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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ヤマタノオロチ,ナスノクニツコ,アマツハヤゴマ
1928年 長野県
那須国造は八溝山の八峡大蛇を退治しようと駒ケ岳に天津速駒を求めて退治した。

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シュテンドウジ
1970年 京都府
大江山の鬼退治について。御勝八幡に21日間参篭して必勝祈願をした。参篭の途中で老婆から勝栗を得て千丈岳に向かい、鬼の岩屋で酒天童子を退治した。帰りに老婆にお礼として笛を与えた。
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ダイジャ
1971年 福島県
八幡太郎義家が今の塙町を通りかかると1人の男が崖を掘っていた。理由を尋ねると、男の父が湖の大蛇にのまれ、その敵を討つために崖を掘って水を干上がらせようとしていると答えた。義家がそれを手伝わせて水がひくと大蛇が現れた。そこで義家は弓張堂から大蛇を射殺した。このときの弓が矢祭山に置いてある。そして、大蛇の骨は源八山竜沢寺にあって、薬になるといって人々が削っていく。
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ダイジャ
1964年 福島県
茂庭の湖に大蛇が住み、人年貢をとった。建久3年の年に、金を集めて生贄の娘を那須野ヶ原に求めた。妹を売った人は斎藤実良の家臣今野図書で、主君の父の一周忌の追善のために妹・猿姫を売った。実良は不審に思い事情を聞いて大蛇退治に出かけた。9月19日に稲荷様からいただいた白羽の矢で大蛇を退治した。実良はその功により、伊達家の客として茂庭を頂き、移り住んだ。
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ダイジャ
1931年 茨城県
天武天皇の時代、八溝山に恐ろしいものが住んでいるという噂がたち、藤原富得が7日間物忌みして神に祈願をこめた。7日目に、面足の尊と惶根の尊が現れ、白羽の矢と赤玉と白玉の入った赤い布包みを渡された。化け物の正体は大蛇で、その後、級長津彦の力もかりて白羽の矢で大蛇を射てこれを倒したといわれている。
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オニ
1965年 和歌山県
昔、那智山に鬼が居て乱暴したので、刈場刑部左衛門という武士が1000本の矢を持って退治に行った。鬼は大きな釣鐘に隠れて矢を防いだので、刑部左衛門は999本を射てから「矢が尽きた」といって鬼をおびき出し、最後の矢で退治した。刑部左衛門はその功績で殿様から那智の滝の奥の山を貰った。色川の川原には鬼が隠れたという岩が今もある。
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リュウ(ヘビ)
2001年 新潟県
俵藤太が瀬戸の唐橋を通ると大蛇(竜)がいた。踏み越えると、ニガミ山の百足退治を依頼されたため、唾を付けた矢で退治した。
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ヤッツノアタマノヘビ
1979年 茨城県
八瓶山の主は8つの頭を持つ大蛇だった。若い女性がこの大蛇に次々飲み込まれるので、困った村人は大蛇に8つの瓶で作った酒を飲ませた。酔って眠ってしまった大蛇を、みんなで退治した。
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オテング
1982年 群馬県
高野辺家成の留守に、後妻が悪い家来と組んで先妻の娘の2人を渕に沈めようとした。家成が帰って娘の行方を聞くと、赤城山のお天狗にさらわれたというので、天狗退治に赤城山へ行ったが、奥方と家来達の仕業とわかって、そちらを成敗した。
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イワ,ヨウカイ,カイブツ
1954年 岡山県
昔大吉備津彦命四道将軍となって備前五山の1つ加茂山の山系の峰に来た頃、峰の西方に火柱天に沖する妖怪が現れ、里人は大いに悩んだ。命は大弓を放ちこれを退治した。妖怪は的石と化した。その際の出来事により弓張、矢懸、高片、目無、的岩、立石という地名がついたという。
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ミズウミノヌシ,ダイジャ
1928年 東京都
昔のある日、漁夫は船に一杯の魚と引き換えに、湖の主の大蛇に三女を嫁にやることになった。蛇が迎えに来たとき、娘は鳩になって富士山の山頂に逃げた。そこにいた事代主命は娘を連れて大島から三宅島に逃げた。そこにわなを仕掛けて大蛇を酔わせ、火之迦土に作らせた霊剣で、差出命が大蛇を斬り殺した。蛇は3つに斬られ、尾は大島に、頭は八丈島に飛んでいった。だからそれらの島では蛇が多いのだという。
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サルトラヘビ
1987年 岐阜県
高賀山の、頭は猿、胴は虎、尻尾が蛇の化物の目の光で琵琶湖の魚が取れなくなったので、天子の命令で京都から藤原高光が来て、矢作神社で作った強い矢で撃って退治した。
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オニ
1929年 京都府
一条天皇の頃、大江山に妖賊がでるので退治を命じられた源頼光が、山伏に姿を変えて和田街道へ進み、上川口村宇野花の孫八という農夫孫八に山の案内を頼み鬼の棲家を探す途中三貴神に出遭って道を教えられ、鬼獄稲荷神社で鬼毒酒を賜って鬼降伏祈願をして、やがて首尾よく鬼を退治することができた。
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キヨヒメ,ヘビ
1981年 和歌山県
安珍という山伏が那智へ行く途中、真砂の庄に泊まったら、そこの娘の清姫に見初められた。那智の帰りに連れに来ると約束したが、清姫は蛇で、杓子を舐めて弁当を作り、蛇の舌で髪を梳かしていたので安珍は怖くなり、那智に御参りした後、日高川を船で渡って逃げた。清姫は追ってきて日高川を蛇になって渡った。安珍は道成寺に逃げ込んで釣鐘の下に隠してもらったが、草鞋の紐が出ていて見つかった。清姫は鐘を7巻半巻いて溶かしてしまった。
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キヨヒメ,ヘビ
1981年 和歌山県
安珍という山伏が那智へ行く途中、真砂の庄に泊まったら、そこの娘の清姫に見初められた。安珍が座っていると清姫の髪が外から障子に当たるので安珍は怖くなり、日高川を船で渡って逃げた。清姫は追ってきて日高川を蛇になって渡った。安珍は道成寺に逃げ込んで釣鐘の下に隠してもらったが、草鞋の紐が出てしまった。紐を中に引き込もうとしたが、草鞋の先の結び目が邪魔になって隠し切れずに、見つかった。清姫は鐘を7巻半巻いて溶かしてしまった。溶け残った清姫の死骸は蛇だった。そのようないわれで、草鞋の紐の先は結ばないという。
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ウワバミノヒデン,(オンガエシ)
1956年 宮城県
天保乙巳正月21日,国分村の忠治に聞いた話。ある年,仙台藩支封留守家の家臣花渕善兵衛が海路江戸に行くことになった。藤塚浜の沖で異様な咆哮が聞こえたので,善兵衛は船を岸に着けさせ,単身葭原の谷地を押し分けて行った。湿地に蟒蛇が苦しみうめいており,咽喉の辺りをひどく腫らしていたので,豪胆な善兵衛が手当てをしてやると蟒蛇は嬉しそうに谷地の奥に這い込んで行った。その後,助けてやった蟒蛇が女の姿になって善兵衛の夢に現れ,毒蛇に咬まれない護符と,咬まれた時の治療の秘法を授けてくれた。但し一子相伝で他に漏らしてはいけないという。大変効き目があり,近郷近在の評判になった。咬みついた蝮を叱るとこそこそ逃げて死んだようになり,また花渕と書いた紙片をかぶせると動かなくなったという。子孫は代々善兵衛を称し,水沢に住んで留守家に仕えた。
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ダイジャ
1928年 兵庫県
多田池には池の主の大蛇がいたが、藤田三郎太夫という人が退治した。
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オニ
1973年 福井県
甲懸山の山腹に亀裂があり、ここに甲賀三郎が入っていったといわれる。またこの穴は丹波大江山に続いており、大江山の鬼が乱暴狼藉を働いたのでこの岩穴の前でドンチャン騒ぎをして鬼をおびき寄せ退治したという。また神谷山に鬼神がいて、大江山で活躍した源頼光が退治したという。
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タマモノマエ,キツネ
1978年
久寿元年春、仙洞に1人の美しい女が現われ、帝の寵愛を受けた。以来、帝の周囲で怪事が起こり、帝も病気になった。陰陽頭が占ったところ、下野国那須野に800才の狐がいることを突き止め、太山符君を修したところ、仙洞に現われた女は忽然と消えた。
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ダイジャ
1982年 宮城県
ある人が漁に出て時化に遭ったとき、田束山のお使いの大蛇が岸まで曳いて行ってくれた。
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ダイジャ
1984年 福島県
口太山の夏無し沼の主の大蛇が度々暴風雨や山崩れを起こして田畑を駄目にするので、恵知之丞という若者の指導で沼の堤土手を壊して、沼を干すことになった。大蛇は風雨を起こして抵抗したが、やがて土手は壊れ沼は狭くなった。その日の夕刻に、恵知之丞の家に蛇の目傘をさした美女が来て「長々お世話になりました」と挨拶をし、消え去った。その夜、大蛇は黒雲に乗って夏無し沼から吾妻山の女沼に移ったという。
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