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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

タタリ
1979年 岐阜県
武田と織田の戦いで多くの人が死んだ。そこで死んだ者を弔うために五輪の塔を建てた。その後、五輪の塔を一箇所に集めてしまったので、祟りがあるという。

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ヨロイタ
1975年 秋田県
鎧田の説明。武士が戦いに負け、鎧のままで倒れていた。その鎧を盗んで死体だけ埋めた。その霊を丁重に弔うことがなかったため祟るといわれる。
類似事例

チマミレイシ
1989年 三重県
織田信長と北畠氏が激しい戦いをしたときに、血まみれの落武者がそこで死んでいた。雨が降ると表面に仏教でいう一円相の文字跡が浮かび、下方の信士の文字だけが判読できる。祟りを恐れられ今も動かされていない。
類似事例

キョウヅカ,ゴリントウ,タタリ
1983年 長野県
経塚の五輪塔を移したところ、寺では次々に災難が起きた。行者に見てもらうと五輪等の祟りだという。五輪塔を供養して祈祷したら、全てが治癒した。今でも住職は経塚の中を開けるのが怖いという。
類似事例

ネコノオドリバ
2000年 神奈川県
追剥ぎや辻斬りに殺された人の霊を慰めるために供養塔を建てた。そのあたりは、猫の踊り場という話が出るような寂しい場所。
類似事例

ジノーサン
1973年 香川県
田畑の端に石が置いてあり、これを五輪塔あるいは地主(ジノー)さんという。祟り神である。平家の落ち武者が逃れてきて果てたものを祀ったといわれている。
類似事例

トミヅカ,ヒノタマ
1990年 岐阜県
織田信長と斎藤道三の戦士が十三塚のあたりで戦って、そのときに亡くなった戦士の墓で、雨がしとしと降る日には火の玉が見えるという。あるおばあさんはこのあたりで記憶がなくなってしまった。戦士の霊によるものらしい。
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シチニンミサキ
1983年 岡山県
阿弥陀堂の境内にある7基の五輪塔は七人御崎を祀っている。これは昔、この村の長者が財宝の発覚を恐れて、それを7つの瓶に入れて7人の下男に背負わせ、彼らを阿弥陀堂の裏に埋めて皆殺しにしてしまった場所なのだという。
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ゴリンサン
1970年 鳥取県
二上城を山名時氏が治めていたが、豊臣秀吉に攻められてあたり一帯が焼き払われた。そのときの無縁仏を城落ちの五輪さんといい、いたるところにある。個人で祀る。屋敷を開いた人や士族の墓も五輪さんといい、古い屋敷にはたいていある。病気になって法華さんに相談すると、どこどこを掘ってみろといわれ、その通りにすると五輪さんが出る。祀ってもらいたいために祟るという。
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シニン,タタリ,サクラ
1989年 長野県
昔、城があった場所には何人かの武士が生き埋めにされたので、供養のために塚を作り桜を植えていた。その後、その木に傷が付くと血が流れ出たという。塚が崩され田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。その土地を買った家でも不幸が続いたが、社を造って近親者で祭を行うと、商売が繁盛するようになったという。
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グリンダマ
1973年 三重県
古い五輪が方々に転がっていて、これをグリン玉と呼ぶ。信長が天台宗の寺を焼いたときに残ったものとか、宮を焼いて宮守などの首をはねたときの供養塔だとかいう。よく祟る。倒れているのを直したところ、腕が痛くなった。塩で清めて念仏を唱えると治ったという。また、グリン玉が埋まっている上に棒を立てたらその日から転ぶようになったので棒をとるとそんなことはなくなったという。
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センニンヅカ
1955年 山形県
千人塚は天保年間の9年続いた戦の戦死者を供養したものという。そこを掘ったらそのうちの一人が睾丸炎になった。睾丸一つとった祟りだという。
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ヘビ,タタリ
1996年 神奈川県
大きな蛇を殺したら、その地方の人が全部具合が悪くなった。先達に聞くと蛇の祟りだという。
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(ゴダイゴテンノウ)
2002年 京都府
『太平記』巻25「天龍寺事」によれば、後醍醐天皇率いる南朝勢力との戦いに勝利し、足利幕府を開いた足利尊氏・直義に対して、ある人物が言うには、近年天災が頻発し、これは後醍醐天皇の御神霊が激しく憤っているからである、と。そしてこれを人力によって収めることはできないので、天竜寺を造営しその菩提を弔うと天下は静かになると言う。
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シシノドン
1966年 鹿児島県
宍野部落を統治していたが負けて滅びた城主を祀る五輪石塔があり、シシノドン(宍野殿)と呼んでいる。祟る性質があるという。
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ユミヤノウナリ,オト
1952年 岡山県
山裾に古い数基の五輪塔があり、部落を隔てた反対の山裾に「谷の五輪塔」がある。二ヶ所の五輪は昔仇同士で、双方討ち死にした人の墓で、弓矢の唸りや刀の打ちあう音が、近くに来ると聞こえるという。
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(センシシャノタタリ)
1989年 長野県
村一帯に悪病が流行ったときに巫女に拝んでもらうと、戦死者の霊が祟ると言われた。千九人童子の墓という碑を建てると治ったという。
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キツネ
1991年 奈良県
狐や狸が棲んでいた山を崩した。そうしたら運動会の時、祟りがあった。学校へ来た時は日が照っていたのだが、にわかに曇り、ものすごい雨風になった。怪我をする人も出て、稲荷さんの祟りだと言っていた。
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シニン,タタリ,サクラ
1989年 長野県
昔城があった場所には生き埋めにされた武士を供養するための塚があった。その塚が崩されて田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。
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ゴリントウ
1995年 愛知県
観音堂にあった崩れた五輪塔を持ち帰って、漬物石などにした人たちにたたりがあり、また持ち寄ったという。
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イザクダドン,ヒノタマ,ハクバ
1966年 鹿児島県
イザクダドン(伊作田殿)という6基の大五輪塔があり、伊作田城主らの墓と伝えられる。伊作田殿が討ち死にした水田から火の玉が飛んだり害虫が大発生したため、霊を慰めるため太鼓踊りを行う。ある年踊りを行わなかった所、白馬が水田を走り回り、また虫害を受けた。
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