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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

イッポンアシ
1934年 奈良県
一本足は義経の馬であったが、人を食うようになったので家臣に鉄砲で射られた。そして熊野の湯へ養生に行った。使われた鉄砲は正月の何日かに格闘を思い出して汗をかくという。

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ヒトタタラ,ヒトツタタラ
1989年 奈良県
峠を越える旅人を困らせていた一本足という怪物を射場兵庫という豪傑が鉄砲で撃ち取った。一本足は12月20日に出没していたので、その日になると撃ち取った銃は汗をかくという。
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オバガミネノイッポンアシ
1991年 奈良県
一本足の大きな足跡が雪の上にあった。それで大きな一本足いるので鉄砲で撃ったら、大きな舌を出したという。一本足は生笹(いくざさ)という名前で、人間に化けて有馬温泉に湯治に行った。けれども何日か目に正体がばれた。一本足になったのは背中に熊笹が生えた怪物である猪笹王だという伝承もある。
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クマササオウ,イッポンタタラ
1967年 奈良県
弓場兵庫守は伯母ヶ峰山中で背中に熊笹の生えた大猪を鉄砲で撃ち殺した。猪は亡霊となって野武士の姿を借り宿に泊まった。亡霊はその後、イッポンタタラ(一本足)の鬼となって伯母ヶ峰で旅人を取って食べた。
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ムジナ
1931年 山梨県
狩人の家に貉が入ってくるので、ある日罠を仕掛けて貉の右前足を鉄砲で打ちぬいた。ところがその後、ある日山で木をきっていると貉に化かされ右足を切ってしまった。狩人は家を引き払ってしまった。
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オバミネノイッポンアシ
1934年 奈良県
一本足は、寝ない子を脅すときに母親が用いたりする。一本足は義経の馬との混合型であるとも言われる。
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イッポンアシ,イノザサオウ
1988年 奈良県
伯母峰の猪笹王という大猪を射場兵庫という鉄砲撃ちが倒した。猪笹王の亡霊は紀州湯の峰の温泉に野武士に化けて湯治に行った。宿の主人が覗くと、部屋一杯の大猪が寝ていた。後に猪笹王の亡霊は一本足の鬼になって伯母峰に出て旅人を取ったので、丹誠上人が封じ込めた。ただし12月20日だけは鬼の自由になる日として、「果ての二十日」として怖れられている。
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(ムクヒ)
1974年 東京都
武蔵の八王子千人衆の頭である原半左衛門は、馬の尾筋や前筋を切り、焼鉄を当てるのを好んだ。ある年の元旦に子の権十郎と氏神参詣をしたところ、鳥居の前が馬の血で満たされており、神前まで行けないと言った。しかし供の者はそのような光景は見えなかった。半左衛門は鳥居の前で額ずいて帰ったが病にかかり、馬のいななく真似をしたという。7日目に正気になって言うには、親が馬を苦しめた罪障が自分に報い、畜生道に墜ちるとのこと。その夜に死んだという。
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コギツネトショウベエ
1956年 宮城県
昔、あるところに正兵衛という鉄砲ぶち(打ち)がいて、つる橋の上でつるにからまって動けなくなっている小狐を助けた。正兵衛が家に帰って菜っぱ汁をたいていると、鍋がさっぱり煮立たないので開けてみると小判がいっぱい入っていた。そこへ来て、わけを正兵衛から聞いた慾兵衛は、「その狐、腹の中いっぱい小判だべ」と出かけ、小狐を打ち、腹を割くと小判がいっぱい出てきた。しかし家に帰って見るとそれはすべて馬の糞だった。正兵衛は、今回の件で殺生は悪いことだと後悔して百姓となったが、その田も畠も上作で、だんだん金持ちになった。一方慾兵衛はその後猟もなくなって貧乏になり、夜逃げしたという。
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イジュウ
1977年 静岡県
正徳4年夏、豆州豊川村である人の妻が毎夜何者かに襲われるようになり、ついに殺され顔の皮を剥がれた。15日後何かが家に入ってきたので斬りかかったが逃げ去った。血の跡を辿ると栗山村の奥山の穴に続いていた。鉄砲で撃ち、出てきたところを槍で仕留めた。形は熊のようで人面だった。足と爪は鷲のようで、頭毛は赤、身毛は黄だった。
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ウマ
1932年 島根県
毛利の大軍が攻めてきた時、城主は再挙をはかるべく単身城を脱した。その時駿馬に一鞭あてると、1里半の遠方である四日市阪に飛んだ。今でもその蹄の跡が残っている。
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カイチョウ,テング
1920年 兵庫県
鉄砲名人の藤太郎は、領主に賜った金銀の弾丸で怪鳥をうった後、謎の病にかかり有馬温泉へ入湯した。隣の部屋の足の悪い客人と四方山話の最中、藤太郎が鳥のことを話すと、客人は怪鳥へ変わった後大天狗になって睨みつけた。数日を経ず藤太郎は死んでしまった。
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タユウグロ,カタハノアシ
1967年 福島県
義経の乗用となり、ひよどり越えにも大きな働きをした名馬を太夫黒という。これは、栃窪に久七という百姓がおり、いつも良い馬が生まれていた。中でも太夫黒はこれまでにない名馬であった。変わった馬で、立石山に行って山遊びをし、真野の池に行っては葦を食べ、夜になっても帰らないという風であった。不思議なことに足には水掻きもあったという。しかし見事な成長ぶりで、久七から藤原秀衡に献上され、それが義経の出陣に贈られた。真野の池の葦が片葉なのは、太夫黒が片方ばかりを食べていたためであるという。
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クマノテアライユ
1951年 長野県
一人の猟師が熊を矢で射止めたが、熊の後を追うと、熊は温泉の湯に手を入れて洗っていた。その後狩人は傷を負ったとき、その湯で洗うと傷が治った。これが野沢温泉の熊の手洗い湯のおこりだという。
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イッポンダタラ
1978年 和歌山県
伯母峠に一本ダタラと呼ばれる、片目片耳の馬のような姿をした恐ろしいものがいて、義経の放った馬の化身だと言われた。普通の人は襲ったが、郵便屋さんは襲わない。特に12月20日に伯母峠を通るといけない。
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ツル
1936年 秋田県
明治元年、鉄砲で鶴を撃った人の弟が狂人となり、裏の堰で水を浴び、鶴の真似事するなどと言われたが、死んでしまった。
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ムジナ
1989年 静岡県
伝馬町の脇本陣に鎌倉建長寺の僧が来た。やたらに犬を嫌って遠ざけた。飯の時に人を寄り付けない。覗くと汁と飯を一緒に食べていた。脇本陣の虎斑の和次郎という犬に、丸子で食い殺されたとき、正体を現してむじなになった。
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キツネ
1987年 奈良県
山に蕗を取りに行ったら狐に化かされた。帰ってくると木や下草が全部蕗に見えるのだと言う。ボケたようになってひとりでに出歩き、山に入るようになった。たまりかねて猟師が鉄砲で撃ったら、狐が落ちた。
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カッパ
1930年 宮崎県
薬湯屋の湯がぬるくなった頃、河童が集まって入浴した。主人は困り、ある晩湯槽から湯を落としておいたら、翌朝自分の馬が殺されていた。河童が怒って殺したのである。
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ウマ
2001年 愛知県
足助八幡の絵馬の馬が田畑を荒らしたので、手綱を描き添え、鉄砲で撃ち殺した。
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(ムクイ),ウマ
1974年 東京都
馬の尾筋や前筋を切って焼き鉄をあてるのが好きな者がいた。その者の子供が氏神参りをした。他の者には見えなかったが、馬の血で汚れていると参詣せずに帰宅した。以来病気になり馬のいななく真似をした。一時正気に戻ったが親の罪障が自分に報いて畜生道に落ちる悲しさよと言って死んだ。
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