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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

シシャ,ミョウホウザン
1948年 和歌山県
生前、那智の妙法山に参っていないものは枕飯をたいている間に参る。

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モウジャ
1985年 和歌山県
人が亡くなったら、モッソ盛りの飯を亡者に供える。こうすると、死んだ人が那智山に参ってくる。昔の人は、よく那智に参る人に出会ったが、家に帰ってみるとその人は死んでいたという。
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モウジャ
1985年 和歌山県
昔、那智山へ参って坂道を下りて来たら、白装束の人が、握り飯が砂まみれになって食べられないと言っていた。戻ってみると、知り合いの人が死んでいて、葬式のとき握り飯を落としてしまったという。死んだ人は那智山へ参ると言われており、そのまま握り飯を持っていったのだろう。
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シニガミ,(ゾクシン)
1933年 熊本県
夜伽に出て帰る者は必ず、茶か飯一杯を食して寝るのである。死神につかれぬためである。
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(ゾクシン),(レイコン)
1933年 岩手県
坊主が来て枕経を読まぬうちは、霊魂は浮かばれぬ。
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チンコン,タタリ,〔ニイタマ〕,〔アラタマ〕
1999年
浄化されていない死んだばかりの荒魂は祟りやすいため、これを鎮めるための依代として設けられたのが枕飯である。
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ダイジャ
1980年 青森県
茅の箸でご飯を食べてはいけない。出羽三山では絶対にしない。弘法大師が高野山に登ったとき、茅の箸で昼飯を食べてから登った。帰り道で大蛇に遭った。呪文を唱えたら大蛇は消え、茅の箸になった。箸の間の飯一粒が大蛇になっていた。
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(ゾクシン)
1975年 愛媛県
石鎚山の山開きの登拝者は、家にシメを張り、1週間前から精進潔斎をする。氏神に参拝してから登拝する。登拝者の留守中、豆をいると足に豆ができるから、家族は豆をいらないという。
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シリョウ,ゼンコウジマイリ,マクラメシ
1999年
枕飯や枕団子は、死後すぐに用意しなくてはならない。死霊が死後すぐに善光寺詣りをするので、その弁当として持たせなければいけないからだという。
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オオキナヘビ
1930年 長野県
妙法寺という寺では住職が代わるごとに大きな蛇がからだを見せるといわれている。また、この蛇は一度に米一俵食べるといい、食べるところを見た者はたちまち気狂いになってしまったという。
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ワタボトケ
1927年 愛知県
峠にワタ仏というたくさんの石仏が祀ってあり、あらかじめ麓の村で十分に食物を取らないと、峠に差し掛かったとき、空腹で動けなくなると言う。
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ボウレイ,アヤカシ,ミョウナヒト
1992年 広島県
夕方4時を過ぎると親が子供を、「あやかしが出て惑わす」といって入らせなかった。陶晴賢の亡霊などだろう。友達の一人が17,8歳の頃惑わされて弥山へと行かされた。皆で探したが見つからず、翌朝弥山の本堂から本人が電話をかけてきた。本人が言うには、夕べ妙な人が来て「来い、来い、来い」と言うためついて行くと、その妙な人が岩の下に寝始めて、すぐ傍の道に火を持った行列が通った。夜が明けると弥山にいることに気がつき、山頂まで登った。
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ヒトツガネ,(タマシイ)
1930年 和歌山県
熊野の一番奥にある妙法山の山頂には「一ツ鐘」があり、人は生きているうちに一度はこれを突かなくてはならないと信じられていた。仁作という人がそこに詣りに行く途中、甚さんという人に会ったが、呼びかけると霞のように消えてしまった。仁作さんが翌日村に帰ると、甚さんが二人の会った時間のちょっと前に卒中で死んだことを聞かされた。死人は白装束で鐘を突きに出かけるが、死んだときのままの普段着で鐘を突きに行く人もあるという。
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ニョニンケッカイ,オオアラレライデン
1983年
叡山は女人結界なので、今でも女は参詣しない。男たちでも、弁当に魚鳥の類を入れている者には何かしら不思議な咎めがある。また柴を刈る者や幼い者も、入れるのは雲母坂までで、女子は片足を踏み入れても大雹や雷電、山鳴が起こることは、今でも同じである。
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テン
1941年 新潟県
寺に無住時代があったかどうかは明らかではないが、兎に角住職の代わりに朝晩の読経をしたことがあるという。
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シリョウ,ゼンコウジマイリ,マクラメシ
1999年
枕飯や枕団子は、死後すぐに用意しなくてはならない。死霊が死後すぐに善光寺詣りをするので、帰ってくるまでにできていなければならないからだとされる。
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ビシャモンテンサマ
1990年 山梨県
夢窓国師さんが乾徳山の、石が屋根になったようになったところで行をしていると小さい小僧が柿を持ってきてくれたが、これは実は毘沙門天様だった。その後夢窓国師さんは行を終えて山を下り、西徳和の八右衛門さんの家でもてなされる。そこでのことがあって、夢窓国師さんは信玄を祀る恵林寺に八右衛門座敷をつくり、4月12日の信玄さんの日には八右衛門さんの家には招待が来て、8畳間で唯1人四つ膳でもてなされる。
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ホトケ
1982年 新潟県
春彼岸の前日に墓の上に雪で墓を作り、入口には早朝暗いうちから提灯をつけて墓参りをし、仏は線香の煙に乗ってやってくるといって、煙をなびかせながら家に帰る。朝食には足洗い粥といって、小豆粥や白粥を食べる。
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ミョウギホウシ,マドウ
1977年 滋賀県
比叡山の妙義法師は、自ら誓って魔道にはいり、魔類に悪念を得ないようにさせて、菩提に導こうとした。ゆえに比叡山は天狗を尊び、霊験もあらたかだという。
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ダイジャ,スワミョウジン
1931年 長野県
甲賀三郎は妻に隠された愛妾を探しに蓼科山に登った。頂上にあった竪穴で翁と媼に出会い、道を尋ねた上に栗餅をもらい、その晩は池畔にあった祠に宿を取った。夜が明けて人が来たが、三郎を見て「大蛇大蛇」と言って逃げ出してしまった。神々が、「冥土の食べ物を食べたので人になることはできない。諏訪湖に入り神になるのがよい」と言ったので、その通りにしたという。
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オイゴリ
1964年 福島県
女人禁制の飯豊山(いいでさん)登山は、こもり堂で水ごりをとり、るすの人や登山口の村の人々などが、おいごりといって身代わりの水浴をする潔斎の神まいりであり、初穂の米を青米でいくらかまぜて神に供える豊年感謝・精進がある。
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