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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ツル,ヨウガイサン
1932年 島根県
戦国時代に尼子と毛利が戦った。毛利が若侍を集めて狩を行った時、1人の侍が要害山で鶴を見つけて射た。鶴は足に傷を受けたが、石金山の南に飛んで、無妙異という赤土を傷に塗り再び空に舞い上がった。すると要害山は見る間に石金山と同じ高さになった。尼子はこの山に築城し、毛利を悩ませた。

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フシウシジョウ,ガギュウジョウ,カメ
1931年 栃木県
那須与一が那珂川の東にある平群の山に城を築こうとしたが、数万の烏、烏が恐ろしい叫び声をあげながら現れ、幣束を山の山頂に移した。夢に現れた白髪の老人の言に従い、与一は城山の上に築城をはじめた。その際、数10頭の牛を礎の下に埋めた。城に敵が近付くと、城は臥牛の形になり、唸り声を上げて大地を震わせたが。敵が城門に近付くと城内の大池に現れる亀から吐き出された水が濃霧になり、敵兵を惑わせたという。
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ダイジャ
1932年 島根県
昔、毛利氏が丸山にあった城を攻めた時、城には2匹の大蛇がいて、交替で濃霧を吐いて城を隠すので攻めあぐねていた。小春日和のある日のこと、長い籠城に飽いた若侍が小蛇を矢で射た所、屋根から落ちた小蛇は、地上に落ちた時には丈余の大蛇となった。その後霧を吐く蛇がいなくなり、城は落ちた。
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ウシオニ
1992年 山口県
天徳2年(958年)、新羅国の牛鬼が鬼ヶ城山に砦を築いて里人に危害を与えていた。その頃、大歳神社の宮司の娘を鬼ヶ城山の鬼が見初め、夜毎のぞき見するようになった。10月14日の夜、宮司は鬼の片目を弓で射た。鬼は山へ逃げ、頂上で死んだ。それ以来、鬼ヶ城山の頂上には片目の蝿が出るようになった。
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ヒヒ
1976年 新潟県
延宝か天和のはじめ、ある山家の老人が山から帰ってこなかったので、その妻がいぶかしがり、人に頼んで山を捜索してもらった。すると山奥に老人の笠とわらじが落ちていたので、それを怪しみ、村で山狩りをした。ところがなにもなかったので下山しようとすると、風が藪を吹くような音がしたので振り返ったところ、赤熊を被って目が星のように光る獣が襲ってきた。大力の若者が鎌で眉間に切りかかったが、若者を谷へ投げ落とした。残った者は逃げ帰り、越後公へ訴えた。そこで江戸より軍師を呼び、山狩りを行わせた。獣が現われたので、それを鉄砲で仕留めた。
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タムラマロショウグン
1960年 岩手県
昔、田村磨将軍が石を投げたところ、石から火が出て野を焼き、「ナツヤケ」という土地になった。また、将軍は懲らしめた女鬼を荷物運びに使っていた。鬼が「もう人を獲らない」という証文に、岩手山の岩に手で手判を押したので、今でも赤い岩がある。
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イシ
1967年 福島県
鶴石山では、昔、鶴子という女が山中で道に迷い倒れ、ついには石になったという。
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セリザワノサラヤシキ
1956年 宮城県
昔,芹沢という者が武芸の腕によって禄とこの土地を賜った。それから三代後の当主の時の話。ある正月,同家の女中が主人秘蔵の錦手の皿十枚を箱に納める際,一枚を落とし毀してしまった。しばらく隠していたが遂に露見し,一刀のもとに斬り殺された。その後毎夜のように同家の水屋に女中が現れ,「一枚,二枚,三枚・・・九枚・・・おお・・・」と恨めしげに訴える。主人は自らの仕打を悔い,女中の霊を慰めるために石地蔵を刻み,自分の山の頂に建てた。また不吉の刀を地中に埋め,小祠を建てて祀ってやった。以後女中の声も聞こえなくなったという。今でもこの山を地蔵山と呼ぶ。なお旧芹沢家には別人が住んでいるが,その後は何の変事も起こらないという。
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クビヅカ,ケンゲキノコエ,オンナノサケビゴエ
1932年 島根県
尼子と毛利が争った頃、松山城主は毛利に敗れて戦死した。落城の際、城主は姫に城の名宝を託して落ち延びさせた。土地の豪族がこれを知り、姫を殺し名宝を奪って死骸を川に投じた。村の首塚は落城の際の武士の死骸を祀ったものだが、今でもそこを通ると、剣戟の声と女の叫び声が聞こえるという。
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オテングサマ
1982年 群馬県
お天狗様が夜の間に赤城山を作り、榛名山を作った。次は富士山よりでかい山を作ろうと土を上げていたが、一番鶏が鳴いたのでおきっぱなしにした土が、ひともっこ山。お天狗様が残念がって地団駄したところが、ひともっこ山の麓の深く掘れた所。
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ホンジョウヤマノシロ
1931年 千葉県
本城山にはかつて、臆病な殿様が城を築いていた。酒井小太郎の大軍が攻めたとき、城は山の頂きと共に高くなり、一向に近づくことができず、引き返すとまた、元のように低くなった。しかし、臆病な城主が抜け穴のトンネルを掘ったことで城は奇跡を行う力を失い、城は落ちた。山の咽喉を切ったのが悪かったのだと言われた。
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アヤシイヒ,カミナリ
1921年 新潟県
越後の八石山城主毛利太萬之助と北條の城主北篠丹後守の間に争いが起こった。北條は毛利を自分の女の婿にし、毛利が湯に入っているところを蒸し殺した。それから八石山に怪しい火がでたり、雷が鳴ったりするという騒ぎになり、住職が雷休権現をたてて祀った。
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ウマ
1932年 島根県
毛利の大軍が攻めてきた時、城主は再挙をはかるべく単身城を脱した。その時駿馬に一鞭あてると、1里半の遠方である四日市阪に飛んだ。今でもその蹄の跡が残っている。
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オニ
1982年 群馬県
赤城山の鬼と榛名山の鬼が喧嘩して、赤城の鬼は小石を投げ、榛名の鬼はバラ(茨)を投げたので、今、赤城山にはバラがたくさんあり、榛名山には小石がたくさんある。
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ヨウキ,キジン,ウナギ
1929年 岐阜県
今から九百年程前、村上天皇の頃、瓢ヶ岳の岩窟に妖鬼が山砦を築いて土地の民を悩ませた。鬼人の退治を命じられた九条関白藤原氏の八男右少将正三位藤原高光請卿は多くの部下を連れてこの地に来られた。鬼人は妖術に長じ変幻出没自在で手強く大牛、雉、十二ヶの瓢の化身となって現れ、矢に打たれて消えた。高光は神に祈ってようやく鬼人を仕留め、神の使いの鰻を川に放った。以来、粥川の鰻を食べると神罰を受けるという。
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アンドン
1956年 宮城県
太郎山の麓にいた二人の兄弟が山に行くと、白髪の老婆が行燈のそばで麻績みをしていた。この老婆を化け物だと思い、何度も鉄砲を撃ったが死なず、弟が家に玉を取りに行って戻ると、兄はすでに食われていた。弟が老婆ではなく行燈を撃つと化け物はいなくなった。狸が化けていたのだという。
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ヒカクノシロ
1931年 宮城県
館山という山にはかつて城があり、渋谷某という小大名が篭っていた。伊達正宗がここを攻めようとしたが、攻めるはずの城の影も形もなくなっていた。城を厳重に取り囲んだところ、真夜中に鳥の羽ばたきの音と共にまた城が消えてしまった。しかし、ある武者が裏切って、山が鶴の形をしているから城が飛ぶのだと教え、山の形を変えてしまったので、城は動くことが出来なくなり、落城したという。
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キツネ
1931年 群馬県
秋元但馬守が館林に城を築こうとした際、金山に住む狐を自称する白髪の老人が夢枕に立ち、自分がつける縄張りのしるしのとおりに城を築けば難攻不落の城ができるといった。但馬守が調べさせると、狐が尾を曳いた跡があった。その通りに城を作ったのでここは尾曳の城と呼ばれるようになった。但馬守は狐に謝意を表すため夜明稲荷を建て、狐霊を長く祀ったという。
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ヤマウバ,オオイケノヌシ
1984年 愛知県
福富新蔵という郷士が、岩の上で異形の大女が髪を振り乱し、月の光で鉄漿をつけているのを見た。矢を射掛けると手ごたえがあり、血をたどっていくと与八郎の家に着いてその妻が臥せっていた。しかし寝所にその姿はなく、血痕がありそれをたどって行くと美濃各務の広池の岸まで続いていた。ここで名を呼ぶと白い苧綛が流れ寄り、拾い上げてみると血に染まったそれは先に見た山姥の髪ほどの長さの白髪の束であった。このことから与八郎の妻は山姥でありこの大池の主であったと解釈され、白髪は持ち帰られて供養された。このことからこの池を苧がせ池と呼ぶようになった。与八郎と山姥の子である京丸は長じて母の正体を知り、山姥の化身であった母の供養の為に寺を建てて弔った。
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テング
1988年 奈良県
神野山の天狗と伊賀の青葉山の天狗が喧嘩になった。青葉山の天狗は石や芝を投げてきたが、神野山の天狗は放っておいた。そのため伊賀の青葉山は岩も芝もない禿山になり、大和の神野山は山あり谷あり芝生ありのきれいなよい山になった。
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フルダヌキ,キレイノムスメ
1964年 山梨県
狩人が魔の山というはじめての山へ狩に行った。見たことのない足跡を追っているうちに日が暮れ困っていると、「ほーい」という人の声がするので行ってみれば、頭にローソクを立ててタホを織っている娘がいた。気味が悪くなって鉄砲で撃つが、娘は弾丸を手でつかんで捨てる。最後に一発残しておいた玉で頭のローソクを狙い撃つと、急に夜が明けて、岩の上を見ると十貫目はある古狸が死んでいた。
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