ヤマンバ 1999年 長野県 村の衆が山姥に毒の酒と炭のオキを包んだ団子を持たせた。山姥は喜んで帰っていった。その夜、空を真っ赤にして燃える山火事があり、村の人は驚いた。それ以来、山姥は姿を現さなくなった。
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ヤマンバ 1981年 静岡県 倉木山の山姥が福沢の子守りの子を食べてしまったので、焼石を食わせて退治した。山姥は苦しみ、天竜川に入って死んだ。祟ってはいけないと、浅間山に小さな社を建てて祀った。
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ヤマンバ 1932年 静岡県 倉木山という山に山姥が住んでいて、人里へ来てはいそがしい家の子守や居留守をしていた。ある日ある家の子守をしていたが、ついにその子供を食ってしまった。家人が仇をうつため、焼いた石を団子と共に食わせ、山姥は腹をこがして天竜川へ落ちて死んだ。
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オニ 1929年 京都府 一条天皇の頃、大江山に妖賊がでるので退治を命じられた源頼光が、山伏に姿を変えて和田街道へ進み、上川口村宇野花の孫八という農夫孫八に山の案内を頼み鬼の棲家を探す途中三貴神に出遭って道を教えられ、鬼獄稲荷神社で鬼毒酒を賜って鬼降伏祈願をして、やがて首尾よく鬼を退治することができた。
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ヤマウバ 1982年 静岡県 山姥は和泉または福沢に住み、里に来て子守りをしたり、藤の皮で布を織ったりした。子守りしていた福沢日向の子を食べ、村人に焼石を食わされて天竜川に逃げ、秋葉山に住んだという。また、三人の子供がおり、長男は竜頭山、次男は三ツ森山神ヶ沢、三男は常光寺山の主であった。
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ヤマンバ 1999年 静岡県 山姥が子供を取って食べた。それで村の衆は仕返しに、焼いた石を山姥に食べさせた。山姥が水を求めると油をやったのでよけい燃えた。山姥は天竜川に入って死んだという。
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アオイヒ,ウバガフチ 1937年 京都府 亀山の青山という殿の一粒種を姥が預かっていたが、保津川に落ちて流されてしまった。姥は申し訳がないと自ら身を投じた。小雨のときはその乳母ヶ淵から青い火が出て保津橋の附近をうろつきまわるという。
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オンリョウ,オイナカミ,キツネ 1959年 北海道 有珠山が文政の噴火で焼けた時の巫女の巫歌によると、有珠の人々が神の喜ばない歌を歌い続け、モコロカムイ(眠神)が眠れず腹を立てて人々を皆殺しにしようとしたのを、黒狐の神が鎮めたという。焼跡には狐の焼死体があったという。
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オニ,モチ,シュテンドウジ 1949年 岡山県 樵の親方が多数の弟子を連れて深い山に仕事に出かけた。弟子の一人が、人影の無い森陰に一重の見事な紅白餅を見つけ、あまりに旨そうなので食べてしまった。そうすると面相が一変し暴れるようになり、日夜山奥をさまようなど鬼のようになった。仲間が連れ戻そうとすると、「もう鬼になったので近寄るな」といい、最後に連れ戻しにいった者を殺して食べた。その後、親方に罪を告白し、仲間のもとに戻るが、再度山に入り、「丹波の大江山へいく」といい飛び去った。これが後の酒呑童子だという。
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ヤマンバ 1995年 愛知県 楽田の本宮山で福富信蔵という男が狩をしていたら、光るものが見えた。山姥の目の玉が光っていたのだった。鉄砲で撃つと血を流して逃げていった。血の跡を追うと大きな釜屋に入ったので、変わったことはないかと訊くと、家内が具合が悪くて寝ているという。その家内が山姥であった。山姥は逃げて、岐阜のおがせの池に入ってしまった。その池では魚を取ってはいけない。話者が20歳くらいのころ、その池の魚を食べて赤痢で死んだものがいたという。
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ヤマンバ 1974年 姥ヶ峠は姥桜蛭谷から筒井神社に至る道にある。姥ヶ峠は昔開拓の当時に山姥が住んでいて、夜小屋に来て人を脅かしていたためにその名があるという。
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〔ミズイデノサンジン〕,〔カラフカノヤマンバ〕 1931年 長野県 蓼科山には水井出之山人、虚深之山姥という鬼がいる。正徳5年の秋、山で木を切ろうとしたとき、木の唸る声がした。そのうち鐘の音や笛の音が混じり、音楽のようになった。4、5人がしわがれた声で笑ったり泣いたりする声もしたという。その後から、ひとりで山に行くときは酒を供え、木を伐る理由を権現に訴え、祈ってからきらないと祟りがあるといわれるようになった。
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ダイジャ,アクリョウ,カンノン 1974年 東京都 姥ヶ池というところに一軒の家があり、姥とその娘が住んでいた。姥は旅人を泊めて殺しては衣裳をはいでいた。ある日浅草観音が笛を吹いて、旅人に危険を知らせ、旅人は助かった。また、浅草観音は姥が地獄に落ちるのを憐れんで、児の姿で姥を訪ね、姥は児と誤って娘を殺してしまった。その後母は池に身を投げて大蛇となったが、神にして祝ってその悪霊をなだめると守りの神となって、諸々の病をしりぞけるようになった。大蛇と化したが供養により守りの神となった。
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ワカノトク,ヨウコ 1974年 和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。北条氏康が出陣の時、野狐が現れてうるさく鳴いて騒いだので、氏康が「夏はきつ、ねに鳴蝉の唐衣己々か身の上に着よ」と詠んだ。するとかの妖狐は理由もなく野に死んだという。
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オニババ 1968年 山形県 作次郎という人が山に茸取りに行って夜遅くなり、洞木に泊まって火を焚いていると鬼婆が来た。火に当ててやると鬼婆は背中を炙り、もの凄い火が出た。作次郎は逃げたが、鬼婆は後を追って来た。作次郎が朴の木の下に行くと、紫の雲に乗った山神様が降りて来て、作次郎の姿を鬼婆に見えなくしてくれたため、無事に家に帰り着くことができた。
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ウバキリイシ,オンナノレイ 1986年 岐阜県 昔、石の傍らで悶死した女の霊が石に乗り移った。夜中になると石は人肌ほどに暖かくなり、奇声を発した。京都の高僧が歌を詠み、喝を入れるとそうならなくなった。その石は姥切石と呼ばれた。
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ハナサキイシ,ヤマトタケルノミコト,アクゼイ,アクレイ 1935年 群馬県 日本武尊が奥上州にやって来たとき、山に悪勢という魔神が住み、朝廷に背き人民を困らせていたので成敗した。神通力で戦いながらも敗れた悪勢は、山に包囲されて焼け死んだ。その娘は清純な処女だったが、武尊の軍勢に阻まれ自殺した。彼女の従者は哭き死んで、その亡魂が石となり、花が咲いたという。それでこの石を花咲石といった。悪勢らの悪霊は祟りをなしたが、石神として祭ると止んだという。
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オニ 1979年 岐阜県 天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
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オニ 2002年 山口県 大昔大唐から鬼が渡ってきたので、毒酒を振るまい退治したが、3つの鬼は蓋井の森の脇で倒れ、また1つの鬼は高野の森で倒れた。その後祟りがあったので神に祀った。
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オニ 1979年 岐阜県 鬼が粥川の瓢ヶ岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を3つの瓢に変じたので、高光は心願をかけて鬼を射止めた。この鬼の首が念興寺にある。
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