ヶ所あり、両方とも2反くらいの広さである。かつて持ち主の1人は供養のために地蔵を建て、他の1人は樺山大神を祀った石碑を建てた。この石碑を建てたA氏はこの地の開墾者だったが、この田を所有して不吉な事件が続発して主人が交通事故にあったり、病気をしたりしたため、安い値段で現在の所有者に売り渡した。するとA氏は平穏になったが、現在の土地の所有者には不吉なことが起った。
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オシドリ 2002年 栃木県 大町に六面に六地蔵を彫った五重の石塔があり、鴛鴦塚という。昔この辺りに猟師がいて、求食川上流の求食沼で、雄の鴛鴦を射止めて首を切り、体だけを持ち帰った。翌日同所で雌鳥を射止めると、その翼の下に雄鳥の首を抱いていた。之を見た猟師は発心し、本宮寺に入り、求食川の河畔に草堂を結び、鴛鴦夫婦の塚を設け、冥福を祈ったという。
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オノノコマチノレイ,ビジョヅカ 1976年 山形県 京都で深草少将が小野小町に恋して通い詰めたが小町は応えず、少将は思いを遂げず急逝した。その恨みからか小町は病となり、死を前に父に会いたいと北国へ向かった。米沢の山中で小町は病に倒れたが、現れた薬師如来に小野川の湯を教えられ平癒する。しかし塩井で亡くなったと言う。そこに村人が地蔵を立てて葬ったのが美女塚であると言う。その200年後、旅僧が読経すると小町の霊が現れ、米沢の呉服商の清欒が少将の生まれ変わりと言う。これを知った呉服商は間もなく病で死んだので、美女塚に対して西方に美男塚を作って葬った。異伝も多い。
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ビジョヅカ 1981年 山形県 小笠原長時の妾が、従者を通じて長時を殺して出奔したが、米沢にて死亡し埋められた。それを美女塚という。またはキリシタンの美女を葬った墓という。小野小町が病死したので葬ったところ、などの説もある。
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シニン,タタリ,サクラ 1989年 長野県 昔、城があった場所には何人かの武士が生き埋めにされたので、供養のために塚を作り桜を植えていた。その後、その桜の木に傷が付くと、血が流れ出たという。
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コイシ 1967年 福島県 波立薬師のお堂の前は小石の浜で、この小石を持ち帰ると、帰りたがって夜に泣くという。そしていつの間にかひとりでに帰るという。ある人がこの砂利を運んで庭に築山を造ったところ病気になり、石のためだということになり元の所へ返したという。
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ヤクシイシ 1933年 兵庫県 西平野村から阪急の線路を越えて大仏原に向かう小道の中程に松林の中の古墓に囲まれたお堂の中に薬師石がある。この石は昔ここに、家を建てようとした大工が邪魔になると言って掘り起こそうとしたが上手くいかず、大工は腹痛を起こして三日経って死んでしまった石で、現在その前に薬師仏が祀られている。
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シニン,タタリ,サクラ 1989年 長野県 昔、城があった場所には何人かの武士が生き埋めにされたので、供養のために塚を作り桜を植えていた。その後、その木に傷が付くと血が流れ出たという。塚が崩され田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。その土地を買った家でも不幸が続いたが、社を造って近親者で祭を行うと、商売が繁盛するようになったという。
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マサカドノウマ 1966年 埼玉県 日野明徳寺前の畑中に、自然石の上に石塔が建てられている。その場所は将門が乗った馬を埋めた場所と伝えられている。
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オウゴンノニワトリ 1957年 三重県 赤目の滝の手前の一ノ井にいた道潅長者は死ぬとき黄金の鶏を埋め、宝塚という地名が今に残る。
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オシドリ,ユメ 2002年 栃木県 相生町の東端に鴛鴦塚という石造の小祠がある。この辺一帯は阿曽沼であったが40年前に埋め立てた。嘉禄年中に太田二郎という狩人がいた。ある日鴛鴦の雄を取って帰ったが、その夜の夢に1人の女が枕辺に立って泣き、なぜ私の夫を殺したのかと恨みを述べて和歌を呼んで去ったという。翌朝見ると昨日の鴛の雄と嘴をあわせて死んでいる雌がいた。太田二郎は驚き、一念発心して仏門に入り弔ったのがこの塚の由緒という。
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タカミチノヒ 1956年 宮城県 寺崎部落附近に坂上大宿禰高道の墳がある。高道は陸奥守として下ってきて天安2(858)年正月に戦死した人物。村人は「山田の碑」「貞観石」と呼んでおり,この塚を涜すと禍を受けると言い伝えられてきた。寛政2(1790)年4月,庄兵衛という農夫が鋤で塚の上の土を掘ったところ,帰宅後に発熱悪寒をおぼえて人事不省におちいり,「汝百姓の身を以って蓑笠を着け土足のまま我が塚の上を削る。非礼も甚だしい」とうわ言を言うようになった。家族が驚いて墓に行き,香華を供えてその罪を詫びると主人の病は忽ち癒えたという。土地の人々が碑を荒廃に任せていたので祟りを受けたのだろうということである。寺崎部落の高橋屋六蔵の談話。
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