ツエ 1925年 新潟県 親鸞が杖をさしたところ、竹となった竹薮が彌彦山に近い鳥屋野の里の紫竹林である。
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ツエ 1925年 東京都 麻布の膳福寺に親鸞の杖銀杏がある。親鸞が関東に下向した折、宗旨が弘通するならば枝葉あれと誓いを立てて挿した杖が成長したと言われている。
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ツエ 1925年 新潟県 三島郡野積の西生寺弘智堂の前に、親鸞が17日間参籠した後、立てて去ったという杖が成長した銀杏がある。
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ヨウジ 1926年 大阪府 鳥飼村に菅原道真が左遷の折に楊枝を地に挿して身の末を占ったところ、成長して柳になった。
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テンドウ 1926年 滋賀県 野洲の高田はかつて水田だった。嘉禄元年に親鸞がいたとき天童が出現し、菩提子と柳の枝を与えたため、これを栽えたところ、水田は一夜にして高壌になり、柳も成長し喬木になったという。
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クリ,サンドグリ,コウボウダイシ 1956年 宮城県 内井氏宅の南斜面にある大木の栗。秋になると間をおいて三回実が落ちる。弘法大師が行脚にきたとき、一人の老婆が貧しいながらも手厚くもてなしたので、お礼に大師が植えてくれたといわれている。
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ヨウジ 1926年 埼玉県 岩槻の大光寺に、日蓮が楊枝を挿したところ成長した柳が、池の岸にあった。
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ニチレン,サカダケ 1935年 山梨県 日蓮がこの村に来た時に、持っていた竹杖を地下に突き込んで言うには、後の世に自分の教えが世に広まったならば、この竹に根が生じるだろうと。実際教義が流布したのに合わせて、不思議に根が生じたという。しかしこの町の竹枝は逆だったので枝は下方に向かった。御嶽金櫻神社の神事にはこの竹を用いる。
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ダイボダイジュ,ユメ 1956年 宮城県 出羽寒河江の慈雲寺の覚明阿闍梨が京都の仏師安阿弥快慶に頼んで笈分如来を作ってもらった。その笈分如来の夢の告げにより、泉ヶ岳のふもと、金畑に菩提樹を植えた。のち、南の川崎に移るが、ここにも植えつぎの同じ木がある。
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マツ 1976年 千葉県 下総国海上郡飯岡浦の玉崎大明神の社の後ろに松の木と楠の木がある。松の梢が社を覆って屋根が壊れる事が度々あったので、宝暦の頃に神官が松を伐ろうとしたが、日が暮れたので伐りかけのまま置いておいたところ、伐った松が一夜の内に楠に取り付き枝葉を茂らせていたという。
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クワノキ,ボウサマ 1937年 岐阜県 昔々、大きな桑の木があり日陰ができ作柄が悪かった。切り倒そうとして根元をはつっても翌日には元に戻っていた。僧がどこからか現れ、木っ端を焼けば切り倒せると告げたのでそうしたら倒すことができた。
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ヒトヨセンボン 2004年 京都府 一晩のうちに松が数千本生え、一夜にして林になったという。
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シンランショウニン,カキ 1929年 富山県 親鸞聖人は、立ち寄った家で串柿を食した。その種を三つ植えると、一夜にして芽を出した。それを三本柿と呼び、その地を柿木町とした。木を切ってしまった人は、お叱りをうけた。今では柿の木は芽生であるが、その木と徳法寺の柿の種には、全て焼いたような黒い斑点がある。
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フナ 1932年 新潟県 日枝神社境内に以前は古池があり、そこに焼鮒が住んでいた。親鸞聖人が焼鮒を池に放ったところ、蘇生してその子孫が繁殖した。それで鱗は後々までも焼けたような色であったという。
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ニチレン,シミズノサクラ 1935年 山梨県 文永11年閏5月17日に日蓮上人がこの村を通過しようとした時に、大変のどが渇いたので、持っていた桜の枝を地に打ち込み、祈願を込めたところ忽ち清水が湧出したという。その桜は根付いて木になったという。
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シガノヤクシ 1956年 宮城県 貞観2年(861)慈覚大師開基のとき、飛騨工匠が村人に一夜で堂を建ててみせるという。村人が夜明け前に鶏の啼く真似をしたので、工匠は天井板一枚張りかねて立ち去った。堂前の坂の中ごろにある蛇石は、材木を運んだ牛が転んで石に化したという。堂に狩野法眼元信の絵馬に手綱が描かれていないので、絵馬から抜け出して畑を荒らしたため、元信に頼み手綱を描き加えてもらったという。
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(コウボウダイシトツバキノツエ) 1986年 大分県 弘法大師が唐から帰国する途中嵐に遭い,真玉の浦に漂着した。その後そこで修行したが,その時椿の杖で岩を突いて清水を出した。またその杖を土に挿すと,芽を出して大樹となった。
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ウメ,ノキバノウメ 1956年 宮城県 掃部という富者の一人息子小太郎が観音を信心して軒端に一本の梅を植えた。父が旅先で象潟の商人の娘を嫁にもらうことを決めて帰ってくると小太郎は死んでいる。娘は一旦夫と決めたからには生死にかかわらないと、養女になって孝養をつくし、掃部没後は松島寺で尼となり、名を紅蓮とする。ある時小太郎の植えた梅が咲くのを見て「植え置きし花のあるじははかなきに軒端の梅は咲かずともあれ」と詠むと翌年から咲かなくなり、「咲けかしな今はあるじと眺むべし軒端の梅のあらん限りは」と詠むと翌年からまた咲くようになった。
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フルダヌキ 1982年 滋賀県 お医者さんの屋敷の裏の竹薮に住みついた狸が、観音様にお参りに行く人にいたずらをするので困る。ある晩、病人のおばあさんに膏薬を貼ってやると、それは観音様の堂の裏に張ってあった。いたずらは続いたが、竹薮は残したので、家は栄えた。
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オオスギノセイレイ,ササヤキバシ 1967年 福島県 笹木野の里の長者の娘に、毎晩しのんできた武士が、ある夜悲しそうに今夜限りと告げるので、娘は男のはかまのすそに長い糸を縫いつけた。あくる朝人を頼んで探してみると糸は近くの大杉の枝にかかっていた。神おろしをして聞いてみると、大杉の精霊が武士の姿になって娘のもとに通っていたのであった。精霊が今夜限りと告げたのは、福島藩主板倉公が一本の木で居室を作るための材木を探した結果、この笹木野の大杉に目をつけたからであった。大勢の人夫が苦心して切ったが、動かそうとしても次の日にはもとの場所に戻っている。古老が「精霊が通っていた女に音頭をとらせるとよい」と告げ、そのとおりにするとたちまち運び出すことができた。大杉は板倉公の居室に使用され、余った材料は大仏となり、耳語橋の材料になった。耳語橋が夜中にささやくのはこのためだという。
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