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検索対象事例

キツネ
1922年 熊本県
維新前にFという若武士が、助けてくれと手を合わせる子持ち狐を殺した。それ以来Fは不運続きで、家族も早死にした。明治維新で零落し、その後材木番として働いている時に頓死した。狐を殺した刀はある老人が譲り受けていたが、その老人は情婦を殺害し、自分も首をさして自害した。刀にも狐の霊が憑いているといわれた。Fが生きている時にFの地主の女が不思議な病気にかかったり、その娘が行方知れずになったりした。

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キツネ
1932年 鳥取県
維新前のこと、ある士分の人が明日は海へ猟に行くぞと言った。それを聞いた狐は山に姿を隠したが、その男は翌日山の猟に行き、狐を射た。その男は晩年に気が狂い、座敷牢の中で死んだ。
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キツネ
1922年 茨城県
治郎兵衛という農夫が山林中で死んだ雉子を見つけ、持ち帰った。夜になって治郎兵衛の家の周りを1匹の狐が鳴きながら何回となく回った。「そんなに欲しくば返してやる」と、治郎兵衛が戸を開けると狐はすでに絶命していた。それから間もなく治郎兵衛の家の前の石橋が破裂し、家は全焼し、治郎兵衛一家は離散した。雉の持ち主は狐で、眷属の大宴会に雉を出す予定だったが、治郎兵衛に取られ、多くの賓客に合わせる顔がなく、帰ることも出来ず治郎兵衛の家の周りを泣き明かしつつ死んだという。
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キツネモチ,キツネ,チュウギヤクロウ
1922年 島根県
柚木弥九郎という百姓が、庄屋や蔵元の不正を上書した。調べに来た役人の1人は狐持で狐を使って弥九郎に口をきかせず炮烙の刑に陥れた。各戸に燃料の割木が課せられたが、N家のみは思い応じなかった。翌年大火事があり、彼に善意を持った者以外全焼した。村が霧に包まれた年はN家の谷あいだけ農作物が良く出来た。刑場で弥九郎に「おまえも一通りの悪党だ」と言った某は、弥九郎に火の中から「御礼に行くから忘れるな」と言われ、その夜に炉中に倒れて焼死した。屋根の上では笑声がしたという。
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キツネ
1977年 東京都
夜、江戸の護持院の原を大工が通っていると、女の骸を借り遊女と化した狐が言い寄ってきたので恐ろしくなり逃げ帰った。その後大工は結婚して独立し、裕福になった。しかし狐は妻となった女にのり移っていた。離縁しようとしたら正体を現し、責められた大工は狂死した。
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キツネ
1972年 千葉県
稲荷様の傍の神木に狐が住み着いたのに気付かず、その木を切り倒してしまって、狐は鋸にひかれて死んだ。その木には子狐が3匹いた。その後、その家の人は病気になり、死んでしまった。
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キツネ
1930年 山形県
加藤某という武士がいた。勤番で詰めているとき、稲荷の近くに住む狐がうるさいので、刀で突き刺すと逃げて行った。その次の勤番のとき、終夜三味線や太鼓の音がした。翌日になって加藤某が廓の芸妓と遊んだという噂がたち、知行を取りあげられた。不思議に思いミコに聞きに行くと、狐がミコをかりて現れ、それは祟りであり、七代先まで続くと言われた。
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キュウビギツネ
1933年 香川県
猟師が獲物を探して歩いていると、矢に当たった鶴を見つけた。鶴は望みをかなえるから命を助けてくれと言った。つれて帰ると鶴は妻となって仕えたが、居室を覗かれて去った。このとき置いていった衣を盗んだ狐が九尾狐の祖となったという。
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マンキチコロバシ
1956年 宮城県
明治の初め頃,烏頭ヶ浜部落に万吉という酒好きの若者がいて,七曲りを通るたびに狐に騙されて谷や沢をひきまわされ,土産の魚を攫われたりしていた。口惜しがった万吉は復讐を決心する。お薬師様の宵祭りの晩に酒に酔ったふりをして七曲りを通ると果たして男の姿をした狐が出てきたので,万吉は男を縁日の掛茶屋の奥に誘って酒や肴をたらふく馳走した。二人でグウグウ寝ていたが,万吉は相手が寝込んだ頃そっと起きだして茶屋の主人に「代金はあの男から貰うように」といって立ち去った。翌朝狐の正体が見顕されて大騒ぎとなり,棒で散々叩かれて命からがら逃げ出してきた。万吉は大得意であったが,二,三日後七曲りの崖下で万吉の墜落死体が発見された。以後そこを「万吉ころばし」と呼んでいる。
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クロギツネ
1931年 北海道
殿様の行列の前を怪しげな男が通り、家臣がこれを無礼打にしたが、よく見ると1匹の黒狐だった。その家臣が短刀でその皮を剥いで襟巻きにでもしようかと思っていると、彼の子供が病気になり、巫女に口寄せを頼むと狐が祟っているという。家臣は驚いてその皮を祀り、祠を建てて皮を剥いだ短刀を松前神社に奉献したという。
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キツネ,トビサカイナリ
1922年 東京都
東京のある氏族が、小間使いを雇い、ある日使いに出したところ帰ってこなくなったので探すと、富坂稲荷の祠の前で踞っていた。狐に憑かれ顔つきも変わり、大食いになり、正気を失った。主家では小間使いを家に返したが、今度は主家の妻が狐に憑かれ、以前の小間使いのようになった。場所が悪いのかと転居したが、今度は長女が狐憑きとなった。家は没落し、次女は大変な苦労をした。二人の狐憑きは白昼提灯を下げて歩く等の奇行をするので、あらゆる加持祈祷を行ない、医者にもかけたが、一生正気に戻ることはなかった。
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キツネ
1976年 宮城県
ある男が炭焼小屋にいると「いいか」と大声がする。男が「いいぞ」というと、屋根の上から刀の刃が出てきた。男が刃を布できつく巻いてしまうと刃が抜けた。それは狐の尻尾であった。翌日血の跡を追いかけると狐が死んでいた。
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キツネ
1996年 茨城県
明治時代の話。ある家の娘に狐が憑いて、地元の山伏が祈祷をしたら、娘が庭に飛び出して気絶し、狐は落ちた。
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キツネ,ヒョウイ
1974年 京都府
京都の光徳寺という村住んでいた尊い行者が、小鳥をかごに入れて楽しんでいた。しかしその鳥をねらって悪い狐が捕っていったので、行者は狐に食止めの呪いをかけたところ、狐は徐々に弱りだし、ある岡で死んだ。その狐を六右衛門という者が岡の松の下に死体を埋めた夜、彼の妻に何かが憑依し、自分が眠るところに汚らわしいものを埋めるなと警告する。六右衛門が狐の死骸を取り出すと憑依は治まったという。
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ヒョウウエモンギツネ
1943年 三重県
桑名藩の釘貫兵右衛門が夫婦狐の穴を壊した。翌日登城する途中、遅刻を咎める藩主の使い来て兵右衛門は切腹した。後に狐の復讐であることが分かり、藩主は祟りを恐れ狐を笠田野に祀った。維新の頃、孫右衛門が夫婦狐の1匹を撃ち殺し、孫右衛門はまもなく死んだ。
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キツネ
1929年 長崎県
山田村が千々岩と境する木場というところに十傳という人が住んでいた。十傳どんが日見ノ峠の狐に「八面グリ」と狐の「七面グリ」を交換しようと持ちかけ、「七面グリ」を手に入れた。翌日、十傳どんの乳母がやって来て、「七面グリ」を見せると、乳母に狐が化けていたので、取り返された。神主の格好をした十傳どんが狐を訪れ、人間の手に触れた「七面グリ」を祈祷しようと家に持ち帰った。夜に狐がやってきたが、返さなかった。翌朝、戸口で狐が舌を切って死んでいた。
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キツネ
1956年 宮城県
藩政時代,角田館主石川家の家臣で館矢間にいる若侍達が,城下での稽古から帰ってくる途中魚などを持っているとよく狐にだまされた。ある時若侍達が,竹刀の先に魚を結び付けて夜道を無事に帰ってこれるかどうか賭けをしようということになり,一人が竹刀を持って出かけていった。朧月夜の並木道に差し掛かると,向うから竹刀を肩にした武芸者風の大男がやってきて,すれ違いざまにいきなり打ち込んできた。若侍が思わず竹刀で受け止めると大男は消え失せてしまったが,気がつくと竹刀の先の魚の包も無くなっていた。
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キツネ,(キツネツキ)
1979年 東京都
朽木と言われた怠け者が、ある日を境に立派となる。しかし数日後に突然飯を数升も食うなど狂人の様になり、ある夜に狐の振る舞いをした。彼の義兄が刀で脅すと、自分は玄徳稲荷の社の側に住む野狐だが、新参者とて仲間が食を分けてくれない。そこに大いに飲食して社の横を通り過ぎたこの人が羨ましくて憑いたという。
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キツネ
1954年 山梨県
今はもうない家だが、大きな旧家が、二階に狐を飼っていて人につけると噂されたことがある。嫁に来た人がそれを気にかけて自殺してしまった。1910年代の話。
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キツネ
1988年 奈良県
惣五郎と言う人が三反御作(3反歩ある大きな田)を植えた帰り、溺死した子狐を見つけ葬った。その夜戸を叩く者がおり、「お田引いた惣五郎さん、三反御作みな引いた」と5,6人の声がした。翌朝見ると植えた苗はみな引き抜かれ、狐の屍骸が掘り起されていた。親狐が思い違いをしていると思い、狐のいそうなところを釈明して歩いたら、その夜に伊勢音頭の音がして「お田引いてすまなんだ、三反御作また植えた」と声がした。翌朝、家の前には大きな鏡餅が置いてあり、田はもとどおり植えてあった。
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キツネ
1956年 宮城県
気仙沼出身の実業家三田某氏の実見談。明治40(1907)年頃の7月5日午前4時頃,三田青年が峠で一休みしていると,橋向うに50がらみの男が一人,草叢に座って酒盃の献酬をしているような格好である。その時顔の右半分に軽い痙攣を感じ,その方に目を向けると杉の木の下に赭毛の大狐がいて,親爺の方に尻と顔を向けている。太い尾を水平に伸ばし,その先をくるくると小さい輪を描くように回しており,まるで尾の先で人間を操縦しているかのようであった。三田氏が石を投げつけると,狐は茂みの中に逃げてしまったが,その時親爺もその方向に引かれるようにうつぶせに倒れた。親爺は正気付くと今いる場所も日時もわかっていなかった。親爺は「自分は高田の先の大船渡の者で,二日前の夕刻,塩鮭を土産に大槌の親戚の家に出かけてきたのだ」といってそこら辺を探し回ったが見つからない。「自分は今まで確かにその婚礼の席で挨拶をしたりしていたのだが」と不思議そうであった。
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