サンキチサン 1980年 秋田県 三吉神社は戦の神様。日清戦争で日本軍が苦戦していたとき、三吉さんが両脇に大砲を抱えて敵に突進した。その勇姿を見た日本軍は奮起して、勝利できたのだと言う。
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ウバガフトコロ 1984年 長野県 遠山土佐守の一族が、領民に襲われて落ちのびた。乳母の懐にいた幼児だけが難を逃れたといわれる伝説があり、今では小さな墓石が建っている。
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タカミチノヒ 1956年 宮城県 寺崎部落附近に坂上大宿禰高道の墳がある。高道は陸奥守として下ってきて天安2(858)年正月に戦死した人物。村人は「山田の碑」「貞観石」と呼んでおり,この塚を涜すと禍を受けると言い伝えられてきた。寛政2(1790)年4月,庄兵衛という農夫が鋤で塚の上の土を掘ったところ,帰宅後に発熱悪寒をおぼえて人事不省におちいり,「汝百姓の身を以って蓑笠を着け土足のまま我が塚の上を削る。非礼も甚だしい」とうわ言を言うようになった。家族が驚いて墓に行き,香華を供えてその罪を詫びると主人の病は忽ち癒えたという。土地の人々が碑を荒廃に任せていたので祟りを受けたのだろうということである。寺崎部落の高橋屋六蔵の談話。
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カッパ 1974年 天明元年頃の八月、仙蔵河岸の屋敷で河童を殺し塩漬けにしたものを見た人の話。子供が掘りに落ちたのを怪しんで堀の水を抜くと泥を潜るものがいたので鉄砲で撃ち止めたという。
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ダイロクテンダイマワウ,アクロワウ 1949年 福島県 昔、この地に大六天大魔王(悪路王)と呼ばれる東夷の巨魁がいた。天足別命が東下したとき、その勢力に押され、降伏と見せかけ大川(真野川)の中州にある稚児沼に天足別命をおびきだし、四方から火をかけて殺そうとした。このとき、どこからともなく多くの鹿が現れ、口にくわえた笹の葉を大川の水に浸してきてはその火を消し、天足別命を助けた。大同2年に天足別命を祀る鹿島御子神社が建った。
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ヤマンバ 1975年 高知県 山姥が大根畑で大根を引き抜いていた。百姓の平八はこれを見つけ、家の中から銃をぶっぱなした。山姥は山へ駆け出したが途中で倒れたので、その死骸をその場に埋めた。それ以降山姥の祟りのせいで平八の屋敷では男子が生れず、家の後継ぎが絶えてしまった。
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テング 1922年 富山県 明治14,5年ごろ、1人か2人は天狗に連れ去られた。いなくなった子供を捜すときには、天狗が棲むという火の宮や愛宕の大杉の下で名前を呼び、太鼓と一升枡の底を叩いた。枡の底を叩くと天狗の耳が破れそうになり、捕えた子供を樹の上から放すのだという。
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テンドウサマ 1983年 長崎県 徴兵を受け北支那に行ったが、(天道様の)神社の石を3つお守りに持っていったので、弾丸が当ったと思っても当らず、無事に帰ってきた。戻って神社に石を返そうと思って清めてから返そうとしたら、石が真二つに分かれていた。また別の話では、千人針の中へお守りに神社の石を1つ入れていった。マニラで大空襲に逢っても無事だった。お守りの石は無くなっていたという。身代わりになったのだろうか。
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テング 1922年 石川県 明治維新以前、天狗松やツルマ谷には天狗が住んでいると言われていた。8歳くらいの娘が天狗にさらわれたときには、これらの地を呼びまわり、大樋の田の中にいるのを見つけた。娘は蓑を着た老人についていって、覚えていないといっていた。
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シノゼンチョウ,コメダワラヲナゲルオト 1930年 鹿児島県 明治28年に曾祖母が亡くなる少し前の夕食後、庭にズシンと重いものを投げ下ろす音が聞こえた。見てみたが誰もおらず、物を持ち込んだような形跡も無かった。その音は、曾祖母が無くなって葬式用の米俵を高倉から庭に投げ下ろした音と同じであったという。
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ヒノタマ 1929年 長野県 松島の男と小河内の女が心中した。両方の親はそれぞれの死体を別々に埋葬した。それから間もない頃、真夜中に松島と小河内の双方から火の玉が飛んできて天龍川のほうにきて、もつれて消えた。毎夜現れては消えた。
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コノアシアト 1955年 岡山県 宇兵衛殿という呼ぶ声がするが姿は見せない。鉄砲を持って行くと雨を降らし、翌日見てみると子供の足跡があった。
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ユメシラセ 1983年 香川県 宇田津からの金比羅道に天狗橋という石橋があったが、橋を架けた石屋が行方不明になった。ある夜、子供に夢の知らせがあって「剣山で百姓をしているから心配するな」と言って家をガタガタ揺すぶったという。金比羅山のおかげで殺されずに助かったのだという。
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ヒビヤシンメイ 1974年 東京都 寛弘2年9月16日に、日比谷あたりにおいて御神幣と大牙が降ってきたので、村中の者が怪しんでいたところ、どこから戸もなく7歳ほどの女の子が現れた。その子は眼色が変わり狂いだして口ばしることには、自分は伊勢内外宮の神であり、鹿島の地にいる悪軍を退治した後だという。そしてこの地に自分が来た証拠に2つのしるしを降したので、早速社殿を建てて祀りをせよと命じた。神が抜けると、その女の子もどこかに消えた。
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アキコクノブシノハカ 1975年 愛媛県 昭和の初め頃に水田を校地にしたところ、ある教室の児童やそのクラスの母親が次々に死亡した。ある人が「教室の下に安芸国の武士の霊魂が眠っている」と言った。校地は元は庄屋の隠居屋敷だったが、三代不幸が続いて絶家したという。校地の隅に墓石を建て、学校の守護神にしたという。
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テング 1989年 群馬県 原集落の天狗山でに天狗が立っているのが見えたという。祀っていた人がノボリを立てたりした。
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コウシンサン 1960年 宮城県 庚申さんを信仰していた船主の子は、船に遊びに行ったときやかましくしたので船から突き落とされてしまった。人々は子供が死んだと思ったが、子供は生きており、庚申さんが助けたのだと言われた。
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ニッタダイミョウジン 1983年 東京都 新田義興は、延元3年9月、江戸遠江守・竹沢右京亮のために、矢口村で自殺し入水した。その後、江戸・竹沢の両人は、義興の霊が祟って程なく死んだ。また矢口村にも怪しいことが度々起こったため、人々は恐れをなし、社を建てて新田大明神と崇め奉った。
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サンキチサン 1980年 秋田県 三吉さんは武勇に優れた力持ちで、大砲を両手に抱えて歩いたりした。
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ケリアゲカンゼオン 1983年 鹿児島県 日向の国の志布志という里で、日頃から観音を信仰している女がいた。その夫が猟師だったので、夫の悪行を嘆き、何とか善心を起こさせようと観音に祈念していた。嘉吉2年5月に夫がいつものように山に入ると俄に雷が鳴り響いた。恐れた夫は観世音の聖号を唱えると、かの尊像が空中に現れて、夫の頭上に落ちてきた雷火を左足で蹴り上げて助けた。帰って観世音の像を見ると左足を上げていたという。
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