シロイシカ,ヤマオニ 1956年 東京都 日本武尊東征の際、御嶽山付近を通りかかった折、深山の邪神が白鹿に化けて、散々尊を悩ました。尊は占いして、鹿が山鬼であることを知り、山蛭を鹿に投げつけると、目に当たって死に、鬼神は正体を現した。深山で道に迷った際に尊を導いた白い狼には、山に留まって火災盗難を防ぐよう命じ、以後、狼は御嶽山の大口真神として祭り上げられたという。
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セリザワノサラヤシキ 1956年 宮城県 昔,芹沢という者が武芸の腕によって禄とこの土地を賜った。それから三代後の当主の時の話。ある正月,同家の女中が主人秘蔵の錦手の皿十枚を箱に納める際,一枚を落とし毀してしまった。しばらく隠していたが遂に露見し,一刀のもとに斬り殺された。その後毎夜のように同家の水屋に女中が現れ,「一枚,二枚,三枚・・・九枚・・・おお・・・」と恨めしげに訴える。主人は自らの仕打を悔い,女中の霊を慰めるために石地蔵を刻み,自分の山の頂に建てた。また不吉の刀を地中に埋め,小祠を建てて祀ってやった。以後女中の声も聞こえなくなったという。今でもこの山を地蔵山と呼ぶ。なお旧芹沢家には別人が住んでいるが,その後は何の変事も起こらないという。
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ジャタイサツキヒメ 1961年 山梨県 南朝の落武者吉野某が落伸びて甲州河内領福士の奥に世を避けている間に村長の娘との間に生まれた女児をさつき姫といった。姫が17才の夏、征者2、3人をつけて村の上手にある池のほとりに出かけさせたが、娘が行方知れずになった。村中を探すが、知れず、多数の僧を招いて池畔で施餓鬼供養を営んだ。すると読経が終わらぬうちにどこからともなくさつき姫が現れ、自殺し先立つ不幸を母親に詫びて蛇体と化し、元の池へ姿を消した。すると雷鳴豪雨で山が崩れ池が氾濫し、蛇体さつき姫は福士川から富士川の彼方へ所在をくらました。
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(オキクノタタリ) 1982年 群馬県 小幡の殿様が妙義で見初めた菊という女を侍女にし、寵愛したので他の侍女や奥方から恨みを買い、お菊が殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒ってお菊を責め、お菊は宝積寺の山門まで逃げてかくまってくれと言ったが、寺は門を開けなかった。お菊は追手につかまり、蛇とムカデの入った樽に入れられ、宝積寺の池に投げ込まれて死んだ。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池のほとりに炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで宝積寺の山門は何度建てても焼けてしまう。
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サルトラヘビ 1987年 岐阜県 高賀山のさるとらへびという化物が京の公家の子供をさらって殺した。京都から藤原高光が来て、神社を建てて妖魔を山に閉じ込め、屏風岩で高賀山の瓢ヶ岳の池の一つだけ動かない瓢箪が真の姿だ、とお告げをうけて、それを矢で撃って退治した。さるとらへびの屍骸を焼いたオツガワラというところは今も草が生えない。
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タケダグサ,ツヤヒメグサ,オンナ 1931年 山梨県 天正年間、武田勝頼は城を織田信長に攻められた。その時、武田の家来だった男と、恋仲だった艶姫は離れ離れになり、姫は捕らえられた。その後、姫は脱走に失敗し、自害して堀に身を沈めた。その次の春から、その堀には見慣れぬ水草が生えるようになった。里の者は艶姫の精だとして、武田草、艶姫草と呼んだ。4月29日の祭りは毎年雨であるが、何年かに一度晴れることがあり、その日の早朝堀に行くと水面が二つに裂け、美しい女が玉手箱や鏡や宝剣を持って現れる。この女を笑わせれば、その宝が手に入るという。
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イナムシ,ボウレイ 1923年 静岡県 元亀3年合戦に敗れた武田方の軍兵が、淵に身を投げて死んだ。翌年そのあたりが稲虫に襲われたが、亡魂の祟りであると噂された。
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ハチメンダイオウ,オニ,ヤマドリ,(ユメノオツゲ) 1990年 長野県 有明山のふもとに住む弥左衛門は息子の弥助が幼いうちに八面大王という鬼にさらわれた。立派に成長した弥助はあるとき大きな山鳥を助けた。それから3日して弥助は美しい娘を娶った。そのうちまた八面大王が暴れ始めた。坂上田村麻呂が観音堂で祈ったところ、特定の山鳥の尾を矢にするよう言われた。その話を聞いた弥助は悩んだが、嫁がそれを持ってきた。嫁は山鳥の化身であり、その後姿を消した。その矢で八面大王は退治された。
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ユウレイノシュッサン 1956年 宮城県 藩政時代,金山邑主中島伊勢の家臣に四十九院(ツルシ)弥五左衛門という侍がいた。隣家の美女に懸想され,当惑していた。ある春の斗蔵山の観音様の祭礼の時,娘が弥五左衛門に恋情を訴えると彼はかっとなって娘を斬りすててしまった。ところがその後,夜毎に娘の亡霊が現れて切なさを訴えるので,余りのいじらしさにいつしか娘の亡霊と契る仲となってしまった。ある夜亡霊が「身重になった。赤子が生まれるから育てて頂きたい」と懇ろに頼んで消えてしまった。それから一周忌の頃に弥五左衛門が娘の墓参に行くと,地中から赤子の鳴き声が聞こえる。掘ってみると棺の中で生まれたばかりの赤ん坊が泣いていたので,連れて帰って大事に育てた。この事が藩侯の耳に達し,惨殺の罪を罰せられぬばかりか,奇特な事として禄をも与えられた。その子孫は今も四十九院を姓にしている。
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ニチレンショウニン,ヒチメンミョウジン 1989年 山梨県 日蓮上人は説教石に上がり、9年間身延山で修行をしていた。たくさんの人が集まってきたら、大層美しいお姫さんが側で座っている。それをみた荒武者みたいな人たちが、生臭坊主だといったので、日蓮上人が、姿を現してみなさいといって、蓮の葉の池にあった水をたらしてやったら煙が出てきて大きな蛇になりとぐろを巻き、また煙が出てきて消えた。日蓮上人は、「あれは七面明神といって、20里先の山のお池に住むものだ」といったので、みんなびっくりした。
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ヨナキイシ 1970年 滋賀県 天人が余呉湖で水浴びをしていたとき、桐畑太夫が衣を隠して、天人を嫁にした。2人の子ができたが、天人は子守娘の唄から衣の場所を知り、天に帰ってしまった。子守は子を石の上に放って帰った。赤子が泣いたらその声が読経の声であったので、菅山寺の住職はその子を連れ帰って育てた。それが後の天神様。この石はその後も夜毎に泣いたので夜泣き石といわれ、耕地整理で動かそうとしたら祟りがあった。
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タタリ,キダン,キカイ,ヤマノカミ 1974年 京都府 文政11年、鳥辺野の地蔵山から土砂を採っていたところ、山の神といわれる所まで掘り進めてしまった。大きな壺に掘り当たり、怪しいと思ったけれども、周りや底のほうへ掘り進めた。すると突然土中が鳴動して、壺がすり落ちる音に驚いて人足が死んでしまった。そして世話人の数人もことごとく大病にかかり死んでしまった。老尼の祈禱者に頼み神おろしをしてもらうと、絶入の形になり、幣を持たせると居直って、にらみつけて、自分は明智の一類であり、山に葬られ、山の神と言われていたが、理不尽な振る舞いの鬱憤が晴れないと言う。後も地蔵を穴に納めて供養したり読経をしたりしたが死人が出た。
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ヨウカイ,コマイワ 1960年 岡山県 崇神天皇の四道将軍、吉備津彦命が備前に入り本宮山の峰に来た頃、その峰の西方約1里の所に毎夜妖怪が現われ、里人はたいそう恐れていた。里人は命に妖怪を退治してくれるように願い出た。数日後のある夜、気比神社の西方3キロのところに火柱が現われ、命は境内の見晴らしの良い駒岩から弓でこの怪物を射た。矢が命中するや否や、大音響と共に怪物は岩となった。これを今に残る的岩という。
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オカメカミサマ 1934年 熊本県 阿蘇神社の神護寺の僧が、女人禁制を侵して、オカメという娘と夜毎会っていた。僧侶たちは、禁を破ったとして、二人を穴に入れ、石を投げかけて殺した。それ以後、オカメの出身の下淵間には、女の子が生まれても、年頃まで育たなくなった。驚いた村人は、僧侶とオカメを祀り、お上神様と呼んだ。其の御神体には紙の着物を着せる。神に無礼があるとそれが身体の頭上にひっくり返る、また集落に事件があるときには紙衣を半分脱いで知らせるという。
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テング 1982年 群馬県 千葉常将は榛名山に願をかけて子供を授かったが、天狗にさらわれていなくなった。若を返せと山の坊さんに戦を仕掛けたら、こどもは雲の上から「あいみつわかはここにあり」と現れた。奥方は面目がなくて自害した。常将は常将神社に、奥方は弁天様に、あいみつわかは黒髪山に祀られた。
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フドウミョウオウ,テンジン,ハゴロモ 1967年 福島県 三浦左近国清という人が太田村別所に住んでいた。世継ぎが無いことを憂い、馬場村の滝不動に美しい妻が得られるようにと祈願した。すると夢に不動明王が現れ、現世には配すべき女がいないので、五台山の奥の池で天人が水浴びをしてるゆえ、その羽衣を取れと言った。国清はその通り山に登り天人の羽衣を取って家に帰った。やがて天人は気付き、国清の家に行き羽衣を返して欲しいと願ったが返されず、ついには夫婦になった。二男一女をもうけたが、やがて子供たちが大きくなったから別れても立派に育つと言い残し、天女は羽衣を着て天に昇った。国清は悲しんだが、娘はそれにもまして悲しみ、ついには池に身投げして死んだ。中太田に姫塚と呼ぶ塚があるが、この姫を祀ったものといわれる。
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サルトラヘビ 1987年 岐阜県 高賀山のさるとらへびという化物が暴れた。頭は猿、胴は虎、尾が蛇。禁廷様の子供をさらって殺した。その子を祀ったのが峯稚児神社。京都から藤原高光が来て退治した。高賀山の瓢ヶ岳の池の一つだけ動かない瓢箪がさるとらへびの真の姿で、それを矢で撃って退治した。さるとらへびの屍骸を焼いたところは草が生えない。さるとらへびの喉仏と言う物が宮にあり、外に出すと雨が降った。
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ケモノ 1980年 静岡県 遠州見付の天神さまに、人身御供の風習があった。通りかかった六部がお告げを聞いて、お告げ通りしっぺい太郎という犬を娘の代わりに箱に入れて連れて行く。しっぺい太郎は娘を食べようとやってきた獣をやっつけるものの、傷を追って、観音山まで来たところで息を引き取ってしまった。あるいは、観音山まで来たところで、しっぺい太郎は六部と大木の下で眠っていた。すると突然しっぺい太郎が吠えだし、六部に飛びかかろうとしたので、六部は鉄砲で撃ち殺してしまった。しかし、しっぺい太郎は木の上の大蛇に飛びかかろうとしていただけであったとも言う。
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シロシカ,シロオオカミ 1954年 東京都 日本武尊東征の際、御嶽山からの山路を越えた時に、邪神が白鹿となって道を塞いだため、尊は道に迷った。白狼が現れて西北に導いた。尊はこの狼に告げて、山上の本陣での火災盗難の守護を命じたため、以後、御嶽山の守護神としてあがめられたという。
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オノノコマチノレイ,ビジョヅカ 1976年 山形県 京都で深草少将が小野小町に恋して通い詰めたが小町は応えず、少将は思いを遂げず急逝した。その恨みからか小町は病となり、死を前に父に会いたいと北国へ向かった。米沢の山中で小町は病に倒れたが、現れた薬師如来に小野川の湯を教えられ平癒する。しかし塩井で亡くなったと言う。そこに村人が地蔵を立てて葬ったのが美女塚であると言う。その200年後、旅僧が読経すると小町の霊が現れ、米沢の呉服商の清欒が少将の生まれ変わりと言う。これを知った呉服商は間もなく病で死んだので、美女塚に対して西方に美男塚を作って葬った。異伝も多い。
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