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検索対象事例

ヒイミサマ,ボウレイ
1928年 東京都
昔々、大島の泉津村の代官は租税の取り立てなど、すべてにおいて暴虐だったため、正月24日の夜、村の若者25人に切り殺された。若者たちはその夜のうちに波治加麻明神の大木を切り倒して造った丸木舟で村を逃れたが、暴風で舟が転覆して、皆死んでしまった。その後、毎年正月24日の夜中には25人の霊が丸木舟に乗り、五色の機を立てて村を訪れるという。

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ヒイミサマ,ボウレイ
1928年 東京都
大島の泉津村で一揆が起こったとき、30人あまりが神津島に流されることになったが、1月24日に暴風雨のために全員が海に消えた。その亡霊が泉津村にくるので、24日の晩は海を見てはいけないといわれている。もし、船を見ると祟りがあるといい、この晩は真っ暗にして火をたかない。また、日が暮れると戸を閉じで外出しないのだという。
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タタリ,ヒイミサマ
1933年 東京都
伊豆大島では24日を日忌様と呼ぶ。火忌とも書く。波浮では24日に海を見てはいけない。船の崇りを見ると崇りがあると言われている。この夜は火を焚かない。また、牛馬は山野に帰して家には置かない。泉津村で悪代官を殺した35人が神津島に渡ろうとして海上で死んだという伝説も残されている。
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ニジュウゴニチサマ
1956年 東京都
二十五日様は死人の祟りともいう。水が呑みたいという人が来たが、正月25日だったので誰も水をやらなかった。その人は船で三宅島の方に行ったが、着く前に死んだ。その幽霊が五色の旗を立ててくるのだという。
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ユウレイセン,ボウコン
1929年 鹿児島県
大島では、毎年二百十日前後に、暴風がある。その時沖に出ていると漁夫は突然のストームに襲われ、毎年死ぬものが出てくる。夜の航海は幽霊船や亡魂がつきまとうので、たいていの島の人たちは之を怖れている。しかし中には幽霊船に慣れて、少しも驚かぬ者もいる。
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ヘビ
1929年 東京都
神津島の東側海中に祗苗島いう海草貝類の豊富な小島があり、村の女達はよく採りに出かけていた。ある日漁の最中、急に天候が悪くなり皆急いで帰村した。だがひとり残された女がおり助けを求めて叫び続け死んでしまった。暴風が去り若衆が助けに行ったが、既に死体となりその髪の毛一本一本が蛇と化して居た。
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タヌキ
1976年 新潟県
1925年ごろのこと。材木を筏に組んで津川まで運んでいき、酒を飲んで帰る途中、夜道を行くと今まで無人だったところに、急にかすりの着物の女が現れた。これは化かしに来たんだと思い、少し行ったところの坂を下るときに、4mくらいある筏竿を道路にぶつけて脅した。すると狸がおどろいて田んぼに逃げ込んだので、それを捕まえたという。
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シチニンミサキ
1985年 愛媛県
大正年間、七人が乗った舟が嵐にあった。七人は助けを求めたが、島の人は危険であるため助けに行かず、七人は遭難して死んだ。30年後、18歳の青年が海の中で死んだ。その後も同様のことが起こったので、七人ミサキの祟りだと言われるようになった。
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タタリ
1965年 岩手県
1885年のことと伝えられる。高田市矢の浦に嵐で舟が漂着した。そこに川から女が箪笥にすがって流れてきて、助けを求めた。しかし舟に乗っていた12人の男は箪笥だけを取り上げ、女を見殺しにした。そのタタリがあって、11人まで離村・放浪するはめになった。村に残った男も妻が不治の病にかかって神経衰弱になり、夫婦で海に身を投げた。親戚が葬式を出してイタコに聞くと、箪笥と女の件を語り、家にオカイドリ(うちかけ)があるはずだといった。はたしてオカイドリがあったので、親戚の者はそれを寺に納めた。12人の男の家はすべて絶えた。
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クビナシウマ,ヤギョウノカミ
1984年 愛媛県
上須戒村と高山村の境にある小笹ヶ城から多田村の小笹ヶ城までの道を、毎月27日の子の刻に烏帽子、狩衣を着した貴人が、頭のない白馬に乗り、舎人を一人連れて通る。これを人々は夜行の神と呼び、出会うと熱病を受け死ぬと伝えるため、27日の夜はその道を通る者はいなかった。しかし、ある時高山村の百姓がこれに出会い、道の下の岸陰に隠れていると、夜行の神が足を止めて「この道の下に人がいる」と言ったが、舎人が「この者は下人です」と告げたのでそのまま通り過ぎ、命拾いをした。
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アクダイカンノボウレイ
1956年 東京都
昔、悪代官を憎んで、新島の沖で船に残して殺した。これが1月24日で、この晩には代官の亡霊が出ると言う。
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ドクジャ
1976年 静岡県
桜村に池の社という方5町程の2つの池がある。毎年8月彼岸の中の午の刻に半切り桶に赤飯を盛って水泳が達者なものが池の半ばまで押し行き池の真中で手放す。池の水が渦巻いて桶は水中に沈む。伝えによると昔、国主が入国した頃、妾とこの池辺りに遊興した。すると俄かに池に波が立ち妾が池に引き込まれてしまった。国主は怒って池に焼いた石を投げ入れさせ続けた。7日7夜続けたところ毒蛇が死んで浮かんできた。頭は牛のようで、背に黒い鱗があり、白い角が生えていた。また肥後の阿闍梨皇円の霊魂がこの池に入ったとも言われる。
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シンバツ
1928年 鹿児島県
大島本島が大暴風雨に襲われ、農作物がすっかり吹き飛ばされたことがあった。北部にある笠利村にある部落の一つでは、暴風が農作物を荒らしたのは夏の踊りを怠ったことに対する神罰であるといい、神の怒りを静めるために村中のものが集まって幾日か踊り狂ったことがあるという。
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フナユウレイ
1958年 愛媛県
天保年間に神吉丸という帆船が不正を隠すために、自ら船を沈ませたが、その運命を共にした船乗り達の霊が夜中津島の浜に帰ってくるという。
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ニジュウゴニチノカミサマ,ヒイミサマ
1956年 東京都
1月13日に三味線や笛できれいな着物の者が来た。二十五日の神だった。「今こられたら島の者が餓死する。25日に来てくれ」と言ったら戻っていった。男は「お湯よこすなよ、わたしよこすなよ」と言って俵三表上げて寝てしまい、間もなく死んだ。
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ダイジャ
1959年 神奈川県
数百年前、生麦に住む男が亡妻との約束を破って再婚した。亡妻は大蛇となって池から現れ、男を襲った。男は亡妻の霊に謝罪し、供養した。何年か後、一帯に悪疫が流行し、稲荷神社へ走る狐の声を聞く者や、大蛇が魔疫病をくわえて稲荷の森から海上に立ち去る姿を夢で見る者が出た。村人は稲荷大神のお告げに従い、かやで大蛇を作って家々を回ったという。
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ミノガメ
1939年 岩手県
大正元年頃、若者3人が沼で漁をしていると頭に毛をかぶった大亀が現れ、口から毒気のある息を吐いた。3人は逃げ帰ったが、それが原因で皆死んだ。
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シチニンミサキ
1983年 愛媛県
大正年間、七人が乗った船が遭難したが、島の人は危険であるため助けなかった。その30年後、夜船の番をしていた青年が水死した。その後も同様のことが起ったので、それは七人ミサキの祟りであると言われるようになった。
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オニ
1933年 鹿児島県
加計呂麻島で正月の門松に竹を立てるが、それは昔天から鬼が降りてきたとき、ある家の門に立てかけてあった竹に腹部を突き刺し死んだ事からこの習慣が始ったという。
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(イセダイジングウノレイケン)
1977年 三重県
伊勢大神宮の霊験は著しい。この春に江戸の者30人ばかりが、大神宮にて神楽を行おうと松坂明野にやって来たところ、数人が病気もせずに死んでしまい、大雨が石を流して風が木を抜くほどだったが、それは松坂の南側だけだった。そして6月に杣入の行事がある時、大きな材木が必要な御戸木を、前回と同じく所々に探し尋ねたが、まったく見つけることができなかった。そこで神人が山に入ったところ、普段は見ることのできないほど大きな檜が立ち並んでおり、人々はこれを神異であると言った。
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シンボク
1928年 台湾
明治の末頃、内地から台湾に渡った樵夫たちがいた。この樵夫たちが大木を切る仕事を請け負ったが、源五郎という男がこの仕事はやめようと言った。不思議な夢を見て、その中で仙人姿の老人が神木を切ると血が流れ、山が鳴動して異変が起こるといったのだという。翌朝、作業にかかろうとすると、木の上から血が落ちてきた。結局、木を切り倒すのは中止になり、酒を供えて注連縄を張り、謝罪して樵夫小屋へ引き上げたという。
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