コウミョウイシ,アミダサマ,ヒノタマ 1990年 長野県 あみだが原には光明石がある。塩六という人が雨飾山から阿弥陀を背負って光明石まで飛んだとき、阿弥陀様の足跡が石についたという。この阿弥陀様はムラの中央のお堂にあったが、明治23年の火事の時に火の玉になって雨飾山へ帰ったともいう。
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コウミョウイシ,アミダサマ 1990年 長野県 あみだが原には光明石がある。塩六という人が雨飾山から阿弥陀を背負って光明石まで飛んだとき、阿弥陀様の足跡が石についたという。
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アミダサマ 1983年 山梨県 小明見にあった阿弥陀様がいつの間にか倉見の方へ行ってしまった。小明見と倉見で論争をし、役人が、川へ投げてどちらへ流れるかで判断するようにいう。川へぶちこむと、上流の小明見の方へ流れたので小明見のものになった。
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アミダサマ 1985年 愛媛県 高助の寺の阿弥陀様を修繕の男がすりかえ、本浦の寺に納めようとしたら歩けなくなったので元に返した。
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ヒノタマ 1982年 広島県 明治30年頃のこと。雨がしとしと降る夏の夜、薬師の方で火の玉が3つ転がっており、川通を通って海岸まで行き沖の宮で消えた。薬師と明神を合祀したので、明神だろうと村人はいった。
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ダイニチニョライ 1988年 愛知県 天文年間、勅願寺御嶽山光明寺では、兵火を避けて本尊である大日如来を池に埋めた。明暦年間、これを知った長尾村の大島四郎兵衛久成が大日如来を発掘して持ち去る途中、西浦の村人が村の守り本尊だから返せと言って追ってきて奪い合いになった。ところが、西浦の村人が持ち帰ろうとすると、持ち上げることも動かすことも出来ない。長尾の村人が持ち上げると軽々と運べたので、西浦の村人は諦めて帰った。そこで長尾村の大日堂に運び入れて守り本尊にしたという。
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アリアケダイラ 1956年 宮城県 常念寺にある阿弥陀堂の地。昔、夜中に仏像の首がどこからか飛来して田の中に落ちた。明け方に村人がこれを見つけ、胴体を作って首をつけ、阿弥陀堂に安置した。
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ジュウイチメンカンゼオン 1952年 静岡県 明治7年の社寺統一の際、11面観音像を仏坂というところから松山というところに移した。ところが病難火災が相次いで起こり、村民たちは憂慮した。ある夜大雷雨があり、翌朝になると仏像が仏坂に帰還し安置されていた。
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アミダニョライ 1934年 京都府 如意嶽の山麓に、浄土寺という寺があり、ある時火災になった。本尊の阿弥陀如来が峰頭に飛び上がり、大光明を放った。これ以後、盂蘭盆会の精霊送り火の時、大光明に由来して山上に火をともし、いつしか「大」の文字に改められた。
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ネコ 1988年 奈良県 大宇陀町西山の光明寺で、天和年間のこと。ある百姓の妻の葬式でにわかに雷鳴風雨が起こった。憲海上人が棺に七条の袈裟を巻いて本尊の阿弥陀様の箱を投げつけると、たちまち空は晴れて、1匹の老猫が死んでいた。本尊の箱が当ったから、猫は片目がつぶれていた。以来その本尊を猫たたき如来という。
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アミダニョライ 1983年 後光厳院の時代、西大寺の覚乗上人は天照大神の本地仏である阿弥陀如来の姿を拝もうと、伊勢内外宮に100日参詣し、ようやく夢告を得て二見浦で金龍蛇形の姿を見た。覚乗は袈裟を海に投げいれたが神は見えなかった。するとまた夢告を得て、大平山無量寿寺に自分の姿を彫った阿弥陀三尊像を安置しているといった。実際行ってその像を見ると、覚乗が脱いだ袈裟が架かっていたという。
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ダイジングウサマ,ヒノタマ 1967年 栃木県 1920年ころのこと。火の玉が飛んできて毎夜石田家の裏の柿の木に止まって、評判になった。足利の長岡の神社の神主に見てもらうと、大神宮様が合祀を嫌って逃げ出したのだというので、別の社に移したところ、出なくなった。後日、行商人がピカピカ光る砂石を拾って、不思議に思って聞いてみると、それが大神宮様の御神体だった。以来大神宮様の御神体は砂石である。
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トビフドウ 1956年 宮城県 弘法大師一刀三礼の作という。昔、堂が焼失したとき、不動はうしろの山の岩窟に飛んで避難したので飛び不動という。そのときの不動の火焔の痕が岩壁にあるといわれ、以後この本尊には光背に火焔をつけないことになった。享保16年(1731)9月7日の大地震に、うしろの山から巨石が落下して堂をつぶしたが、不動を安置した一間だけは根返りした大木がおおいかぶさって倒壊を免れ、村民は奇蹟に驚いたといわれる。
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ビシャモンサマ 1968年 愛媛県 京都の鞍馬山が焼け、3体の仏体のうち1体が行方不明になった。数日後、神ノ浦の山頂で火がともるので、部落のものが見に行くと焼け焦げた仏体があった。これを毘沙門天として祭ったという。
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トビカンノン 1984年 長野県 寺に落人が逃げ込んでいると言う噂が立ち、織田信長軍がその寺に火をつけた。数日して、村人が川の滝壷近くにあるこの寺の仏像を見つけた。火が熱いので御本尊が自ら川に飛び込んだと言われるようになった。
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リュウグウ,オトヒメ 1982年 群馬県 斎藤氏の先祖の阿感坊が、竜宮島の所へ藤蔓切りに行って川に落とした鉈を追いかけて、竜宮に着いた。竜宮に3日いて乙姫様から観音様・瑪瑙・玉手箱を貰って帰って来たら3年経っていた。阿感坊は口止めされていたが殿様から責められ、喋ろうとして口を開いたら死んだ。瑪瑙は宮子神社にあったが火事のとき飛び出し、木に挟まった。観音様は以前は区長が管理していたが、今は竜宮祠が管理している。玉手箱は斎藤家にある。
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コウポウダイシノカケジク 1971年 茨城県 大開集落のある家には、弘法大師が百沢ある土地を捜して廻ってきたときに投げ筆で描いたというお阿弥陀様の掛軸がある。正月と盆に出して吊るす。湯で体を清めてから出ないと吊るせない。昔、掛軸をお寺に移したことがあったが、家に帰りたいと掛軸が泣いたので、元に戻した。1960年代のこと、東京から来た2人の男に掛軸を見学させたら、手が震え出した。バチがあたったのだという。
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ブットウ 1986年 滋賀県 和蔵堂の十一面観音と阿弥陀仏頭を庄から山門に移すとき、運搬が困難だったので首だけ斬りおとしてそれを運んだ。その祟りかそれを預かっていた堂守は死ぬとき、8畳間一杯にふくれあがり死んだ。
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アミダブツ 2002年 神奈川県 鎌倉のある人に仕える女がいた。いつも南無阿弥陀仏と言っていたが、ある時正月に客人来て祝おうとしているところで、南無阿弥陀仏と言った。主人は怒り、カリマタを焼いて女の顔に焼き印をつけ勘当した。しかし女は事も無く立っていて、顔を見ても先ほどの跡もない。女に「勘当したのになぜいるのか」と問うと、「そんな覚えはない」という。不思議に思い日をすごしていて、ふと持仏堂を見ると、金色の阿弥陀仏の顔にカリマタの火印の型があった。主人はこれを見て出家発心した。
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アニダブツ,ショウトクタイシ 1974年 山梨県 甲州塩の山中に長さ10丈ばかり、周囲3丈ばかりの大石が横たわり、水利を妨げ、百姓は頭をかかえていた。寺の本尊阿弥陀仏は聖徳太子の作であり、みなで二夜三日立ち替わり念仏を唱えた。すると雷が落ちて、翌朝見ると大石が割れて、間から水が走り出てきた。それよりこの山を烈石山と言うようになった。
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