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検索対象事例

カンノンサマ
1956年 福島県
石城の三十三観音は仏具山にあったが、火災に遭ったとき山ダマの川に入った。

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(ユメノオツゲ)
1989年 長野県
泥棒に捨てられた観音は天竜川に流れて泰阜村まで行った。そこの明島という場所のある人の夢枕に立ち、助けを求めた。その人が淵に行ってみると、本当に観音があった。拾い上げて船で送り届けると、観音像は寺にあった台座にピタリとはまったという。
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ジュウイチメンカンゼオン
1952年 静岡県
明治7年の社寺統一の際、11面観音像を仏坂というところから松山というところに移した。ところが病難火災が相次いで起こり、村民たちは憂慮した。ある夜大雷雨があり、翌朝になると仏像が仏坂に帰還し安置されていた。
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カンノンゾウ,(ユメノオツゲ
1989年 長野県
長石寺に泥棒が入って本尊を盗んだが、背中が重くなって恐ろしくなり、天竜川へ捨てた。観音は流れて泰阜村の門島に着いた。泰阜の明島のある人の夢枕に観音様が立ち、助けを求めた。その人が目を覚ましてから淵に行くと観音があった。拾い上げて船で返しに行くと、台座にぴたりとはまったという。
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カンノン
1989年 広島県
昔、火事で観音堂が焼失した時観音像だけ探しても見つからなかった。村人が堂宇は再建したが観音像は安置しなかった。2年後の夏に子供が観音堂近くの滝で泳いでいる時に黒くなった観音像を滝つぼの中で見つけた。
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カンノンゾウ
1989年 長野県
長石寺に泥棒が入り、本尊を盗んだ。しかし、なんだか背中が重くなり始め、恐ろしくなった泥棒は本尊である観音様を天竜川へ捨てた。
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トビカンノン
1984年 長野県
寺に落人が逃げ込んでいると言う噂が立ち、織田信長軍がその寺に火をつけた。数日して、村人が川の滝壷近くにあるこの寺の仏像を見つけた。火が熱いので御本尊が自ら川に飛び込んだと言われるようになった。
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ハクバイカンノン
1978年 新潟県
京都の本山から住職が持ってきた白梅観音が、火災で行方不明になった。10年前、17歳の男性が脳溢血で倒れて半身不随になったところ、禅宗の僧侶がやって来て、庭の梅の木の下に観音があるからだと言った。親類に頼んで掘ってもらうと、観音が出てきた。
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アニダブツ,ショウトクタイシ
1974年 山梨県
甲州塩の山中に長さ10丈ばかり、周囲3丈ばかりの大石が横たわり、水利を妨げ、百姓は頭をかかえていた。寺の本尊阿弥陀仏は聖徳太子の作であり、みなで二夜三日立ち替わり念仏を唱えた。すると雷が落ちて、翌朝見ると大石が割れて、間から水が走り出てきた。それよりこの山を烈石山と言うようになった。
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トビカンノン
1989年 長野県
下條に織田氏が攻め込んだとき、栗生山興徳寺という寺を焼き打った。そのとき、本尊である観音像は火災を逃れるために、今の安置場所まで自力で飛んできたという。
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ナナフシギ
1960年 三重県
仏舎利が灯篭から現れた。灯篭の火が夜自然に着く事。蓮池の片目の魚。境内近くの川に海水が逆流しないこと。龍の腹から梵鐘が出たこと。寺に異変があると木が泣くこと。天石の窪みに水がいつも溜まっていて目薬になること。
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カンノンサマ
1976年 大分県
津波の時に流れ着いた観音様がある。見つかったときは魚の網に引っかかっていて、後光がさしていたという。あるいは、沖から流れてきた木を切ると血が流れたので、祀ったともいわれている。
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カンノンサマ
1977年 静岡県
西浦の観音様は木像なのに、寺が一切合財焼けた時も何事もなく焼け跡に落ちていた。また、観音様のところにある面をもって東京に舞いに行った者たちの何人かが死んだ。
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ザトウイシ
1987年 長野県
明泉寺の石門の下にある。ある時座頭が自分の不幸を嘆き,観音様に願をかけたがよくならない。そこで,死を決意しこの石目掛けて飛び降りたが,松の木に引っかかった。途端に目が開いて見えるようになったという。
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(カンノントヨウサン)
2002年 長野県
飯田市時又の長石寺に入った泥棒が、何もないので本尊の観音様を盗んだ。しかし気味が悪くなって天竜川黒瀬が渕に捨てた。その後島岡という人物に拾われ自宅に祀られたが、ある夜、夢に観音が現れ元の寺に帰して欲しい、帰してくれたら養蚕は必ず繁盛させてやると言った。言うとおりに帰したところ、長石寺の台座とピタリとあった。
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スイゲツカンノン
1974年 東京都
江戸の品川にあった水月観音は太田道灌によって堂社が作られたが、後に品川が北条氏の支配に入る。しかし武田信玄との戦により品川一帯は焼失し、観音像は甲斐に持ち去られたが、持ち去った人は熱病に罹って狂乱し、自分は品川の観音であり、すぐに元に戻すよう口走ったという。そこで信玄は品川に戻して堂社を建てたという。
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アミダサマ,ヒノタマ
1990年 長野県
塩六が背負ってきた阿弥陀様はムラの中央のお堂にあったが、明治23年の火事の時に火の玉になって雨飾山へ帰ったともいう。
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ジョウグウタイシ
2002年 京都府
上宮太子(聖徳太子)の発願によって建立された、山城国の東山にある法観禅寺の仏舎利塔(八坂塔)は、治承年間や正応年間に火災に遭うが、太子の願力が非常に強いものなので、灰燼に帰することはないという。
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アミダサマ
1939年 山梨県
御堂のアミダ様を乞食が盗むとアミダ様の怒りを買い、仏像諸共川に転げ落ちた。アミダ様は淵から光を放ったが人々は近づかなかった。仏像の流れ着いた部落では災厄が続いたため、人々はアミダ様の言に従い仏像を安置し、平和が戻った。
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キョウモン,イシ
1936年 岩手県
川が出水ごとに北寄りに流れを変え、堂宇が危うくなったので、寺の方丈が毎朝経文を石に書いて川へ投じた。千日、3年で川は徐々に流れを南に移していった。
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ヒカリモノ,レイボク,レイム,ダルマ
1935年 群馬県
碓氷川が氾濫した時、夜中に光り物があった。翌朝見ると古木で、えもいわれぬ芳香のある霊木なので、観音様がひきよせられたのだろうと少林山の観音堂に納めた。数十年後に一了居士なるものが霊夢を見て登山し、一刀三礼の敬虔振りで霊木から達磨の座禅像を彫り上げた。その当時また碓氷川に流れよった古木があり、この古木にあった大きな穴は丁度達磨像の龕に丁度よかったという。それらの話を聞き伝えた人々の参詣が盛況を呈し、ついに寺を開いたのが少林山達磨寺である。
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