(ジンジャノキノタタリ) 1986年 石川県 上野屋又兵衛と言う人が神社の木を切って売った。その晩、又兵衛の家から出火し、おがくずを焚付にした家も燃えた。切った木は川に流して金沢まで運ぶつもりであったが沈んで行方不明となり、又兵衛の家が燃えた後、浮かび上がってきたという。
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ジンジャノキ 1960年 三重県 神社の木を切って売ろうとした者は体がしびれてしまい、その木を積んだ船は行方不明になった。
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キ 1941年 愛媛県 昔、庄屋の家を建てるために、村人が山の大木を切ろうとしたが、一日で切りきれなかった。そして、翌日、その木は無傷だった。かろうじて切り終わったら、今度は重くて動かせなかったが、ヒマヒヲンナが来てくれて簡単に引けた。しかし、この木で建たれた家は直ぐ燃えてしまい焼けた。この木は北向きの神山のものだったという。
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ヒジャマ 1977年 鹿児島県 日柄の悪い日に家普請をしていたら、神様が怒って、ヒジャマにその家を焼いてくるように言った。ヒジャマは火事を起こそうとしたが、水甕に水が張ってあり、焼くことができなかった。そこでヒジャマは家の主人に理由を話し、浜に草や柴で作った仮の小屋であるオーヤドリッグヮを作って焼いてもらい、その煙を伝って天に帰った。
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スギノセイレイ 1967年 福島県 西光寺に大きな牛をも隠すほどの3本の大杉があった。文化2年頃、この寺の坊さんがこの木を切らせることにした。その前日の暮れ方に見たこともない怪しげな童が3人、手を取り合って泣きながら走り去ったのを見たという人がいた。また、乞食夫婦がこの木の下に宿を取ったところ、夜中に冷たい風で目が覚めた。すると裃を着けた立派な若者が左右に美しい女の人を連れて寂しそうに立っていた。何を聞いても答えないので恐ろしくなり、着物を被って突っ伏して、暫くして顔を上げたら消えていた。夜が明け、村一番の早起きにこの話をすると、千年以上の古木を切ろうとしているから杉の精霊が悲しんでいるのだろうと、他の村人たちと金を集めて木を買い取り、切るのを中止させた。木に斧を入れ始めていた樵が言うには、老木は切ると必ず水を発するものだが、この木は一度斧をあてると水が2メートルも噴出したといって気を失った。そしてこの木を切ることに賛同した6人も次々に死んだ。切られた日が4月4日だったので、この後4月4日にお祭りをしている。
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ジャタイノマツ 1967年 福島県 海岸に蛇体の松と呼ばれる二股の老木がある。昔、慶長の頃、与吉という百姓がおり、お松という娘があった。ある時、殿様が与吉の家で休んだ際に、お松を侍女にすると城へ連れ帰った。ところがお松は家に帰りたがって言うことを聞かないので、小船に乗せて竜神の淵に捨ててしまった。お松は海岸に泳ぎ着いたが、力尽きて女面蛇体の死体となって海岸に打ち上げられた。親たちはこれを見て悲しみ、娘の名にちなんで松を植えた。この松が大きくなったものが蛇体の松である。この松は霊験があるという。
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リョソウ,クラ 1934年 奈良県 ある人が大金持ちになり、7つ倉を建てた。ある日旅僧が来て、哀れを乞うたが拒まれた。翌日その倉は飛んでいってしまった。そこを七倉という。ある日その七倉が焼けて、そこからは今でも米が出るという。
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タタリ 1965年 岩手県 1885年のことと伝えられる。高田市矢の浦に嵐で舟が漂着した。そこに川から女が箪笥にすがって流れてきて、助けを求めた。しかし舟に乗っていた12人の男は箪笥だけを取り上げ、女を見殺しにした。そのタタリがあって、11人まで離村・放浪するはめになった。村に残った男も妻が不治の病にかかって神経衰弱になり、夫婦で海に身を投げた。親戚が葬式を出してイタコに聞くと、箪笥と女の件を語り、家にオカイドリ(うちかけ)があるはずだといった。はたしてオカイドリがあったので、親戚の者はそれを寺に納めた。12人の男の家はすべて絶えた。
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(オキクノタタリ) 1982年 群馬県 小幡の殿様が妙義で見初めた菊という女を侍女にし、寵愛したので他の侍女や奥方から恨みを買い、お菊が殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒ってお菊を責め、お菊は宝積寺の山門まで逃げてかくまってくれと言ったが、寺は門を開けなかった。お菊は追手につかまり、蛇とムカデの入った樽に入れられ、宝積寺の池に投げ込まれて死んだ。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池のほとりに炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで宝積寺の山門は何度建てても焼けてしまう。
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タタリ 1976年 奈良県 俗称いもせ山というところの社の神木を切って売ったところ、切った人をはじめ、その材木を買った人まで祟りを受け、狂乱、病悩して数家が皆死滅した。
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(オキクノタタリ) 1982年 群馬県 小幡の殿様が侍女の菊を寵愛したので奥方や侍女の恨みを買い、殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒って菊を責め、蛇の入った樽に入れ、宝積寺の池に投げ込んだ。小柏源介という侍が悲鳴を聞いて樽を開けると、瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って事切れた。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に怪異があったので、宝積寺に碑を建てて供養した。小幡家では菊は植えない。
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(チャボウズトイヌノイシ) 1984年 新潟県 長者ケ原に住む犬神長者は佐渡島のできはじめたころ、真野湾一帯に多くの田んぼを持ち、小木湾をその苗代にしていた。ある大田植えの日、その日じゅうに植え終えようとしていたのに、日が傾いた。長者は、鉄の扇で太陽はその場に止まらせ田植えを終わらせたが、それ以降不吉なことが続き、佐渡を去らねばならなくなった。長者を慕う茶坊主と犬が後を追いかけたが、間に合わず、悲しみのあまりそのまま石になった。今でもその石が沖のほうを向いてたっている。
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マツノキ,チチ 1989年 長野県 昔、松の木があまり大きくなかったころ、その松の幹にはこぶが2つあった。そのうちの1つを切ったところ、切り口から乳が出てきたので、それ以後はご神木として大切にした。昭和9年の台風で倒れたという。
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ウジガミサン 1965年 高知県 氏神さまを信仰したおかげで助かった人がいる。室戸から大きな漁船に乗ることになり、出立の朝にヤナギカケを作った。しかしその皿が引っくり返り、気持ちが悪いのでやめにした。次の日には、お宮の前で扇子を忘れたのを思い出して取りに帰った。出直して、またお宮の前でハンカチを忘れたのに気づいたが、そのまま出航した。しかしどうにも気持ちが悪いので、女房が引返すように電報を打ち、須崎から帰って来た。その船はそのまま行方不明になってしまった。
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カボソ 1993年 香川県 昔、ナコチという屋号の家があり、お婆さんがいた。ある時、カボソが魚をとって来てくれたので誉めると、その後何度も魚をとって来てくれたという。
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ヤマノカミ 1979年 福井県 昔、中西佐平の家の主が漁に出ると、度々石が網にかかった。その度に捨てていたが、ある夜、夢のお告げで「私は石は石でもただの石ではなく、山の神である。大水が出たときに流されてしまった。陸へ上がりたいので次にかかったら上げて山に祀ってくれ」と頼まれた。次に海に出ると案の定石がかかったので、山に祀った。
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イヌガミチョウジャ 1984年 新潟県 長者ケ原に住む犬神長者は佐渡島のできはじめたころ、真野湾一帯に多くの田んぼを持ち、小木湾をその苗代にしていた。ある大田植えの日、その日じゅうに植え終えようとしていたのに、日が傾いた。欲張りでわがままな長者は、鉄の扇を広げて「日の神よしばしとまれ」とあおぐと、太陽はその場に止まり、田植えを無事に終わらせたが、それ以降不吉なことが続き、長者は佐渡を去らねばならなくなった。
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オツキトオホシ 1956年 宮城県 お月は先妻の子、お星は後家の子で、どちらもかわいく本当の姉妹より仲が良かった。しかし後家の母は実の子のお星ばかりかわいがり、お月をいじめる。あるとき後家がお月を殺そうと朝から包丁を磨いでいるのをお星が見つけて尋ねると、後家は「南瓜をたく」と言い訳をする。利口なお星は真相に気づき、自分の布団にお月を隠し難を逃れる。次の朝殺したと思ったお月が起きてきたのを今度は石のカラヒツに入れる。お星はカラヒツの下の穴からこぼすようにとお月に芥子の実を渡し、泣きながら「春になったら迎えに行くから」と言う。お月は山奥の土中に埋められるが、春になって咲いた芥子の花をたどっていったお星が山奥でお月と出会う。お星が持ってきたお粥を食べて元気がつくと2人でどこかへ消える。後家は年をとってざとうになり「お月とお星がいるならば、なあしてこの鉦叩くべや」と言いながらほいとう(乞食)して歩いたという。
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オオトシノヒ,ナガモチ 1972年 岐阜県 昔、金持ちの家で下女をしていたお夏という女性が、大晦日の晩に元日まで絶やすなと言われていた火を不注意で消してしまった。困ったお夏が外に出ると、白木の長持ちを持った2人の男性にあった。男達は火を貸すかわりに長持ちを預かってくれと言い、お夏は承知した。ところがいつになっても男は長持ちを引き取りに来ない。事情を主人に説明したお夏が長持ちを開けてみると、小判がつまっていた。お夏はそれを使って寺を建て、ナツヘイ寺と名付けた。
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ホトトギス 1973年 新潟県 承久の乱によって佐渡国に配流された順徳天皇が、ある時ホトトギスが鳴いているのを聞いて、遠い都に帰りたいとの思いを強くし和歌を詠んだ。その悲しみを知ったのか、それ以来順徳天皇の邸宅にはホトトギスが寄りつかなくなり、またその山陵にも近づく事がなかったという。
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