セイショウナゴン 1931年 香川県 寛永もしくは享保のころ、讃岐金比羅山の麓の寺が、鐘楼を築くために清少納言の墓といわれていた場所に工事を行おうとしたところ、和尚の夢に美しい女官が現れ「うつつなき跡のしるしを誰にかは間はれなんなれど有りしてしもがな」と詠んだという。
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セイショウナゴン 1976年 香川県 象頭山の鐘楼の傍らに清少納言の古墳という石碑がある。いつのことか、この墳を移動しようとしたところ、金光院という坊の僧の夢に一婦人が現れ、「うつつなきあとのしるしを誰にかはとはれんなれどありてしもがな」と語ったので、これは本当に清少納言の墓なのだと思い、もとのままに残したという。
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(ユメマクラ) 1974年 香川県 讃州金毘羅山の麓の禅寺で、享保年間、洪鐘を建てる場所を求め、清少納言の塚の場所に建てようとした。その夜住僧の夢に容姿端麗な官女が枕上に立ち、塚を残してほしいという和歌を詠んだ。
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キヨヅカ,セイショウナゴン 1931年 滋賀県 清塚と呼ばれる古墳を掘って他の場所に移そうとしたら村の人の夢に女房のような美女が紅の衣装を着て現れ、「うつつなき跡のしるしを誰にかも問はれしもがな忘れもせず」と書いた短冊を前に置いていったといわれている。
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チュウドノセイレイ 1974年 群馬県 上野国平井で、ある僧が桜を見ながら忠度の歌を吟じたところ、忽然と50才位の身分の高そうな佩刀した人が現れ、歌の字の読みの清濁について尋ねて消えた。僧は忠度の精霊だろうと思い、その場所に墓を建てた。
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キンケイ 1913年 愛知県 異国の王様の使者を埋めたという塚があり、俗に王塚と称している。その塚には金鶏も一緒に埋められており、時折鳴くことがある。その声を聞くと幸を受けるという。
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エンノギョウジャ,ウンペンショウニン 1974年 京都府 大宝年中に、役行者と雲遍上人が清滝に訪れた時、雷雲起こり、大雨が降り、大杉の上に多くの天狗が現れた。そこで二人は秘呪密言を唱えると、目の前に地蔵・竜樹・富婁那・毘沙門・愛染が現れて光を放ち、天狗はどこかにさってしまったという。そこで二人は山の中に神廟を建て、かの大杉を清滝の明神と崇めたという。
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セッカン 1976年 京都府 寛政のはじめ、清水外六坊の修理をしようと前の道を掘ったところ、石棺のようなものが発掘された。すると、それを掘り出した者をはじめ、掘ることを計画した人も暴病に罹り死んでいった。『源平盛衰記』にある怪獣一竹を埋めた塚がこの辺りであるから、きっとこれであるだろうと、石棺に土を盛り上げ小さな社を造った。平清盛が命に従い捕らえた南殿の鵺を埋めた塚ではないだろうか。
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ヤマンバ 1992年 宮崎県 琴塚という山の横穴には、昔山姥が住んでいた。山姥は頼めば膳椀を貸してくれたが、決して顔を見せようとせず、話すときは後ろを向いていた。里の荒くれが無理やり顔を見ようと山姥につかみかかったら、山姥は怒って雷の音をさせ、姿を消した。そのご、この穴から琴の音がもれ聞こえるようになったので、琴塚という。
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タダタビサカサザクラ 1962年 群馬県 双林寺の境内の桜は「忠度逆さ桜」という。その由来は、2代目住職の前に一人の座頭が現れ平家物語を語ったが、「行暮れて木の下蔭をと宿せば花ぞ今宵のあるじならまし」の歌を詠じて消えてしまう。住職がそれを平忠度の亡霊と喝破すると、白馬にまたがった忠度が現れ桜のむちを地上にさして去る。そこから芽が出たものだという。
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ハクハツノニョニン 1961年 山梨県 高前寺の梵鐘は一名横取りの梵鐘といい、日蓮宗に信仰のある富豪が奉納したものであるが、完成した後富士川の鰍沢から身延山を目指しての下りの船で天神ヶ滝の難所を過ぎて鴨狩に近付いたときに奇石に座礁した。この巌に竜波穴と称する謎の巌谷があり、難破の彼方に白髪の女人が現れて申すには、梵鐘は近くの寺に納めて、身延山奉納は改めてみてはどうかという意味だった。それにより、高前寺に納めたため、横取りの梵鐘という。
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ジュソ 1978年 東京都 甲府中納言殿が桜田御殿におられた時、御所労があってついには御気もそぞろとなった。そこで本郷辺りの義孝という験者を呼び寄せ祈祷させたところ、験者は御寝所の下に怪しい物があるという。そこを掘ると石櫃があり、中に人形が入っていた。丹精を凝らし祈祷をすると中納言殿は回復した。
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フドウミョウオウ,テンジン,ハゴロモ 1967年 福島県 三浦左近国清という人が太田村別所に住んでいた。世継ぎが無いことを憂い、馬場村の滝不動に美しい妻が得られるようにと祈願した。すると夢に不動明王が現れ、現世には配すべき女がいないので、五台山の奥の池で天人が水浴びをしてるゆえ、その羽衣を取れと言った。国清はその通り山に登り天人の羽衣を取って家に帰った。やがて天人は気付き、国清の家に行き羽衣を返して欲しいと願ったが返されず、ついには夫婦になった。二男一女をもうけたが、やがて子供たちが大きくなったから別れても立派に育つと言い残し、天女は羽衣を着て天に昇った。国清は悲しんだが、娘はそれにもまして悲しみ、ついには池に身投げして死んだ。中太田に姫塚と呼ぶ塚があるが、この姫を祀ったものといわれる。
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オトヒメサマ,アマノジャク 1931年 鹿児島県 枇榔島に泊ると、真夜中に森から音楽が聞こえてくる。また、琵琶歌を歌うと激しい地響きがして、大きな岩が崩れる音が聞こえたかと思うと、島中の木がメリメリと大鳴動を起こしたという。この島は和銅年間に天智天皇の皇女の乙媛様が一夜にして造った島だといわれ、不思議なことが起こるのは、姫様の霊の仕業だと信じられている。乙媛が悪戯のあまり沖に流されたとき、島を作り、陸までの岩道を一夜のうちに作ろうとしたので、天邪鬼が鶏に言いつけて早めに鳴かせ、岩道の完成を防いだ。今も島から陸に向かって、海中に岩道が続いているという。
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キョウガミネ 1956年 宮城県 萩が多かったのでかつては萩ヶ崎といった。伊達政宗の瑞鳳殿霊屋のある所は、湯殿山の行者満海上人の建てた観音堂があった所で、その西向かいの丘に上人が大般若経を埋めたので大般若経ヶ峯と称し、のちに経ヶ峯となった。満海上人は観音堂の側に埋葬された。政宗の廟をたてるとき堂は他に移され、政宗の遺骸を葬る時、偶然上人の墓穴に掘り当たった。上人は片目で、政宗はその生まれ変わりだといわれていた。政宗が上人の墓に埋葬されたので人々は不思議の思いをしたという。
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セイショウナゴン,セトガイ 1934年 徳島県 清少納言が婿に嫌われて流された。流された村で人びとが病気に苦しんでいるのを助けたいと願っていたが、あまりに病気を苦にして、あそこを切って海に棄てた。それが瀬戸貝になったという。その清少納言の死骸を葬ったのが尼塚である。そこに参ると必ずしらちが治る。下の病なら何でも治るという。
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ヤシキガミ 1985年 愛媛県 主人が大病したとき、大洲のえらいおがみやさんにおがんでもらった。四百年前の霊がとりついていると言われた。家まで来てもらったおがみやさんは「ここへ塚を建てて祀りなさい」と言った。主人の病気は治り、家の守り神となっている。
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アッキ,オニババ 1967年 福島県 熊野那智の祐慶という僧が奥州安達ヶ原にたどり着き、野中の家に宿を乞うた。寒い夜で、婆さまが芝を取りに行った時に、僧は見てはならぬといわれた部屋をのぞき、白骨屍を見つけ、驚いて逃げた。それを知った婆さまは悪鬼となり追いかけてきたが、背に負った仏の法力で鬼婆を祈り殺すことができた。それを埋めたのが黒塚である。また婆のこもっていたといわれる岩屋もある。
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ヤマブシヅカ 1984年 長野県 恋仲になった家臣と姫がいた。家臣が山伏の姿となって落ちのびるが、その先で男は死んでしまった。山伏を葬って女は尼になった。終戦後ここを通った旅僧が山伏塚を見て霊験を感じ、西の方角に向って念じよと言い残していった。
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キョウヅカ 1985年 茨城県 昔は京塚と云う小さな塚があった。一帯は京塚と言う地名になっている。外部から移り住んだ者がいつか平らに均して屋敷内として使用、娘が若くしてガンで死亡したり、不幸が起きたと言う。
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