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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

モチ,チ
1931年 広島県
武家で岩国城主の臣下であった家に伝わる話である。家の主人が下郎に髪を結わせているとき、何度も結いなおさせたので下郎はペロリと舌を出した。このとき主人の前に鏡があって下郎の行動が見えたため、怒った主人は下郎が逃げた台所で切り殺してしまった。そのとき、餅をついていたところにその血しぶきがはいり、それ以来、餅をつくと赤く染まるようになり、この家では餅をつかなくなったという。

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モチ
1987年 長野県
与良のある家で暮に餅をついていたとき,合取りの人を誤って杵でつき殺してしまった。以来,暮に餅をつくと餅が血のように赤くなるというので,正月になってからつく事になっている。
類似事例

モチゴメ
1989年 長野県
昔、ある家で正月の餅米をふかしていたとき、召使いの女性が居眠りをしていた。怒った主人は彼女を火の中に投げ込んで死なせた。以来、餅米をふかすと真っ赤になるので、餅がつけなくなったという。
類似事例

コウシンサン
1960年 愛媛県
ある人々が海で遭難し、遠くに見える火の光を頼りに何とか助かり、島に辿り着いた。一軒の農家があり、つきたての餅が並べてあった。主人は実は庚申で、かつて餅を呼ばれた家の人間だけに餅を与えた。
類似事例

オコジョ,キツネ
1954年 山梨県
ある人が、持筋の家の前を通ると、たくさんの白犬が集って、その家の主人と酒盛りをしていた。覗いていると主人が呼ぶので、一緒に酒を飲んでいたが、主人と喧嘩をして殺してしまった。すると主人は狐に姿が変わり、小さい白犬は皆消えてしまったという。
類似事例

ゲドウ,イラズノマ
1957年 愛媛県
主人を殺した男が殺されて外道になった。28日と1日に音がして祟るので、主人の部屋を「入らず」にして男を祀った。主人の家の跡は娘が継いだが、弟妹に馬鹿が出て、主人が弟を殺した。
類似事例

(ゾクシン)
1963年 愛媛県
初誕生の日には紅白の餅をつき、部落中に配るという。紅の餅を大きく、白の餅を小さく作る。男児の場合は餅と金槌を背負わせて箕の中を歩かせると力がつくという。女児の場合は餅とお金を背負わせて箕の中を歩かせ、その時に泣くと声が良くなるという。泣かない場合はシャモジでつつくとよいといわれている。
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センニンネギ
1956年 宮城県
餅をつくときは、一人でつくよりも千本ギネといって、多くの杵と多くの人々の協力でついた餅のほうが目に見えぬ力が多いと信じられていた。
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キツネ
1976年 山口県
遠くの知り合いの家の祝いに、夜、餅を持っていった。ひどく眠くなったので一休みしてその家についたが、餅を出そうともせずその家を出て、帰り道でまた眠くなり、自宅に戻ると餅は全部なくなっていた。狐に化かされたらしい。
類似事例

モチ
1939年 愛媛県
泉村出目のある家では、師走の25日以降に餅をついてはいけないという。ある年にどうしても都合がつかずに25日以降に餅をついたが、餅が一緒においてあった練絹と共に知らない間になくなってしまったという。
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コウボウダイシ
2000年 香川県
昔、年の瀬に餅をついているところに修行僧が訪れ、餅を乞い願ったが、「これはもちではなくて団子だ」と断られた。修行僧は去ったが、ついていた餅は団子になってしまった。その後、暮れに餅をついても団子になってしまうようになった。修行僧は弘法大師に違いないと考えられた。
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カッパ
1971年 茨城県
1965年頃までは、12月1日には思案餅もしくはカピタリ餅、カワッペリ餅と呼ぶ餅をついていた。うるち米は丸餅に、餅米はのし餅にして切り分け、焼いて食べたり、屋敷を出て最初に渡る橋まで行って、河童にやるといって橋の下に投げたりした。
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チノツイタモチ
1949年 群馬県
旧白郷井村のある家の先祖は落武者で弓の名人だったが、ある時、畑仕事の人を射殺してしまった。するとその人の妻が家に乗り込んで、指を食いきって正月餅に血をたらし、イチコ池に飛び込んで死んだ。翌年、正月の餅つき時に家人が怪我し、餅が血に染まった。翌年もそうなり、それから餅をつかなくなった。
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コジキ
1984年 愛媛県
正月に餅を搗いていると、乞食がやってきて餅を所望したが、欲深の婆さんが「これは餅ではない白石だ」と言って断った。それ以来、餅を搗くとみな白石に化してしまうようになったので、土地の者は餅を搗かなくなった。
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ヤマウバ
1974年 高知県
山姥はおいておいた餅を持っていく。餅の代わりに石を置いておくと、餅は取られないが家は不幸になる。
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ヤマイヌ
1985年 愛媛県
隣村で死んだ主人の死骸をかついで帰るとき、山犬がついてきた。家までついてきたので、小豆御飯を食べさせた。
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モチ,タタリ
1993年 静岡県
裾野市の十里木の横山イットーはセッキ(正月)に餅つきをしてはいけない。ある年の暮れ、小田原の落武者が逃げ込んできて追っ手と斬り合いし、餅が血で染まった。以来暮れに餅を搗くと血で染まる、火事になる、という。
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ボッカーサン,タタリ
1993年 静岡県
静岡市松野では「セッキの餅はヒゴトに祟る」といい、セッキ(正月)に餅をつくと祟りで火が出る、といってつかない。ついて大火が出たことがある。昔、この地を支配していたボッカーさん(渤川氏)が桶狭間の戦いに出陣する際、万一帰らなかったら無念を晴らすために正月の餅はつかないように、と言い残した。ボッカーさんは桶狭間で戦死したため、その供養で餅はつかない。
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タノカミ,カエル
1961年 茨城県
餅をついて田の神様にあげると、その餅をもって蛙をお供にしてもとの社へ帰る。
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ロクブ
1984年 愛媛県
暮に餅を搗いていると六部が訪ねてきた。家の者はその六部が大金を所持していたので、殺して金を奪った。その祟りによるものか、翌年の正月は餅を作れなかった。以後、この家では正月に餅を搗くことをやめ、他家から貰って祝うようになった。他家に貰った餅は、一月十五日に餅つきをして返すことになっている。
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サカギバシラ
1969年
逆木柱の祟りで家の主人が死んだ。
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ヤマンバ
1983年 愛媛県
正月に餅をついていると、毎年必ず山から汚い老婆が来て餅を拾うので、村人は餅つきの日を変えた。するとそれから不幸が続いたので、村人はあれは山姥に違いないと話し合った。
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