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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オロクジゾウ
1922年 新潟県
ある村で毎年盂蘭盆の夜に盆踊りが始まると決まって見知らぬ若い女が現れ、美しい声で音頭を取った。誰だかわからなかったが、いつしか「お六」と呼ばれるようになった。ある夜よくない男達がお六をとらえようとしたが、村端の石地蔵の辺りで姿を消した。その後、娘が来ることはなくなり、村はさびれた。娘の正体は石地蔵とされ「お六地蔵」としてあがめられた。

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ヤシャゴ,オニコ
1941年 大阪府
不義の末に生まれた子供が鬼子であった。悩んだ母親は自殺をしたが、その子供も夭折した。哀れに思った村人は、生前子供が好んで踊っていた盆踊りを行う事に決めた。すると、毎年、鬼子が現れ、一緒に踊ってはいつの間にか消えるという事があった。
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ムスメジゾウ
1956年 宮城県
ある所に三里四方の沼があり、盆になると蓮華の花がいっぱい美しく咲き、近郷近在の人々でたいへん賑わった。しかし取ると罰があたるので、蓮華は取るなとかたく言われていた。あるとき隣村の長者の娘が下女を連れて蓮華を見にきて、美しさのあまり、下女がとめるのも聞かず1本取ってきてしまった。皆には隠して自分の部屋に飾って喜んでいたが、7日ほどたつと、「花からお姫様出る」「お姫様と沼に遊びに行く」と騒いだり、1人で家を出たりしはじめ、とうとう夜中にどこかに行ってしまった。どこにも見つからず、下女は怒られるのが怖くて蓮華のことを黙っていたが、門の外から沼の方へズーッと蓮華の花びらが続いているのが見つかり、沼で娘のシカバネがあがった。泣く泣く野辺の送りをすませた後、夜にまっかな火玉があがる、娘の幽霊が出る、などの評判が立って、沼には誰も行かなくなった。長者の家でも娘がどこにも行きかねて迷っているのだと哀れみ、沼のほとりに地蔵を建てて長く祀った。そのうち、可愛い娘が生まれると、地蔵に願をかけに遠くから参詣に来るようになり、今も続いているという。
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ヒヒ,シラハノヤ
1989年 長野県
遠州の府中という村では、秋の祭には氏神様に人身御供として娘を差し出さねばならず、それは白羽の矢で決定されていた。あるとき、村にやってきた六部が氏神に泊まったところ、何者かが「信州信濃の光前寺、へえぼう太郎に知らせるな」と踊っているのに気づいた。翌朝村に立ち寄った六部は、村人から人身御供の話を聞き、化け物を退治するためにへえぼう太郎を探して信州へ向かった。
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オンナジュンレイ,コモリオンナ
1933年 大阪府
ある夜、女の順礼者が男に辱められた。以来、子守女が子守唄を歌いながらそこを通るようになった。しかし、姿を見た者はおらず、きっと近くのお地蔵さんが子守りをしているのだということになり、お地蔵さんを縛ったところ子守唄も聞こえなくなった。
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アモコ
1963年 青森県
盆の晩、ある若者が人々を驚かそうと、化け物の格好をして踊りから帰ってくる村人たちを待っていた。ところが村人たちに本物の化け物と思われ「そら化け物がいる。アモコだ」と追いまわされ、散々な目にあったという。
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ヒガシネノナナフシギ,〔イチワワラジゾウ,ヒトツカミワラジゾウ〕
1956年 宮城県
村はずれの石地蔵さまの近くで夜遅くに藁を打つ音がきこえ、「一把藁地蔵」とよばれた。
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ムヂナ,ノッペラボー
1938年 岐阜県
旧家の裏庭で大工が仕事をしていると土蔵の間の道で長い袖の着物を来た7歳くらいの女の子が踊っていた。声を掛けると振り向いたが顔がなかった。そして急に姿を消しあとにははき古した下駄が残っていた。
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オコウジゾウ
1993年 高知県
堰がたびたび切れるので、人柱を入れることになった。人柱は横継ぎをした着物を着た者にすることに庄屋が決めた。ところが、庄屋の娘のおこうが横継ぎの着物を着ていた。それで約束通りおこうは人柱になった。その後、おこう地蔵を作り、今も旧暦の七夕に祭っている。
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アズキトギ
1987年 長野県
昔,部落の真中を流れる川に「すくじの橋」という木の橋がかかっていた。秋の夕暮れの頃,ある村人が橋を渡ろうとすると橋の下から女のすすり泣くような声と,ショキショキと小豆をとぐような音が聞こえてくる。他にも聞いたという者があり,2,3人の若者が正体を見届けるため橋の傍の物陰に隠れることになった。夕暮れ時になると音がするので橋の下を捜したが何もいない。その後しばらく音はしなかったが,また耳にする者が増えだした。不思議なことに橋を渡ろうとすると泣声や音はやむのだが,通り抜けてしまうとまた始まる。振り返るとまた物音がやむ。いつの間にか「あずきとぎの女」と呼ぶようになった。
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キツネ,オナバケハラ
1913年 茨城県
昔、老狐が猟夫に狙われて逃げ、百姓の家に入って助けられた。老狐は、その恩に報いようと、美人に化けて百姓と夫婦になり、二男一女ができて睦まじく暮らした。ある冬の夕、爐を囲んで話をしていると、ふと末の女の子が1首の歌を遺して姿をかくしてしまった。それからこの辺りを女化原と呼ぶようになった。女化稲荷は老狐を祀ったものだといわれている。
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ワライオンナ
1943年 高知県
安芸郡和食村で、深山に入った山師が夕方、小屋で尺八を吹いていると、綺麗な女の人が尺八を聞かせてほしいと小屋にきた。女は笑い女と名乗ったので、山師がそれなら笑いを聞かせてくれと頼むと、笑い声は次第に大きくなり、山から谷に響いた。山師が怒って大鋸や手斧を投げたが、女はそれをバリバリと食べた。どうすることもできないと思ったら、鶏の時の声が響き、笑い女は消えた。鶏の声は山師の持っていたお守りが出したものだった。吾川郡にも同様なものがある。
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セリザワノサラヤシキ
1956年 宮城県
昔,芹沢という者が武芸の腕によって禄とこの土地を賜った。それから三代後の当主の時の話。ある正月,同家の女中が主人秘蔵の錦手の皿十枚を箱に納める際,一枚を落とし毀してしまった。しばらく隠していたが遂に露見し,一刀のもとに斬り殺された。その後毎夜のように同家の水屋に女中が現れ,「一枚,二枚,三枚・・・九枚・・・おお・・・」と恨めしげに訴える。主人は自らの仕打を悔い,女中の霊を慰めるために石地蔵を刻み,自分の山の頂に建てた。また不吉の刀を地中に埋め,小祠を建てて祀ってやった。以後女中の声も聞こえなくなったという。今でもこの山を地蔵山と呼ぶ。なお旧芹沢家には別人が住んでいるが,その後は何の変事も起こらないという。
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キツネ
1989年 愛知県
原田北部の小松谷は、南側のため池近くにキツネ穴があくさんあったので、狐谷と言われていた。ある人が夜中の一時頃に、長坂という峠を越え、原田目指して歩いていたところ、ぞくぞくっと寒くなった。やがて浮御堂のある池に出たところ、松の根本に美しい娘がいた。「こんばんは」と声を掛けても無言で、一町ほど行って振り返ると姿はなかった。家に帰って父親に言うと、寒気はしなかったかと問われた。したと答えると、その時にキツネにつかれたんだと言った。
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キツネ
1990年 長野県
桜小路のお六という女狐がいた。祝沢から上町へ向かう桜小路にいて人々を化かした。祝沢を渡って買い物に行こうとした人が、急に水が流れてくる音を聞いた。このあたりに川はないのにと思いながら、着物を端折って「深い深い」と言いながら歩いていたところ、向こうから来た人に「何をやっているんだ」と言われた。それでも気づかなかったが、背中を叩かれて正気に返ると、ただの道を歩いていた。
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ワカモノ,エノキ
1967年 福島県
蔵持に里という美しい少女(未亡人という説もあり)がいて、たそがれに軒端で歌っていた。その声に寄せられて毎夜同じ時刻に若者がたずねてきた。そのころ、村人が蔵持三島八幡境内にあるえのき(神白村ぼんてん山の大けやきという説も)を切り倒してお里の家の近くに橋をかける話をまとめた。毎夜お里を訪ねてきた若者は、悲しそうに今夜限りで会えないといって帰った。村人たちがその木を切ると、血が流れ出た。ようやく切り倒して運ぼうとしても動かない。お里を呼んで歌を歌わせ、音頭をとらせたら、木は自分から動き出した。その夜から若者の姿はみられなくなった。この橋を里也橋という。
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ユウレイ,オンナ
1982年 新潟県
夜ふけの渡し場で、川向うから女の声で、オウイ、オウイと呼ぶ声がした。船頭がいってみると、人影は見えない。乗るように促すと舟が重くなり、誰かが乗ったようだった。川を渡ってから降りるようにいうと、舟が軽くなったような気がした。船頭が、こんな夜ふけに舟を出させておいて、あいさつもなくというと、首に縄をぶら下げ、目の玉のとび出た、まっさおな顔した女が長い髪を前にたらした姿で現れ、菩提寺へ行くといって草むらへ消えた。
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オニ,ユウレイ
1979年 岐阜県
昔一人の僧が美濃の国、今須の村にさしかかり、一夜の宿を乞うたが、どこの家でも断られた。仕方なく村のはずれの、墓場の六体地蔵の影で一夜を過ごすことにした。夜になると鬼が5、6匹出てきて、妙という老婆の幽霊をいじめるのを目撃した。僧はどこかの家で成仏できない人がいるのではと考え、一軒一軒尋ねると庄屋の母親であることが分かった。その老婆は生前欲深く村人に恨まれていたため、成仏できないのだろうということになり、僧は供養の為にお寺を建てさせた。その後鬼や老婆の幽霊は出なくなったという。
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ツツジノムスメ,マショウノケシン,アタタカイモチ
1987年 長野県
若者は,毎晩毎晩細い身で険しい山を越えてくる娘に疑いを抱き,魔性の化身に違いないと思うようになった。娘と関係を続けると,いずれ食い殺されてしまうのではないかと考えた若者は,娘の殺害を決意する。山中の断崖で待ち伏せしていると,娘が疾風のような速さで通り過ぎようとした。若者が踊り出て娘の体をつくと,娘は叫び声を上げながら谷底に落ちていった。その後,娘の落ちた辺り一面に真っ赤なつつじの花が咲き乱れるようになった。娘の血が花と化したものだという。
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オニ
1985年 新潟県
池尻集落のある家の、オオモという嫁が、夜中便所に行って行方不明になった。家の前のスに髪の毛がいっぱいについていたので、鬼にさらわれたとわかった。千年のアンジュ様のお堂にオオモが「アンジュ様、アンジュ様」と声をかけたが、アンジュ様が3声目で行こうと思っているうちにいなくなってしまった。何十年かして、狩人が山奥でオオモに会ったが、オオモは鬼の嫁になっていた。それからオオモを見かけた者はないという。
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ネコタノコウシンヅカ
1956年 宮城県
郷士阿部某の娘が夕方向山の北裾の山路を通ると,突然身の丈6尺程の大猿が現れ,娘は失神してしまった。翌朝家人が失神している娘を見つけ,家に担ぎ込んだが,娘は日増しに痩せ衰えていく。ある日村の若い衆が見舞いにきて娘の額に手を当てようとしたところ,突然男の頭に柿の実が飛んできてぶつかった。見廻しても仲間しかおらず,翌日も同じ事が続いたので三日目には見張りをつけた。一人が娘の額に手を触れると,突然屋根裏から南瓜が投げ落とされる。上を見ると天窓から大猿が歯をむき出していたので,大勢で追いかけたところ向山のほうに逃げてしまった。その後も,見張っていないと大猿がやってくるので,刈田岳のマタギに頼んで大猿を撃ち殺してもらったが,同じ時刻に娘もあっとうめいて息を引き取ってしまった。その後村人は娘と猿の供養のために山の北麓に庚申塔を建ててやった。初め猿田の庚申塔といっていたが,現在では猫田の庚申塔といわれている。
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