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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

シオソウ
1940年 三重県
志摩の俗信。親が死ぬと、五十日と百日目には村端れの定まった場所で潮垢離をとり、十二箇月目になると遠くの他村の濱まで出かけて行って潮垢離を取った。これを潮掻といっていた。

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ミズセガキ
1940年 三重県
志摩の俗信。海で死んで行方の知れぬものの臨時供養、即ち水施餓鬼を行う際、僧の読経によって、死者の衣類を海へ浸して網で引き揚げながら、死骸の必ず揚がるようにと祈る。
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ミミフサゲ
1940年 三重県
志摩の俗信。少青壮年者に限り、戸外から屋根の見える家に同年者の死人が有った時は、戸口の敷居に腰かけて奥の方を向き、阿古屋餅を両耳に当てて、其後一つを食べ一つを大屋根に投げて屋根を越えさせる。すなわち耳フサゲである。
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ケイダイノイシ
1940年 三重県
志摩の俗信。子供の引きつけには、氏神のケイ石(境内の石)を10歳か15歳迄の期間を定めて、2つだけ借受け、水甕の底に沈め置き、甕を浄める毎に其石も洗浄め、制約期間が来たら、石の数を倍にして氏神に返すという。
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(ゾクシン)
1938年 新潟県
千垢離立願は病人が危篤のときに平癒を祈る立願で、一生に一度の立願である。まず海か湖の岸辺を清めて忌竹を立てて注連縄を張り、祭壇を設けて献饌して榊(苧柄とも)の葉を1000枚用意する。神官が祭壇で祈祷し、立願解人が榊葉を分配して首まで水中に入り、沖に向かって平癒を唱えるごとに葉を流す。流した葉が沖へ出れば願いが叶い、磯辺に寄ると凶だといわれている。
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イシボトケ
2003年 三重県
「潮ボトケ」「ぬれボトケ」ともいわれる。明治初年,当村の弥吉老人に次のような夢告があった。「我は本地地蔵菩薩である。因縁によってこの場所に現じた。心から祈願するものには腰より下の病を治そう。また,私は海水に浸るところにいて諸人の代わりに苦患を洗浄するつもりであるから,石を高所に移してはならない。」志摩町潮音寺住職児玉芳山もS8年4月下旬以降の祈念によって宿病が快癒した。
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キツネツキ
1940年 三重県
志摩の俗信。狐憑きには、その人の頭に熱い炮烙を被せて温めた後、窓へ炮烙を仰向けにして出しておくという。
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フナキギレ
2002年 鹿児島県
担い売りをしていた繁の父の体験談。鹿児島県大島郡天城町(西村)で宿泊した家の子供が何ヶ月も病んでいた。舟木切れを踏み台にしていたので,それを清めて海に流すと子供の病気はすぐに治った。
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ショウジゴ
1976年 鹿児島県
親族が集まってユタを呼び、死者の霊を降ろす。儀式中にあくびをした者に霊がついた事になり、そのものはミソギをし、毎月旧暦朔日に、定められた泉川に行って祀る。これを怠ると、誰かが病気、または不慮の災厄に遭うなどの神罰が下るとされた。
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ヤマゴモリ
1940年 三重県
志摩の俗信。正月元日から五日までの間に不浄にかかった家は、親戚諸共一切外出ができない。注連縄をくぐるを忌むからで、そんな家へは見舞い品として生豆腐とこんにゃくを贈る。これを山籠もりをいう。
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ナンザン,チノイケ
1937年 鳥取県
難産で死んだ時は百日晒しを水辺に設け、通行人がこれに水をかけると血の池から浮き上がり成仏するという。
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リョウシノボウレイ
1982年 宮城県
漁師が難破して覚悟を決め、供養の金を胴巻に巻いたまま浜に打ち上げられた。見つけた人は金だけとって死体を海に打ち捨てた。金を取った人は金持ちになり、子どももできて幸せだったが、子どもがいなくなってしまった。回国様に聞くと恐山にいるという。行って寺の和尚に相談すると、「その子を呼んでやるがわしの衣の陰から出るな、決してすがるな」という。やがて子どもが来て和尚に「自分は漁師の亡霊の生まれ変わりだ」と言った。金を取った人が泣き崩れ、気がつくとそこは寺ではなく衣杉の下にうずくまっていた。その人は家には帰らなかった。
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アヤシキコト
1974年 山口県
周防国熊毛郡島田村で、あるものの墓に樒と卒塔婆を立てると夜のうちに投げ捨てられることが続いた。死者の母と妻の夢に死者が出てきて、樒と卒塔婆はうるさいので立てないでくれと言った。翌日、母と妻は墓で、樒は榊に卒塔婆は49日の間はこらえてほしいと言った。するとその夜から投げ捨てられることはなくなった。
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ヤマイ
1940年 三重県
志摩の俗信。肺病を患った人にはいつも黒猫を眺めさせ、気が狂った人には縊死した人が使った縄帯細紐などを黒焼きにして服用させるという。
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ゴンダラ
1956年 宮城県
昔,折立の町外れ(志津川街道)の小川近くの崖上(現共葬墓地)に長者屋敷があった。この屋敷の娘に,いつの頃からか若衆が通ってくるようになった。娘がだんだんやつれていくので,乳母が問いただしてそのことが判明した。化生の者かも知れないということで若衆の裾に糸をつけた針を留めさせ,翌朝家人が調べると血痕が一筋家から小川まで続いていた。海の川口が血で染まっており,巨大な鱈が死んでいた。解体して馬に積んだら五駄分もあったので,以後その地を「五駄鱈(ゴンダラ)」と呼ぶようになった。娘は同じ場所に入水して後を追った。その小川を思い川または毒川と呼ぶようになった。その後,鱈の魚群が小川を遡行しないうちは近海で鱈漁を行わず,またこの折立海辺で一番早く鱈が獲れたという。一説では,若衆が死んだのは長者の家の奉公人達が打ち殺したためと言われる。
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イシボトケ
2003年 三重県
「潮ボトケ」「ぬれボトケ」ともいわれる。波切(志摩市大王町)の石工某がこの石を壊そうとすると,その妻が忽ち病になり死んでしまった。
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ボンノジュウサンニチ
1940年 三重県
志摩の俗信。盆の十三日にする門口の迎火で団子を焼いて食べると夏病みしなかった。
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ミズセガキ,シロモメン
1964年 福島県
海で人が落ちたときは、村の船が3日くらいさがしにでる。死人が上がらないときは、きまった場所で水施餓鬼をおこない、しろもめんを1反、長く浜辺から海に引いて、親類・友人たちがこれを陸のほうへあげる。これにつかまってあがれという意味だという。
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イソオンナ
1928年 長崎県
漁をしてはならないと言い伝えられる大晦日の晩と盆の17日の晩に、ある頑固親父は一人で漁に出た。成果をあげたので帰ろうとすると、闇の中から何者かの声がし、親父は横顔を殴りつけられた。以後、床から離れることなく死んだ。磯女の祟りだといわれる。
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アカマタ,マッタブ
1973年 鹿児島県
昔、阿傳と嘉鈍の中間にマチという部落に母と娘が暮らしていた。娘は夜に機織りの仕事していたが、あるときから夜になる一人で笑ってばかりいて仕事をしようとしない。母が尋ねると、娘は夜になると赤手拭いを被った男がやってきて脇の下を擽るのだという。そこで母は今晩その男が来たら木綿針に糸を貫いて男のたまに刺せと言った。その晩、娘は言われたとおりに男の頭に針をさし、明朝に母が糸を辿っていくとマッタフの巣である坂の麓の割れ岩まで続いていた。中から「我ミミンダ通しはしたが、子供は七籠も産ませて、うら取って見せずに置くものか」と声が聞こえた。また「娘が海へ行って七日間潮浴びをすれば子供は堕りる」と他の声も聞こえてきた。母は家へ帰り娘を海に連れて行き、七日間潮浴びさせると蛇の子を堕ろすことができた。
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(ゾクシン)
1973年 香川県
漁業に関する俗信。海で死体を見つけたら、周囲をトリカジで三度回り、トリカジからムシロですくって警察に引き渡す。放っておくと不漁になるという。流れ仏の後、数ヶ月後には大漁になるという。流れ仏を拾った辺りは大漁になるという。流れ仏を積んでからは、どんなに漁があっても仕事はしない。また、流れ仏が祟って漁がないともいう、など。
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